四か月後。
暦は爆速で進み、気がつけばいつもの部室の窓から見える景色にも、秋の気配が近づいてきていた。
我が作業部は、相も変わらず、賑やかこの上ない。
「だから、今日のは自信あるんやって!」
「あたし一人が付き合ってもしょうがないっしょ」
「だってえ! かさねん、戸景先輩の小説直すので忙しいし、先輩は絶対付き合ってくれへんし……」
「別にいいぞ、今なら。黒卯も読み終わるの時間かかりそうだしな」
「はあ……戸景先輩の小説、今回も最高です……!」
それはこの上なく嬉しいけど、大丈夫か?
もう一時間は読みっぱなしだし、すごい量の涎垂れてますけど。
「ええっ!? ほんまですか!? ちょうど、今日は三人でも十二分に楽しめる神ゲー、『メンタルバランス裏表オセロ』を持ってきました!」
「もう響きからして嫌な予感しかしないな。……まあ、負けないけど」
「うちと先輩の長きにわたる勝負に終止符を打つときが来ましたねえ!」
僕と三門がファイティングポーズをとっていると、ちょうどのタイミングで味方が部室に飛び込んできた。
「ねえ、青コンの結果出てたよ!」
「え、マジっすか」
「見に行きましょう、先輩!」
真っ先に間宮が、そしてそのあとを追うように黒卯が僕の手を引いて走り出した。
「いつになったらゲームできるんや!!」
一人取り残された三門の声が部室から響くが、こればっかりはしょうがない。
また埋め合わせはしてやらないとな。
「もしかして、三門が可哀想って思ってます?」
青コンの結果が張り出されている図書室に向かう道中、黒卯はふとそう訊ねる。
「期待させるだけさせちゃったしな」
僕がそう答えると、黒卯は「ふっ」と微笑む。
「……僕も変わったよな」
「いえいえ、それも戸景先輩の『らしさ』です」
黒卯の言っている意味はよくわからなかったが、おそらく褒めてくれているらしい。
なんてことを話しているうちに、目的の図書室はすぐそこまで迫ってきていた。
あと階段を数段登れば図書室のある階に着く、というところで、倉瀬副会長がちょうどすれ違った。
「あら、作業部のみなさん」
「倉瀬副会長、なんでこんなところに」
「ああ。青コンの発表があるとかで、名残会長が生徒会の面々を引き連れて結果を見に行くっていう流れに巻き込まれちゃって」
「結果、見たんですか」
「いえ、私は業務を抱え込んでおりますので隙を見て抜け出してきたところなのです。――でも、私は名残会長が去年のように、ほとんどの優秀賞を総なめできるとは正直思っていませんけど」
倉瀬の口からそういう言葉が出るのは意外だった。この人は少なくとも、個人的な感情で何かを言い切るような人ではないから。
「まあ、普通は。だけど、そんな超人的なことをやってのけるのが名残広大じゃないんですか?」
「……戸景部長は、名残会長のことを随分高く見積もっていらっしゃるんですね」
「高く見積もる……まあ、厄介なヴィランくらいには思ってますが」
「そばで見ていればわかります。名残会長は普通の人ですよ。少し人より器用で、頭がよくて、でも高すぎるプライドで自分自身を苦しめている、そんな、普通の人間です」
「だから」、と倉瀬副会長は続ける。彼女の眼鏡に窓からの光が反射して、表情は読み取れなかった。
「普通に誰かに負けて、普通に挫折させてあげてほしいんですよね。人の痛みが本当の意味でわかったら、それこそ名残会長は超人的な生徒会長になれると思っています」
日頃、生徒会の雑務を一手に引き受けている倉瀬だからこそ、他の誰が言うよりも説得力があった。彼女は本心から名残の能力を買っていて、名残に成長してほしいと思っている。
「私は戸景先輩のことを買っていますよ。それに、作業部のみなさんも。名残会長が唯一持っていないものを持っている人たちですから」
倉瀬の言葉に、黒卯が一瞬顔を伏せる。
「そうですね。僕たちは全員、ある意味では名残に勝ってます」
僕は黒卯の頭に手を置いて、ポン、と軽く叩きながら言った。
大丈夫、自分の価値とか、頑張る意味とかそんなもの、はっきりわからなくてもいい。何かを心から好きって気持ちがあれば、それでいいんだよ。
「では、私はこれで。……陰ながら、応援しています」
そう言うと、倉瀬はいつかのように一切の混じりけのない笑顔を見せてから、僕たちと別れた。
「いい人ですよね、倉瀬さん」
「ああ、いい人すぎて怖くなるくらいにな」
倉瀬と別れた僕たちは、いよいよ結果が張り出されている図書室が見えるところまでたどり着いた。
倉瀬の言っていた通り、そこには生徒会の面々と、主に文化部の生徒が何人か集まってざわざわと話し声がしていた。
「……あ、また作業部」
生徒の中の一人がそう呟き、視線が一気にこちらに向く。
なんだ、この感じ。
「……あれ、名残がいない」
「そういえばそうですね。あれほど背が高ければ、ここからでもわかりそうなものなのに」
「まあいい、まずは結果だ」
すみません、と言いながら僕は生徒の群れの間を通る。そして掲示物が張り出されている壁の一番前には、さっき先行して突っ走っていった間宮の姿があった。
「間宮」
「……あ、戸景先輩」
どこか茫然とした様子で間宮は僕に言う。
「どうしたんだ? もう結果は出て……」
僕は間宮の背中越しに掲示板を見た。
『高校生青春小説コンクール 優秀賞 戸景日向』
ああ、よかった。
いいものが書けた、そういう実感はあった。
それでも、不安がなかったと言えば嘘になる。
ちゃんと、届いたんだな。
「先輩! よかった! よかったです!」
視界の端で黒卯が飛び跳ねる。僕は小さな声で「ありがとう」と返しながらも、正直気が気じゃなかった。
だって、その隣には、
『高校生青春絵画コンクール 油絵部門 優秀賞二名 名残広大 間宮千歳』
「よかった……っす」
僕が結果に驚いていると、気が抜けたのか間宮はその場に崩れ落ちた。慌てて間宮の体を支えようと手を伸ばしたところで、僕は床に倒れている人間をもう一人見つける。
そう、名残広大である。
「作業部……なんで、俺と……なんで……」
「会長! しっかりしてください! 小説も佳作とってますし、十分すごすぎますから!」
名残は生徒会のメンバーに囲まれ、ナマコのように床に横たわりながら、うわごとのようにそう呟いていた。
「いやあ、すごいね。審査員の人がどうしても優劣つけられないからって枠自体を増やしてくれたんでしょ?」
「ねえ、あなたが間宮さんだよね? 今度、絵を描くときのコツ教えてよ!」
「え~私も知りたい!」
「え……ああ、うっす。あたし、優しくできないっすけど」
僕の腕にもたれかかりながら間宮は美術部らしき女生徒からの声に応えていた。そんな余裕があるなら自力で立ってくれ。
まあ、でも。
「よかったな、お互いに」
「ちゃっかり一人勝ちしといてよく言うっすよ」
「同時受賞の方が絶対目立つだろ」
「……あたし、ちらっと見たことあるんすけど。正直、あいつの絵も、本当にすごかったっす。勝てるだとか、どうでもよくなるくらい」
間宮は言いながら、地面に突っ伏す名残の方に視線を向ける。
「慰めはやめろよ、不良」
僕たちの会話が聞こえたのか、名残は顔だけをこちらに向けてそう言った。
らしくない名残の強い口調に、周りの生徒会のメンバーの顔にも緊張感が走っていた。
「元不良だ、馬鹿」
間宮は名残の発言に、大して気にも留めていない、というあしらい方をする。暴れられたら抑える自信がなかったので助かった。
「馬鹿だと!?」
「なあ、名残」
「……日向くん。今年も僕に勝ったからって調子に乗りたい気持ちは理解できるけど、呼び捨てだけは許せない」
「そっか。僕もお前に下の名前で呼ばれるのは嫌だよ」
「お前って……おい……」
また怒りで気絶してしまう前に、僕は名残の目の前まで歩き、しゃがみ込んで視線を合わせた。
「お前、なんで小説書いてるんだっけ」
「……はあ? なんでもなにも、書けると思ったからだろ」
「ああ、わかったわかった。質問を変えよう。……小説書くの、好きか?」
まさかそんな話を振られるなんて思ってもなかったのだろう。名残は意外そうな顔をして数秒黙り込んだあと、振り絞るように答えた。
「……好きじゃなかったら、書けないだろ。俺はあくまで勝つために小説とか、絵とか、勉強して、練習して、やってきたけど。……だから、君みたいな人間には中途半端だと言われるんだろうが。全部、ちゃんと思い入れがある。全部、自信を持って、好きで……特に、君に負けてからの一年は……」
名残はそこまで言うと、下唇を噛んで視線を別の場所に逃がした。
「……だから、悔しい」
なんだ。
本当に普通じゃないか。
普通に、心から悔しがれるんじゃないか。
「よし、わかった。多分、お前もっとすごいやつになるんだろうな。もしかしたら、僕が偉そうに何か言える機会なんてこれが最後かもしれない」
だから言うよ。
ああ、らしくないな。
僕が人にアドバイスしてやるなんて、それも嫌いな相手に。
中々ないぞ、聞き漏らすなよ。
お前はなんでもできるのが自慢だろ。なら、自分にはなんにもできないって思ってるやつの気持ちを汲むのは大変だよな。
それでも多分、すぐにわかるよ。ちゃんと負けたお前なら。
なんて、それこそ嫌いな相手に言われても素直に聞き入れられないだろうから。
だから、まずは。
「お前のその『好き』って気持ちが本当なら。その『好き』で負けたくないって、軽んじられたくないって思うなら、もう二度と」
無駄な努力を、確証のない自信を、これだけは信じたいって思う気持ちを全部込めた他人の時間を。
「人の作業を笑うなよ」