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第28話 こんな日々にも慣れてきた

 一時間ほど経過しただろうか。

 ずっとパソコンに向かっていた黒卯が、大きく息を吐く。ずっとため込んでいた緊張感を吐き出すような長いため息のあと、黒卯は僕の方を見て、言った。


「戸景先輩らしい、でも少しだけいつもより前向きな、いい小説です」

「……ああ、そう言ってもらえて、素直に嬉しいよ」


 自分でもいいものが書けたとは思っていた。手ごたえもあった。

 でも、今の黒卯の言葉で、ようやく僕は自信を持ってこの小説を終わらせることができるような気がした。


「それで、最後の台詞は決まりましたか戸景先輩。主人公が卒業式で、このお節介焼きで厄介者の友人たちに言う、最後の台詞」


 黒卯は半分答えを察しているような様子だった。

 そりゃあそうだ。大抵の人間はここまで読めば、主人公が何を言い残すかなんて予想がつく。

 そんなありきたりで、ありふれた言葉だからこそ、今の僕にしか書けないものなんだろう。遠回りして、無駄な時間を費やして、ようやく本当のことに気づけるのが、僕らなんだから。


「決まったよ」

「では、どうぞ。一言一句、丁寧に打ちますから」


 僕は気恥ずかしさを飲み込んで、今日までの日々を振り返りながら、言った。


「『出会ってくれて、ありがとう』」



 翌日、まだ終業チャイムが鳴ってから間もない夕方の部室で、僕は味方と一緒にコーヒーを飲んでいた。当然まだ包帯は外れていないので、マグカップを両手で挟むようにして僕は暑い液体を啜る。

 不便だ。


「そっかあ、黒卯ちゃんが手伝いをねえ」


 自分の分のコーヒーにドバドバと砂糖を投入しながら、味方が僕の話に相槌を打つ。そんなに甘かったら、コーヒーを飲む意味はないのでは?


「本当に助かったよ。黒卯の読む力は本物だし、そのおかげで昨日もかなり遅くまで細かい描写の修正をできたし……」

「なるほど、授業中・昼休み中の爆睡と、その目元のクマが昨夜の激戦を物語っているわけね……」

「助かった……助かったんだよ……本当に……」


 黒卯の読む力は本物だ。そしてその指摘も的確かつ、毎回心臓を抉られるような鋭さがある。

 当然、僕のハートはボロボロだった。


「本当に大丈夫なの戸景。瀕死ぶりに拍車がかかってるけど」

「ああ、すこぶる快調だ」

「だからむしろ心配になるって」


 そんなこんなと話していると、部室の扉がガラッと開く。


「こんにちは~」


 のんびりとした挨拶で入ってきたのは三門だった。そしてそのあとに続くかたちで、僕と負けず劣らず濃いクマを携えた黒卯。手に大きなキャンバスを持った間宮がフラフラとした足取りで入ってくる。


「みんな瀕死だ……梓帆ちゃん以外」

「……こんにちは」

「……うす」


 黒卯は崩れ落ちるように部室のソファに沈み、間宮は覚束ない足取りのまま僕の方へ歩いてくる。

その姿はさながら歩く死体。ウォーキング・デッド・マミヤといったところだ。


「お疲れ様っす」

「お、おう」

「小説、どうっすか」

「……そっちは」


 僕が訊き返すと、間宮は「当然」、とも言いたげに晴れやかな笑みになる。


「完璧……なんてないっすけど。――最高です」

「そっか……僕もだ」


 何も合図なんてなかったけれど、無意識のうちに僕たちは力強くハイタッチをしていた。

といっても、僕の手はは包帯に巻かれていて、間宮がそれを叩くというかたちなのだけれど。

 いや力強く叩きすぎな!?

 痛い痛い痛い痛い!


「うんうん、友情だねえ」


 痛みで悶絶する僕の隣で、味方が感心した声を上げる。そうね、友情ってときに痛みを伴うもんね。


「友月先輩もありがとうございます。差し入れもらっちゃって。それに、妹たちの相手も」

「いやいや、相変わらずいい子たちだねえ」


 頭を下げる間宮に、味方はあっけらかんと言った。


「いやあ、みなさん本当にお疲れ様です!」


 ひと段落ついた! と言わんばかりに三門が切り出す。


「そうだねえ、結果が出るのはちょっと先のことだけど、ひとまず打ち上げくらいしますか!」


 そう言うと、味方はどこに隠していたのだろうと不思議になるくらい大量の菓子類を机に並べ始めた。もしかしてうちの部費ってこういうところに使われてるんじゃないのか? そんな不安も、今は追いやっておく。


「そうだな。僕と間宮は当事者だったからもちろんのこと、今回は作業部全員を慰労するべきだ」

「戸景先輩が神部長になってる……! それじゃあ、打ち上げに最適なこのゲームを! 

『ハイパーリアリティ合同コンパ』! うちが昨日徹夜で仕上げた虎の子です!」

「よおし、じゃあ今度はみんなで恋バナだ! どんな脚が好きなのか存分に語り合おう!」

「脚フェチ前提の恋バナなんて初めて聞いたぞ。……だが賛成だ」

「ちょっと!? 部長と副部長に総スルーされることありますか!?」

「あたしは、太いのが好きっす」

「あれ!? 千歳んもノリノリなんや!?」

「私は……白くて細い……脚……」

「かさねん!? めっちゃ瀕死やのに参加すんの!?」


 こうやって、またいつもの日々に戻っていくんだろうな。

 半泣きになりながら自作ゲームの説明を続ける三門を見て、僕はふとそんなことを思った。

 部長なんて大層なものを務めることになって、僕の日常はすっかり姿を変えてしまったけれど、案外、何もかもが以前と違うこの日常に対して安心感を覚えている自分もいる。

 変化なんて、望む望まないに関係なく誰しもに訪れることだ。あとはそれを、自分が受け入れられるかどうかでしかない。

 僕が今回の小説を書くにあたって一番有益だった気づきは、『自分を受け入れてくれているやつらを信用するのは、思っていたよりも気分がいい』、くらいのものだろうか。


「ほら、戸景! 私が押さえておくから、早く梓帆ちゃんの口にガムテープ貼って!」

「黙らせ方が物理すぎる! うち、出るとこ出ますよ!?」

「……やっぱり、今日の活動はいつも通り『作業』とする。打ち上げはまた今度全員が元気になってからにしよう。異論は認めん、散れ!」


 もちろん、気分がいいだけで、大損を食らうこともざらにあるのだけれど。


「ご無体な~!!」


 それも含めて、悪くない。


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