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第26話 犬が食らうは家族愛

 そんなこんなで家を出た僕と味方が向かったのは、間宮の家だった。といっても、僕は間宮の家の場所にまつわる情報なんて微塵も持っていなかったのだけれど。

そう、そのための悪友、友月味方である。


「確かに、千歳ちゃんの家なら知ってるよ。てか、中学のときに行ったことあるしね」


 やっぱりか。

 中学時代に味方が問題児扱いされていた一年三人を改心させたという話を聞いたときから、味方の行動力なら家に上がり込むくらいのことはしているだろうという確信があった。

 僕も伊達に一年も友月味方の友だちをやっているわけではない。

 それに、一人で後輩の家に行くなんて勇気は僕にはない!

 差し入れとして家から持ってきたスポーツ飲料の重みでビニール袋が手に食い込む。


「え……っと、間宮の家はあとどれくらいなんですかね味方さん」

「うーん……今からバスに乗って、下りたら坂を下って……」


 そんなに遠いのかよ間宮家!

 まずい、俄然帰りたくなってきた。


「ファイトだよ戸景! 作業に勤しむ後輩に差し入れを持っていこうだなんてアイデアが戸景から出るなんて、味方さんは大変感動しました! 全力でサポートさせてもらうからね!」


 ならこの荷物を持ってくれ。なんて、脳死で味方の背中を追っているだけの僕に言う資格があるわけもなく。

 結局、間宮の家が見えてきたのは、それから三十分後ほど経ってからのことだった。



 間宮の家は、控えめに言ってもかなり辺境にあった。周囲に家は少なく、すぐ見えるところには森や川なんかが流れている。全体的に、のんびりとした空気だった。


「こんな場所、あったんだな」

「バスってこういうところにも連れてってくれるからいいよね。通学はちょっと不便そうだけど、こういう雰囲気も悪くないなあ」


 間宮の家の玄関に続く石階段を登りながら、味方がしみじみと言う。それには僕も同意だった。

 人の声も集合広告の気配もない田舎の景色は、どことなく絵を描いているときの間宮の雰囲気と近しい気がした。

 もしかすると、こっちが本当の間宮だったりするんだろうか。近いと思っている人間も、ふと角度を変えて見てみると新たな発見がある。


「それじゃあ、チャイム鳴らしちゃうよ。緊張は解けた?」

「あ、ああ……」


 わざとだ。解けるわけなんかないとわかってるくせに。

 僕はおそらく味方の想定通りの虚勢を張り、ピンポーン……と消えていくチャイムの音を勢いを増す動悸混じりに聞いた。


「あれ、もしかして留守?」


 味方がそんなふうに首を傾げると同時に、玄関の扉の向こう側からドッドッドッっと走ってこちらに向かってくる足音が響いてきた。それも絶対に一人のものではない。


「はーい!」


 間もなく、底抜けに元気な声が僕たちを迎える。

 間宮の声ではなかった。というか、これはまるで。


「味方、これは」

「ああ、言ってなかったっけ」


 勢いよく、扉が開いた。

 そこには、子どもがいた。それも二人。


「いらっしゃいませ! なんの用ですか!」


 並んで立つ子どもの、おそらく弟だと思われる男の子が大きな声で言う。すると、すかさず横の女の子が、「こら、幾度。そんなに大声出したらお客さん帰っちゃうよ」と諭す。


「僕、い、く、と! いくとっていいます! 友だちからはいくちゃんとかいっくんとか呼ばれてて……いてっ!」


 構わず喋り続ける男の子の頭部に、女の子の控えめな拳がこつん、と落ちる。

 その仕草で、僕はなんとなく現状を理解した。


「……もしかして。この子たち、間宮の兄弟か」

「そうそうご明察! こっちの元気あり余りまくりの子が末っ子の幾度で、このしっかり者お姉ちゃんが千歳ちゃんの妹の此度ちゃん!」

「此度っていいます。中学二年です」


 味方の紹介を受けた女の子は、慎ましい所作でショートカットの黒髪を耳にかけながら言った。この子、本当にしっかりしてるな。敬語もバグってないし。

 何より、あまり千歳とは似てないような。


「似てない、ですよね。私と幾度の父と、千歳姉さんの父は違うので」


 僕の視線から何かを感じ取ったのだろう。此度ちゃんはあまり感情の込められていない声でそう補足する。


「あ、いや、別にそんなことは気にして……」

「でもねー! 此度姉ちゃん、顔以外は千歳姉ちゃんとそっくりなんだよー! 二人ともすっごく絵が上手くてねー!」

「こ、こら幾度」


 一応「こら」と言ってはいるものの、此度ちゃんの表情筋は一気に緩んでいた。よほど絵のこと褒められるのが嬉しいのだろう。


「特にね、此度姉ちゃんの描く、あの、男の人と男の人が裸になっ」


 ごつん、と鈍い音がした。


「幾度、黙ってろ」

「……わかりました」


 さっきまでのハイパーいい子の此度ちゃんが一瞬で阿修羅のような形相になる。

 うわ、この感じめちゃくちゃ間宮だ!


「何感動してんの戸景」


 心を読むな味方。


「久々なのにいきなりお邪魔してごめんねえ」

「いえ、友月さんならいつでも大歓迎です!」

「僕も友月姉ちゃん好き!」


 さすが味方、すっかり間宮家の人間とも打ち解けてるのか。

 でも、なんとなく違和感があった。


「二人まで味方のこと名字で呼ぶんだな」

「千歳姉さんに厳しく言われてますから」


 ああ、納得。


「ところで、そちらのお兄様のお名前は……?」


 お兄様……!

 一人っ子という身分がゆえに、そう呼ばれるとこう、グッとくるものがあるな。グッと。


「自己紹介が遅れてすまない。僕は戸景日向、一応、間宮……お姉さんの所属している部活動の部長をさせてもらって……」

「トカゲだ!」


 まだ僕の挨拶も終わらないうちに、幾度くんが条件反射のように叫ぶ。


「トカゲ! 千歳姉ちゃんがよく言ってる人だよ!」

「へ、へえそうなんだ……」


 その雑な呼び方からしていい予感はしないな。


「あなたが噂の戸景先輩でしたか! 千歳姉さんから毎日のようにお話は伺っております!」


 まるで珍しい動物でも見るかのような目の輝かせ方をして、此度ちゃんも便乗する。

 毎日っていうのはさすがに盛りすぎだろうが、そんなに間宮は家で僕の話を……。


「……ドキショゴミ野郎」

「はい?」

「間宮は僕のこと、ドキショゴミ野郎って言ってなかったか……?」

「え……ドキショ……」

「ああ気にしないで気にしないで! この戸景って男は病気なの! それも心のうんと深いところが腐っちゃってて!」


 味方がひとかけらもフォローになっていない説明をする。

 しかしその説明が的を得ているというのが最も悲しい。

 間宮が僕のことを家で話していると聞いた瞬間から、僕のメンタルは傷つく準備を万全に整えていた。


「だって……陰で僕のことを話すなんてそれくらいしか……」

「お大事にしてくださいね」


 此度ちゃんの優しさがかえって傷を抉る。

 優しい子だな。姉から散々悪評を聞いてるだろうに。


「友だち!」


 僕が被害妄想に花を咲かせてひとしきり落ち込んでいると、幾度くんがいきなりそう叫んだ。


「……え?」

「トカゲ先ぱいは友だちだって、お姉ちゃん言ってた! 先ぱいだけど、ライバルで、友だちなんだってさ!」


 友だち。

 そうか、友だち、か。


「よかったねえ戸景。友だち増えてんじゃん」


 そう茶化す味方の声は、いつもより優しい。

 本当に、心から『よかったね』と思っているんだろう。

 胸の奥の方が、少しくすぐったいような、でもどうしようもなく手放したくないような、そんな感覚になる。


「……ああ、よかったよ」


 まだ、慣れないけどな。


「あっ、あのっ! ありがとうございます! 千歳姉さんの友だちになってくださって!」


 此度ちゃんは、僕に頭を下げながら続ける。


「私が言うのも変なんですけど、千歳姉さんは感情表現が不器用なところがあって……でも本当に、真面目でいい人なんです。でも思ってることしか言えないから、人に媚びるのとかも、下手で、だから昔から、よく一人になっちゃって」

「知ってるよ。間宮がいいやつだってことも、怖いくらい真面目なことも、あと少し、不器用なことも」

「……はい」

「だから、らしくもなく差し入れなんか持ってきちゃったんだよな」

「だねえ」

「……ありがとう、ございます」


 此度ちゃんの目には涙が滲んでいた。

 間宮は、愛されてるんだな。


「じゃあ、これ間宮に渡しておいてくれるかな? 僕たちはもう帰るから」

「え……狭いですけど、少し上がっていってください! 姉さんもきっとその方が……」

「いや、帰るよ」


 僕は知っている。

 間宮が友だちだと認めてくれている『戸景先輩』には、ここでゆっくりしている時間なんてない。

 どうせ顔を見たところで、「小説はどうしたんすか」としか言われないだろうしな。


「……またいらしてくださいね!」


 僕の意思が曲がらないのを理解してくれたらしく、此度ちゃんはもう一度深々と礼をした。


「今度は遊ぼ〜ね〜!」

「……幾度くん、本当に元気だな」

「そうそう、なんかこっちまで元気でいなきゃな〜って気になるよ」


 僕は味方とそんな会話をしながら、どこか清々しい気分で石階段を下り……ようとしたところで、思わぬ声が背後から聞こえた。

 それは声、というより、鳴き声だった。


「ワン!」

「おお、カタルシス! 久しぶりだねえ!」


 カタルシス!?

 味方は茶色い体毛を揺らしながらこちらに猛進してくる中型犬に向かって、躊躇いなく抱擁の体制をとる。


「カタルシスも友月姉ちゃんと会えて嬉しいんだ!」

「あら、さっきまでお昼寝してたのに」

「バウバウッ! ワンッ!」


 おいおいおいおい待て待て待て待て!

 なんだこれは、ブルドッグか!? デカめのパグか!?

 どっちにしたって、そんな勢いで走ってくるな!


「あ、そういえば戸景、ワンちゃん超苦手だったっけ」


 味方の言葉を合図に、カタルシスとやらはいきなりその進行方向を変更する。

 そう、隣にいる僕の方へと。


「ワン!」

「きゃああああああああああ!!」


 実に人懐っこい顔をしながらこちらに飛び込んでくるカタルシスから逃げるため、僕は咄嗟に後ずさりする。が、自分が階段を下りている最中だということを失念していた。

 退路を求めた僕の右足は空虚を踏み抜き、必然、バランスを崩した僕の体はそのまま間宮の家の石階段を二転三転とゴロゴロ転がり落ちる。

 頑丈なつくりの段差が僕の体のあちこちに殴打を繰り返し、僕は痛みと恐怖で発狂した。


「あああああああああああああ!!!!」

「戸景ええええええええ!!!!」


 僕と味方の叫びが、遠くの木々を切なげに揺らした。


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