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第22話 視覚で味覚を語るなよ

 黒卯が僕のために企ててくれた煮込みうどん計画のため、僕たちは二階の自室から一階のキッチンまで移動した。

 本当に今日、両親が仕事で家を空けてくれていて助かったな。


「戸景先輩の親御さんって、相当忙しいんですか? 土日に二人ともいないって、珍しいなあと思って」

「まあ、特に週末がな。二人とも営業職だし、泊まりがけの出張が多いんだよ」

「へえへえ」


 キッチンのすぐそばに置かれた食事用のテーブルで、僕と三門はうどんの完成を待っていた。味方は黒卯の調理のサポートをしているらしい。

 黒卯は相当気合いを入れていたらしく、予備のエプロンまで持ってきていた。

 なんでそれで鍋を忘れるんだ。


「三門は手伝わないのか」


 僕がそう訊ねると、三門は茶髪の毛先を指先でくるくると丸めながら、どこか気恥しそうに答える。


「うち、シュミレーションゲームで経営してるレストラン燃やしてからは料理って概念を諦めてるんで」

「だいぶ火力の高いエピソードだな」


 カウンターになっている仕切りの向こう側からは、黒卯と味方が具材を切る音がトントン、トンと一定のリズムで聞こえてくる。


「なんかこういうの久々だな」

「こういうのって、人がつくってくれてる料理のできあがりを待つ、この感じですか?」

「ああ、普段から親は帰るの遅いし、一人だと適当に済ませちゃうから」

「先輩も苦労してるんやなあ」

「苦労ってほどでもないけど、たまにはいいな、こういうの」

「ええですよねえ、こういうの」


 それから謎にいっせーのせを三門に付き合わされたりした。それも五回戦ほど。

 結果だけ言うと、僕が負け越した。


「ふっ、戸景先輩の心理なんて猿より読みやすいなあ」

「猿の心理を読めるならそっちの道に進んだ方がいいぞ。それに三勝二敗でよくそこまで誇らしげにできるな」

「うち、戸景先輩にだけは負けられへんので」


 相変わらず三門はゲームにおいて僕を最大のライバルだと認識しているらしい。

 よかろう、今度お前の自作ゲームで吠え面かかせてやる。

僕もイカサマで勝ったあの勝負はノーカウントだと思ってるからな。

 なんてことをしてるうちに、キッチンの方から「できた!」という黒卯の声が上がった。


「おっ、来ますよ戸景先輩!」

「……お待ちどうさま」


 鍋つかみで大きな土鍋を持ってきた味方の顔は、どこか影を帯びている。

 ん? なんだその顔。

 いやいや、余計な詮索はやめよう戸景日向。

 後輩が丹精込めてつくってくれた料理だぞ、多少何か問題があっても、それすらも愛すべき個性じゃないか。


「……これ、煮込みうどんだよな?」

「はい! 黒卯特製、風邪なんか一網打尽の煮込みうどんです!」


 ウキウキしながらエプロンを外す黒卯の姿と、目の前にある鍋の中身を僕は何度か往復する。


「煮込みうどんって、こんなに真っ黒でしたっけ」


 隣に座る三門が震え声で訊ねた。


「そこがミソなのですよ! 黒卯かさね特性の、滋養強壮、質実剛健、才色兼備の煮込みうどんです!」


 なんでそんなにキラキラした顔ができるんだ黒卯。

 才色兼備? 黒一色だぞ? 真っ黒すぎて具材の詳細が一切掴めないんだが?


「味方、これ何が入って……」

「ごめんね……ちょっと目を離した隙に……ごめんね……」


 味方は目を逸らしたままそう答える。

 おいやめろ!

 謝られると怖さが増すから!


「ファーストバイトは戸景先輩が是非!」


 カチャ、と取り分け用の器が僕の前に置かれる。

 目の前にはゴポゴポと音を立てる真っ黒な沼。斜め前からは愛すべき後輩からの期待に満ちた眼差し。

 あ、これ逃げ道ないな。


「南無三……!」


 三門、せめていただきますの合掌をしてくれ。

 僕はおたまを手に取り、覚悟を決める。

 なんでこんなにドロドロなんだ。煮込みうどんってゲル状なんだっけ。

 それが救いなのかどうかわからないけど、一応、うどんらしきものは認識できた。

 真っ黒な出汁(?)がまとわりついたそれに、僕は今までの人生を振り返るようにゆっくりと息を吹きかけて冷ます。

 匂いは、案外普通だ。


「……いただきます」


 ちゅる、と温かいものが口内に侵入してくる。頭が異物と判断したがっているのがわかるが、黒卯の前で吐き出すことなんてできない。

 そして口内に収まったそれを、僕はゆっくり舌で味わ……う……。


「美味い」

「でしょうでしょう! そうでしょう!」


 あれ?

 これ本当に美味いぞ。


「この黒いのはイカスミか? にんにくも効いてて、そのパンチの強さが出汁の上品さを邪魔するわけでもなく、しっかりと土台から支えている」


 待ってくれ。美味すぎないか?

 箸が止まらない。止まらせてくれない。

 もっと味わいたい。まだこの味には底がある。


「これは……クミンか? スパイス系の風味もあるな。ひと啜りごとにアジアの風が吹き抜けていくような爽やかさが心地いい」

「そうですそうです! さすがの語彙力ですね戸景先輩!」


 僕の大絶賛を受け、黒卯の笑顔がより一層花開く。


「そんな……まさか……」


 味方は信じられない、という表情を浮かべていた。

 いやめちゃくちゃ美味いけど、美味いけどさ、美味すぎないか?


「戸景先輩泣いてますやんか!」


 え?

 本当だ。僕はダークマター煮込みうどんを啜りながら、そのあまりの美味しさに涙を流していた。それでもまだ箸は止まらない。なんで、なんでこんなに美味いんだよ。見た目これだぞ!?


「味方、これ本当に何が入って」

「さあさあみんなも食べよう! 戸景が食べものをこれだけ絶賛するのも珍しいよ! これは美味しいに決まってるね!」


 答えろよ!

 まあでも、美味いからいっかあ。


「うっ、美味い……美味すぎる……うう……」

「戸景先輩! もうお皿の中空っぽですって!」

「はあ……人に手料理を褒めてもらうって、こんなにも素晴らしい気持ちになれるんですね……」


 黒卯は喜びを通り越してうっとりとした表情で、未だに空の器を箸でつつき続ける僕のことを眺めている。


「沢山食べてくださいね、戸景先輩のためにつくったんですからね」

「……早く! 早くもう一杯くれ!」

「これなんかの中毒症状出てない?」

「いいですよ、ほら、たあんとお食べになってください」


 文字通り愛情たっぷりな声で、黒卯は僕の皿におかわりをくれる。

 ああ、この人は聖女だ、マリアだ、キリストだ。


「……幸せだ」

「わっ、私そういえば晩ごはん食べてきたんだった!」


 僕と目が合った味方は、何やら慌てふためいた様子で二階へと逃げていった。

 もったいないなあ。

 こんなに美味いのに。


「美味しっ! かさねん、これヤバいよ! なんかよくわかんないけどすごくて強くてめっちゃくちゃだ! 最高フィーバーボーナスゲームだよ!」

「ごめん梓帆、何言ってるのかわからないかも」


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