「どうした? 生徒会の部屋は部室棟にはないけど?」
「相変わらず俺のことを下に見た言い草だね。さっきも言ったろ? 部室から泣き顔の後輩が飛び出てきたんだ。君が率いる部活動とはいえこの学校の生徒は一人残らず俺の庇護対象。せめて事情を聞くくらいの対応をするのが生徒会長としての振る舞いかなってね」
まるで自分が聖職者かのような雄弁ぶり。こういうところが本当に嫌いだ。
「この二人、本当に仲悪いんですね」
「でしょ。実際目の当たりにすると惚れ惚れするくらいの犬猿ぶりだよ」
三門と味方の二人はまるで余所事みたいに話している。
余所事にしてくれないのがこの男だってのに。
「いや何もね、全部聞きたいってわけじゃないんだよ友月さん。俺が気にしてるのは、そうだな……例えばHくんによる後輩への人格否定がなかったかどうか、とかで」
名残は僕から視線を切り、味方に話を振った。
Hくんって僕のことだよな、絶対。それしかないよな。
「心配なくとも名残くん。私こと友月味方がいる限り、首と胴体が繋がってるうちはそんな真似させないって」
「うん、そうだね。俺を含め生徒会のメンバーも、友月さんのことは全面的に信用しているよ」
だからこそ、と名残はため息をつく。お前その吐いた息、全部回収してから出ていけよ。この部屋にお前という人間の成分を欠片も残すんじゃないぞ。
「作業部、だっけ。この部活は早めに畳んだ方がいい気がしてならない。正直言って、無駄だ」
「黙れよ」
あれ?
今のは僕じゃないぞ。
ふと目をやると、さっきまで寝ていたはずの間宮が上体を起こして名残のことを睨みつけていた。
「ちょっ、千歳ん」
「静かに、してくれるかな」
止めに入ろうとした三門に、名残はそう一瞥する。
「え、その、すみません」
名残のひと言で完全に三門は動けなくなった。
へえ。
普段軽い雰囲気な分、凄むとこうなるのか。
「……君は間宮千歳さんだよね? ごめん、今なんて」
「勝手に入ってきてなんすか。失礼だと思わないんすか」
「失礼って、君が言えたことかな? 敬語もガタガタだし、それに『黙れ』って」
名残はスタスタと間宮の方へと歩く。その所作には悪意みたいなものをまるで感じず、僕も味方も間に入るのが遅れた。
そのまま名残は座っている間宮の視点まで腰をかがめて、ボソッと呟くように言った。
「君さ、あの程度の才能しかない絵で調子に乗ってるの、恥ずかしいよ」
「――お前なあ!」
「待って戸景!」
名残に飛びかかろうとした僕を、味方が羽交い締めにする。
「離せ! あいつ、間宮に」
「わかるけど! 戸景がそうしたいのは! でも、そんなことしたら二人とも青コンなんか絶対出られなくなっちゃう! 戸景と千歳ちゃんの作業が、無駄になっちゃう!」
「ほら、友月さんの方が部員の気持ちを汲んでるじゃないか。……でもね、友月さん。才能がない人が作業をすること自体が無駄なんだよ。向いてないんだから、もっと自分にできることを探すべきだ。好きなことじゃなくて、人に好かれることをするべきだ」
「……名残くん、君が正しいのはもうわかったから、出ていってくれるかな」
僕を拘束したまま、味方は怒りを押し殺した声で言った。
その声を聞いて、一気に自分が恥ずかしくなる。
本当は、味方だって今すぐ名残に飛びかかって殴ってやりたいのに。
僕は感情に身を任せて、全てを白紙に返すところだった。
「僕からも、頼む」
僕が頭を下げたのが意外だったのだろう、少しだけ名残の目が見開く。
「うん、わかってくれたならいいよ。それじゃあ、また」
しかしすぐにいつものニュートラルフェイスに戻った名残は、何事もなかったみたいにそう言って、なんの未練もなく部室を出ていった。
「……すみません、ちょっと頭冷やしてきます」
名残が出ていってからしばらくして、間宮も部室を出た。
それから部活が終わるまで、部室には気まずい空気が流れていた。
途中戻ってきた黒卯も、事情を聞くと黙り込んで、ただ悔しそうに拳を握ったまま座っていた。彼女もまた、本当は殴り込みに行きたいのを堪えているようだった。
僕は、ひたすらキーボードを叩いた。
「じゃあ私も先に帰るね」
黒卯と三門の去った後の部室で、味方はどこか申し訳なさそうに言った。
「わかった」
「それじゃ、また明日」
「また明日」
部室を出ようとする味方に、僕は言う。
「……今日はありがとう」
すると彼女は振り返って、いつもの悪い笑顔で返した。
いつも通りの友月味方。いつも僕の隣にいてくれる、人間界一頼りがいのある悪友は、僕を痛いくらいに強く見つめて、それから拳を前に出す。
「信じてるから、絶対負けんな」
ガラッ、という音を立てて部室の扉が閉まる。
僕は再度パソコンに向かう。
もちろん、負けるつもりはないよ。
それから十分ほどして、間宮が部室に戻ってきた。
「先輩、まだいたんすね」
「ああ」
「作業っすか」
「まあ、作業部だしな」
しばらく沈黙が流れる。が、さっきのような重苦しさはなかった。
パンッと音がして、間宮が自分の両頬を叩いたのだとわかった。
「あたし、これ描き直しますよ。それで、あいつに絶対負けない絵を描きます」
「奇遇だな」
「え?」
「僕も一回全部書き直すつもりだ」
「うおお、燃えるっすね。でもいいんすか? 締切まであと一週間っすけど」
「絶対負けたくないからな。……でも」
「でも?」
「自分が好きなものを書くよ、最後まで。それで優秀賞だかなんだかを逃しても、悔いはない。自分が好きだから書くんだ。支えてくれる味方や黒卯。それに三門のためにも、それを忘れちゃならないと思った」
好きなことより好かれることをしろと名残は言っていた。それはある意味で正しいと思う。
正しいから、なんだ。
「人に好かれたいって気持ちより、好きって気持ちの方が何倍も価値がある」
「……あたしも、戸景先輩みたいになりたいっす」
やはり名残の言葉が忘れられないのだろう。間宮は白紙に戻ったキャンバスの前で俯きながら呟く。
「なれないよ。当たり前だけど、僕も間宮にはなれない。それで、名残より健全で面白い小説も書けない」
「……じゃあ」
「でも、不健全で性格の悪い、誰よりも僕好みの小説なら書ける。誰よりも非効率で無駄な時間を使いながら、僕には自分が誰よりも面白い小説が書けると信じてる」
「そんな自信、あたしにはないっす」
筆を持つ間宮の手が震える。それは悔しさによってか、絶望によってか。僕にはわからない。
それでも、わかることがある。
「なくていい。勝つ根拠なんかゼロでもいい。傍から見れば無駄な時間を費やして、無駄な労力を割いて、ない自信を、虚構の自信を積み上げる。はなから僕らがやってるのは、そのための作業だ」
間宮は何も答えなかった。
でも代わりに、キャンバスに筆を置く音がした。
「そういえば、美術部があるのにこんなに堂々と絵を描いてていいのかな」
「……それ、今言うことっすか」
キャンバスの脇から顔を覗かせ、間宮は笑った。
いい笑顔だな、と僕は思った。