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第9話 事実かどうかは好きにしろ

 するすると時間は経ち、放課後。

 部室に向かう廊下を、僕と味方は横並びで歩いていた。


「いやあ、なんか今日はもう部活終わったみたいな気分なんだよねえ」


 昼休みが終わったあと、味方は割と早く正気を取り戻してくれた。


「まあ、あんまりお昼休みの記憶ないんだけど」

「大したことは起きてないよ」


 正気に戻った代償として、例のびちょ濡れ乳首公園に関する記憶を失っているらしいが、僕としては非常に助かるのでどうかこのまま失っていてほしい。


「そういえば、味方がまっすぐ作業部に顔を出すなんて珍しいな。バドの練習とかないのか?」

「先週の土曜は他校との練習試合だったから、昨日の練習後がその反省会。ずっと試合に出てた私は今日休みなの」

「へえ、まあスポーツは休息も大事って聞くしな」

「そうそう、筋肉疲労とか、あとメンタル的にもリセットされるしね」

「なるほどな、参考になる」


 なんとなく、僕は胸元のポケットから手帳を出してメモをとる。

 いつかスポーツものに手を出すかもしれないし、こういう細かいディテールは小説の説得力を増してくれるから、多く持っているに越したことはない。


「いつでも戸景は小説のことばっかりだねえ」

「これ以外にしたいこともないしな」

「殊勝なことで。メモもいいけどさ、たまには取材みたいなのもしてみれば? ほら、実際に公園でバドミントンでもしてみるとか」


 人差し指をピンと立て、味方はそう提案する。


「いや、バドミントンは一人じゃできないだろ」

「……別に一人でしろとは言ってないんだけどなあ」


 どこかつまらなそうに唇を尖らせ、味方は呟く。僕としては至極真っ当なことを言ったつもりなので、彼女の反応の真意はいまいち読み取れなかった。


「それより今は部活動をちゃんとしないとな。せっかくの作業部、作業しなきゃ損ってもんだ」

「やる気だねえ」

「味方は何か作業することとかあるのか?」

「ふふん、兼務とはいえ副部長ですからそりゃあ用意してますとも」


 そう言って味方は肩から提げた鞄からワインレッド色の毛糸を出して見せた。


「……編み物、か?」

「正解! さすがの察しの良さだね」

「毛糸を使う作業って他に思い浮かばないしな。でも、春もまだ始まったばかりなのに何を編むんだ? 普通そういうのって、セーターとかマフラーとかだろ?」


 僕の問いに、味方は「チッチッチ」と舌を鳴らす。その所作があまりにもさまになっているせいで、不思議とムカついてはこない。


「察しはいいのに固定概念に囚われてるねえ探偵さん。巷では編み物をする女子、通称『アミタガール』のビッグウェーブが到来してるんだよ」

「へえ、そう、なのか」


 『アミタガール』のネーミングセンスは正直終わっているけれど、常に何が流行り出すかわからないのが世間の在り方だ。僕は手帳の隅に『アミタガール』と書き込む。


「いや、めちゃくちゃ嘘だよ?」


 ケロッとした調子の味方の発言を受け、僕は瞬時に『アミタガール』とかいう終わった文字列をボールペンで塗り潰した。

 なんだこのわけわからん概念は!


「人を意味のないペテンにかけないでくれるか?」

「まさか信じるとは……その、悪意はなくて……」

「今の一連の流れ、悪意以外に何か込められているなら是非知りたいね」

「あ、戸景先輩と友月先輩」


 僕らの背後から声をかけてきたのは黒卯だった。さすがのタイミングの良さというか、なんというか。


「かさねちゃん!?」

「そんなに驚かなくても」


 記憶は消えてもトリガーになる情報の断片は残っているらしい。早くそれらも消えてほしい。


「今日はお二人揃ってるんですね。賑やかなのは素敵なことです」


 そう頷く黒卯の制服のポケットからは、カバーのかけられた文庫本が覗いていた。常に小説を持ち歩いているとは、我が読者ながら誇らしい。


「ああ、黒卯も部室に向かうところだったり?」

「そうですね、半分は」

「半分?」

「いや、なんというか、お昼休みから梓帆も千歳もどこかよそよそしくて。多分例の誤解? の件だと思いますけど、日直で黒板を消してた私を置いてさっさと部室に向かっちゃったので追いかけてきたんです」


 昼休みのやり取りから察するに、おそらくは二人とも気まずさに耐えられなかったのだろう。

 いくら本人の口から否定したとしても(黒卯のあれは否定として成立しているか疑問だが)、誤解した張本人が自分の認識を誤解と納得できなければ意味がない。


「じゃあちょうど良かった。三人で行こう」

「そ、そうだねえ。三人で行こう! ほら、急げ!」


 味方は黒卯の姿を認めてからずっと目が泳いでいる。

 おい、お前は本当に昼休みのやり取りを忘れているのか? 追求しても不都合を食らうのはこちらなので口には出さないが、友月味方という人間をそれなりに知っている僕の直感はそれを否定していた。


「あの、もしかしてまだ友月先輩は誤解の最中だったり?」


 黒卯は僕にだけ聞こえる声量でそう訊ねる。


「もう、好きにしたらいい気がしてきた」

「そうですね! 誤解も定着すれば真実なわけですし!」

「え?」


 なんか今、すごく違和感があったんだが?


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