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第8話 ただの誤解で拉致るなよ

「……ん?」


 意識を取り戻した僕の体は、見知らぬ教室の片隅に置かれた椅子に座らされていた。そして視界の中心には、僕を拉致した張本人である間宮が頬杖をついて座っていた。


「お、起きたっすね」

「戸景先輩、めっちゃ綺麗な白目でしたよ!」


 間宮の後ろから顔を覗かせるように姿を現したのは三門だった。

 机の横にかけてある鞄からして、ここは間宮たち一年生の教室だろう。他に誰の姿もないというのが少し不気味ではあったが。


「……黒卯は?」


 なんとなく口をついて出たのがそれだった。

 僕の問いに目を丸くしながら、三門はずいっと間宮の頭上から身を乗り出した。


「起きて早々かさねんのこと気にするなんて、やっぱり……なんですか!?」

「ちょ……重いって梓帆」

「やっぱり……ってなんのことだ?」


 純粋な疑問符をぶつけると、三門と間宮の二人は急に顔を逸らし、何やらもじもじとし始めた。


「え……っと、いやその、ねえ?」

「そうだよ……いやその、なあ?」


 ダメだ。ちっとも要領を得ない。

 しかしまあ、ここまでの状況を整理すれば、この二人が言わんとしていることの一端くらいは汲み取れる。


「もしかして、昨日僕と黒卯が一緒にいるところを見かけた、とかか?」

「ほあっ!? いやあ、どうですかねえ。そんなことも、ないような気がしないでもないような」


 三門の目はバタフライかのごとくバッシャンバッシャンと水をかけ分けながら泳いでみせる。あまりにも、嘘が下手すぎる。


「なるほど、そういうことか。それで、僕と黒卯の間に何か隠しごとがあるんじゃないかと疑っているわけだ」

「図星だ!」


 間宮よ、それはそんなに大声で言うことか?


「と、とにかくですね戸景先輩! 別に二人の間のことですし外野がとやかくは言えないんですけど、かさねんは私たちにとって本当に大事な友だちで……その、ちゃんと健全なお付き合いをしているのかどうか確認を……」

「ちょっと待て」

「もう、キスとかって、したのかよ、ですかコラ」

「待て待て待て待て! とりあえず大前提として、僕と黒卯は付き合ってなんか一切ない。それどころか二人きりで話したのだって昨日が初めてなんだよ」

「はあ、なるほど?」

「その完全に疑ってる目を一回取り下げてくれ。っていうか、こんなふうにわざわざ僕を拉致しなくても、黒卯本人に聞けば全部解決することだろ?」

「ぐぬ」


 三門はあからさまに、痛いところを突かれた、という反応をした。


「……いやあ、なんかそれは、激しく聞きづらいというか……。うちら、恋バナとかしたことないですし……」

「そういうアレじゃ、ないよなあたしたちって」


 三門と間宮の二人は顔を見合わせる。

 その反応は、正直意外だった。

 中学時代の彼女たちを知らないとはいえ、部活中あれだけ仲睦まじく過ごしているのだから、恋愛話のひとつやふたつくらいするものだと、否、できるものだと勝手に思っていた。


「あんまり踏み込んでいいのかわからないけど、三人は中学生のときからずっと一緒……ってわけじゃないのか?」

「最後の一年は割と一緒でしたけど、それまではバラバラでしたね。まあ、色々ありまして」

「色々」

「友月先輩からなんにも聞いてないんすか?」

「ああ、別に何も。本人たちが話そうとしてないことを人づてに聞くのって、しっくりこないし」

「人格者なんですね、先輩」


 三門は感心したような声をあげる。じゃあ今まではどう思ってたんだよ。


「そう、戸景は意外と人格者なんだよねえ。ドがつくくらい人間不信のくせしてさ」


 そう補足するのはいつの間にか教室と廊下を繋ぐ扉にもたれかかるように立っていた我が部の副部長、友月味方その人だった。

 あの、本当にいつからいたんですかね。


「友月先輩!」


 間宮は即座に椅子から立ち上がり、味方の方へと走った。その一連の動きは、まるで子犬のころから愛情込めて育てられた忠犬のようで、目を凝らせば、そのプリーツスカートのおしり部分から立派なしっぽがブンブンと左右に振られているビジョンまで見えてきそうだった。

 僕にもその愛くるしさの一欠片くらいは振りまいてはくれないだろうか。望み薄であることをわかっていながらも、そんな浅はかな欲望が湧いてくる。少なくとも、頚椎にチョップするのだけ躊躇してくれたらいいな。


「おうおう千歳ちゃん。今日も今日とていい子だねえ」


 味方はいちごミルクの空き容器を握ったままの右手で、間宮の頭を撫でる。こっちからは間宮の表情を確認できないが、イマジナリーしっぽの動きが加速したのはよくわかった。


「……ところで、」


 味方の声色が少し暗くなり、僕の正面に立つ三門の「ひっ」という怯え声が聞こえた。


「二人は戸景を攫って、一体何を尋問してたのかなあ?」

「あっ、あの、そのっすね」


 まだ味方の右手の下にいる間宮が、恐る恐るというふうに喋り出す。が、


「ん? 千歳ちゃんが答えてくれるの?」

「あっ! いえその! 梓帆が今から答えます!」


 うっすら笑った顔のまま首を傾げる味方を見て、間宮は完全に仲間を売った。


「アホ千歳ん!」


 僕はふと、三人が部活見学にきた日のことを思い出す。


『私たち後輩にとって、『生徒会の毘沙門天』は憧れの的ですから』


 そうだ、毘沙門天。

 あの物騒な異名の説明も、僕はまだ聞いていない。というより、怖くて触れないでいる。


「じ、実はですね……」


 逃げ場を失った三門は、端的に自分たちが昨日見た光景を伝えた。

 僕とのすごろくが終わったあと部室を飛び出した三門は追いかけてきた間宮と合流し、コンビニでアイスを買って半分こして食べながら帰っている最中、公園にいる僕たちを見つけたらしい。


「……それで、たまたま千歳んと公園の近くを通りかかったら、二人がベンチに座ってて」


 なるほどな、確かにタイミング的にはぴったりだ。


「へえ、ふうん、はあ」


 ふと、僕は違和感を覚えた。

 三門の話を聞いている味方の様子が、少しずつ、でも確実におかしくなっている。


「ほいほい」


 いつもの余裕っぷりは見る影もなく、困惑と冷静さを無理くり共存させているようなちぐはぐな表情で、相槌も変だった。


「まあ、そんなことも? そんなこともあるかもしれないね? 腐っても? 部活の先輩と後輩だしね?」

「別に腐ってはない」

「……それで、その」

「何、どうしたの梓帆ちゃん。続けて」

「戸景先輩、全身がびちょ濡れで」

「びちょ濡れ!?」


 おい待て!


「いや、それは黒卯が……」

「びちょ濡れ!? え、今びちょ濡れって言った!? 戸景が、かさねちゃんの前で!? 夕方の公園で!?」

「言いました」

「ちょっと三門は黙っててくれ! 確かにあのとき僕はびちょ濡れだったけど、それは」

「あと、よく見ると先輩、乳首も透けてました」

「びちょ濡れ乳首midt@i'gw'!!!!?」

「本当に頼むから黙ってろ三門!!」

「びちょ濡れ……ちく……」

「余計なこと言うな! わけわかんない情報を与えるな! 味方が壊れたろうが!」

「びちょ濡れ乳首公園……?」

「頭のおかしい公園を設立するな!」


 まあ確かに意味のわからないシチュエーションだったのは認めるが!

 説明しようにも例の黒歴史恋愛ポエムの件に触れないようにするのが難しすぎて言葉がうまく浮かんでこない。おい小説家だろ僕は! こういうときのための語彙力だろうが!

 いや、さすがにこういうときのための語彙力ではないな。


「……あの、みなさんお揃いで何を?」


 混沌に沈んだ空気を一変させたのは、ちょうど僕と根の歯もない噂を立てられている張本人、黒卯かさねの声だった。


「今日、部の集まりか何か、ありましたっけ……?」


 彼女は状況把握に追われているらしく、僕と三門、そして壊れてしまった味方と、その味方の右手の下に収まっている間宮の姿を何度か視線で往復していた。

 そりゃわけわかんないよな。


「か、かさねん! 今ちょうど戸景先輩のちく……もごっ!」

「黒卯! 今は誤解を解いてる最中なんだ! 実は昨日の放課後の……かくかくしかじか!」


 僕は咄嗟に三門の口元を手で押さえつけ、自分の口から現状を説明した。三門梓帆! こいつテンパるとろくなこと言わないな!


「……なるほど、確かに誤解されても仕方ない状況だったかもしれませんね」


 黒卯は僕の端的な説明を理解してくれたようだった。


「でも、その、なんで友月先輩はあんなふうに……?」

「濡れ濡れ………濡れ乳首……公園でびちょ濡れ……」


 味方は未だびちょ濡れ乳首公園に閉じ込められているらしい。


「ああ、それは……気にしない方向で頼む」

「この状況を気にしないって、中々難しいことを言いますね」

「痛い痛い痛いっす友月先輩! 右手! ものすごい力入ってるっす!」

「濡れ……」


 どうにか現実に回帰しようと味方なりに抗っているのだろう。自然と間宮の頭の上に置かれていた手に力が込められ、さっきまで満足そうにしていた間宮は緊箍児でおしおきを食らう孫悟空のように悲痛の叫びをあげていた。

 なんでだろう、全然同情できないな。


「それで、結局のところ二人は付き合ってないんですか!?」


 僕と黒卯の両方に訊ねるような言い方で三門が言った。

 本人の口からはっきりと答えがほしいのだろう。

 僕の口からはさっき言うべきことは言ったわけだし、ここは黒卯に任せよう。


「……まあ、その……へへ、はい。付き合っては、ないかなあ」


 なんだその濁す感じの返事! あんまり詮索してほしくないけど言いたいことはわかるよね的なニュアンスを含んだ声は!


「なるほど、時期尚早だったようですね」


 三門、『うちは全てを察しましたよ』みたいな顔で僕を見てくるな。

 キーンコーンカーンコーン

 キーンコーンコーンコーン


「あっ」


 そのとき、無情にも昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 結局昼ご飯、食べてないな。

 パンッと音を立て、三門は合掌のかたちをとって僕へと頭を下げる。


「戸景先輩、今日はお時間取らせてごめんなさい! うち、陰ながら見守ってますんで!」

「……乳首……」

「割れます! このままだとあたし割れます友月先輩! パッカーンって! パッカーンってなるっす!」

「……ああ、ありがとう」


 もう何を言うのも億劫だったので、僕は考えるのをやめた。


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