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第5話 人の好意には裏がある

「……どういう意味だ?」


 訊かれていることの内容が掴めず、僕は素直に訊き返した。何が言いたいんだ? さっきの人生ゲームにおいて僕はなんのイカサマもした覚えはない。そもそも、あんな手作りルーレットでイカサマなんて。


「戸景先輩が勝てたのは、」


 言いながら、黒卯は卓上に広げられているルーレット盤に手を伸ばして勢い良く回す。

 ギャルギャルギャル! さっきと変わらない調子でルーレットは回り続ける。

 それから彼女は自分の制服のポケットから銀色に光る長方形の何かを取り出し、まだ卓上に広げられたままのルーレット盤に近づけた。

 するとどういうわけか、ルーレットの回転が急に減速し始め、やがてピタリと止まったその矢印は見事『六』の目を指した。


「私のおかげ、ということです」


 ここまで丁寧に見せられると、さすがの僕でもなんとなく予想がつく。

 これはおそらく、あの銀色の長方形が強力な磁石か何かで、ルーレット側にあらかじめ細工をすることでいつでも『六』の目を出すことができる、磁力を使ったイカサマだ。

 いや、だがしかし。トリックが分かったところで疑問符は消えない。だってそんなことをしたって、黒卯にはなんのメリットもないんだから。


「……なんでこんな細工を?」

「ああ、これは元々ですよ。梓帆は昔からゲームをつくるのが好きですけど、こんなルーレットや駒だったりの小物まで自作できるわけじゃありません。そこで頼る先が私というわけです。私の家、そこまで大手ってわけじゃないですけどおもちゃメーカーなんですよ」

「……ちょっと情報量が多すぎて混乱してるんだけど、要はその制作過程でルーレットを磁力で反応するように細工したってことか?」

「その通りです。どうせ完成したゲームのテストプレイに付き合わされるのは目に見えているので、忙しいときとか帰りたいときとか、ちゃっちゃとあがれるように」


 黒卯は悪びれもせずに淡々と言ってのけた。

 まあ毎回あんなカオスゲームの遊び相手になっていたらそういう思考に走るのも無理はないのかもしれない。僕はほんの少し黒卯に同情しつつも、そんなことなど露知らず自作のゲームで負け続けているであろう三門のことを思い、なんだか切ない気持ちになった。


「……敵は一番近くにいるもんだな」

「でもそのおかげで戸景先輩は勝つことができました」


 黒卯は得意げな表情を浮かべる。いやそんな、『やりましたね!』みたいな顔されても。

 案外コロコロと感情を表に出すタイプなんだな。

 思いもよらない気づきを得たところで、まだ訊きたいことは残っていた。


「ああ、それは正直助かったよ。でも、なんで僕に協力なんかしたんだ? 別に僕が勝とうが三門が勝とうが、黒卯たちにはなんの損も得もなかっただろ」

「まあ、客観的に見ればそうですね。だから私も最後の方まではただ見守ってたんですけど、戸景先輩が宝くじのマスに止まったのを見て、つい熱くなったというか」


 なるほど。

 黒卯の仕込んだイカサマでは『六』の目しか狙って出すことができない。そして極限まで追い詰められていたあのとき、僕は『五』の目を出して宝くじマスに止まった。

 少なくともあの瞬間までは、自力で手繰り寄せたチャンスだったわけだ。


「それに、損か得かは本人にしか判断できません。少なくとも私は、戸景先輩が勝った方が都合がよかったんです」

「具体的にはどういうふうに」

「戸景先輩も感じてると思いますけど、私たち三人の中で一番牽引力があるのは梓帆です。その梓帆が部活にのめり込んでくれたら、私たち二人も当たり前みたいにここにいられるじゃないですか」


 黒卯の言葉の真意が、僕にはいまいちピンとこなかった。


「当たり前みたいにって……黒卯も間宮も立派な作業部の一員なんだから、いつだっていていいに決まってるだろ」


 僕がそう言うと、黒卯の顔に薄く影が落ちた。


「……私からしてみれば、戸景先輩は目が眩むくらいに眩しい」

「眩しい?」


 この底辺人見知り嘔吐先輩を眩しいだと? 黒卯よ、お世辞は脈絡がないとただの飛び道具なんだぞ。


「わかんないと、思いますけど」


 黒卯はそう続けると、また平常通りの表情に切り替わり、僕のすぐそばまで歩み寄った。彼女の纏う、花のような香りがふわっと鼻先をくすぐる。


「あの、戸景先輩。今日、一緒に帰ってもいいですか?」

「ああ、別に構わな……ええっ!?」


 一緒に帰る?

 イッショニ、カエル?


「なんですかその反応は。別に無理強いはしていませんので、断りたければ遠慮なく」

「いやっ、そうじゃなくて。ちょっと飲み込むまでに時間がかかるというか……。一緒に帰るっていうのはその、帰路を共にするという意味の?」


 僕のパニックっぷりが面白かったのか、黒卯は小さく吹き出す。


「はい、そうですよ。帰路を共に、です」


 やっぱりそうか、そうだよな。

 今までそういう誘いを受けたことがなさすぎる人生だったから、一瞬、本当に頭が真っ白になってしまった。同じ部活の先輩と後輩が一緒に帰る。うん、別に特段意識するようなことは何もない。

 深呼吸しろ深呼吸。相手は部活の後輩。

 ここでゲロはまずい。僕の口から放たれる放物線はそのまま、新入生全員退部までの特急列車を走らせる綺麗な線路になるだろう。


 結局、僕は黒卯の誘いを引き受けることにした。

 断る理由はひとつもなかったし、こんなふうに一対一で話せる機会は僕にとって正直ありがたくもあったからだ。三門とは今日の一件である程度親しく慣れたような気がするが、そもそもコミュニケーション能力が終わっている僕からしたら後輩女子三人組と同時に親交を深めるなんて芸当は難しい。

 それに、初対面のときから黒卯には自分と似たような波長を感じていた。


「もしかして、戸景先輩はこういう誘い、慣れてないんですか?」


 校門を抜けてしばらく無言でいた空気を、黒卯はそっと破った。


「まさか慣れてるように見えたのか」

「見えませんけど」


 即答。ここまですっぱり斬られると気持ちがいいな。これってあれか? 自分が捌かれたことに気づかず泳ぐ魚と同じ原理か?


「でもほら、友月先輩と仲いいじゃないですか。一緒に帰るくらい、経験あるんじゃないですか?」

「え? 味方か……家、真逆だしな。それに、なんていうか……」

「まさか戸景先輩、友月先輩を異性と認識したことがない、なんてテンプレート的な台詞を吐こうとしてます? それ、場合によってはすごく失礼ですからね」

「……」

「ちょっと! 追い詰めてしまったならすみません! ええっ、人って一瞬でそんなに大量の汗をかけるんですか!?」

「死にかけてるからな、自律神経が」

「とっても悲しいことをわざわざ倒置法で強調しないでください」


 僕の完封され具合はさておいて、だ。

 予想していた通り、黒卯とはかなり気を抜いて話せそうだった。それこそ失礼にあたるのかもしれないが、味方と話しているときと感覚は似ている。


「なあ、もしよければさっきの続きを聞きたいんだが。その、僕が眩しいっていうのはどういう意味なんだ?」


 まだ言及してくるとは思ってなかったのか、黒卯は少し怯むような反応を見せてから答えた。


「どういうって……そのままの、意味ですけど。わざわざ作業部なんて部活動を立ち上げてまで熱中したいものがある戸景先輩のことが眩しく見えるのは、わりと当たり前の感情じゃないですかね」


 黒卯は足元を見つめながら続ける。彼女の新品同然のローファーが、小石サイズのアスファルトの欠片をこつんと蹴る。


「みんながみんな、生きがいを見つけられるわけではないので」


 空気がしん、とする。


「それもそうだな」

「ずいぶんあっさりとしてますね」

「僕も小説を書くまで、なんにもなかったから。忘れてたけど、何もしなくていいって感覚は、楽なんだけど、自分には何もできないっていう無力感と似てる」

「さすが小説家。痒いところに手が届く、孫の手も顔負けの語彙力ですね」

「それ、褒めてるのか?」

「ベタ褒めです。私こう見えても、戸景先輩の小説のファンなので」


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