木漏れ日の学び舎、私立啄木鳥高等学校。
早速だが、この学校には悪法があった。
そんなに大層な話ではないと思うかもしれないし、すでに切り抜けた問題でもあるのだが、少なくとも僕にとっては致命的な損失に繋がるものだった。
「どうしたの、まるで物語の導入部分みたいなシリアス色強めの顔して」
妙に具体的で掴みどころのない例えをしてくるのは、入学当初からの同級生である悪友、友月味方。日に当たると茶髪にしか見えない髪の毛は、肩の少し上で切りそろえられており、その常に眠たげな表情も手伝って、いかにも異性ウケしそうな見た目をしている。もっとも、彼女にそういう噂が立つ気配は微塵もなかったが。
まさか二年次も同じクラスになるとは思っていなかったのだけれど、生憎僕に彼女以外の友人はいないので心底助かった。
「……ちょうど冒頭部分を書いてるんだからしょうがないだろ」
僕は書き出しで止まっている小説の映し出された画面越しに彼女の方を睨んだ。
「ほんと、ずっとよく飽きないよ」
呆れ調子の味方は、そのまま右手に持ったいちごミルクをずずっと音を立てて吸った。僕の視線には気づいていないようだ。
「当たり前だろ。学校で作業ができる免罪符を得るために、こんな部活まで作ったんだから」
「……まあ、それに関しては私も頑張ったんだけど。というか、頑張ったのは主に私だった気すらするんだけど」
「異論ない。完全の完全に異論ない。本当に助かった」
ノートパソコンからは目を離さないまま、それでも精いっぱいの真摯さを込めて僕は言った。ちょうど書き出しが浮かんだのだ。これこそ僕にとっての最優先事項なのだから仕方がない。
味方も味方で、左手のスマホから目を離さないままで頷く。
「いいよ、私と戸景の仲だしね。それにしても、二年にならなきゃ部活が作れないってうちのルール、なんの意味があるんだか」
そう、それこそがこの学校の悪法である。
まずは既存の人間関係の中で他者と共存する能力の向上がうんちゃらかんちゃらとかいう謎の方針によって、うちの学校では一年生の生徒は全員、既存の部活動に強制加入を命じられる。
そして二年に上がってから初めて、部活動を立ち上げる権利をもらえるというわけだ。
「意味、というか主張は分かるけど、その健全ぶった教育方針で学生の一年間を棒に振るのは横暴他ならないな」
「棒だけに」
「字が違う」
この学校に帰宅部なんてものはなく、渋々一年生のときの僕は文化研究会とかいう実質的にはなんのコンセプトもない部活動に所属するはめになった。コンセプトがないのなら何もやらなければいいのに、顧問がやけに熱心なやつだったので活動内容自体は一年を通して決められていた。
正直、苦痛だった。
そもそも他人が形成した空間に後入れされるのが苦手な僕からしたら、毎日毎日一時間から二時間の拘束を前提とした集団活動を強いられるということが既に発狂案件である。
わけのわからない身内ネタ、暗黙の了解、先輩後輩エトセトラ。そんな魑魅魍魎の蠢く空間で健全な精神が育ってなるものか。
結局、僕が昨年の一年間で得た教訓は、口を開けば空気を読めだとかのたまうやつは、他人の心を読めないやつの可能性が高い、ということくらいだ。
「てか今日、小説とか抜きにしたって、なんか落ち着かないよね。戸景も緊張とかするんだ?」
「しないと言ったら嘘になる。一応、部の存続がかかっているわけだし」
そう、今日から一年生の部活動見学が始まる。あらゆる部活動が新入生を加入させようと躍起になる時期だ。とはいえ、大抵の生徒は入学前から部活を決めているので、こんな新設部まで足を運ぶ生徒は少ないというのが実情なのだけれど。
しかし、この期間で少なくとも一人は部員を確保しないと、せっかく
「そこに関しては大丈夫。私もう、三人はスカウトしといたから」
味方はとんでもないことをさらりと言ってのけた。
もう彼女のいちごミルクは中身を完全に失って干物のように平たくなっている。
「……初耳、なんだけど」
「スカウトしたの今日だし」
「今日だってかなり話してたろ」
「何それ、もしかして戸景、私と話した回数を毎日数えてる?」
「それ、もしも本当だったら怖くないのか?」
いや、そんなことはどうだっていい。
「まさかとは思うが味方。その三人、もしかして今から来たり……?」
「しますとも」
まるで侍が悪漢を斬り捨てるような勢いすら感じさせる即答だった。
「そうかそうおえっ!」
「戸景!?」
「大丈夫、緊張しすぎて吐いただけだから」
「吐いたの!? 吐きそうに、とかじゃなく?」
常にのほほんとした調子の味方も、さすがに焦った様子だった。
「綺麗に処理した」
「聞いてない聞いてない。そんなシームレスに吐く人、こんな身近にいるんだ。それ、履歴書に書けるよ。戸景日向、特技は論破と嘔吐」
「……本当にしてやろうかな。どこの企業のどの人事なら採るのか気になるし」
「私なら、採るよ?」
ゆるくパーマがかった毛先を右手で払い、味方は微笑む。その所作だけなら、ヒロイン検定準二級くらい顔パス通過できそうな雰囲気があった。
「慰め方が独特すぎる。それに味方が言うと、なんだか現実になりそうな怖さがあるからやめてくれ」
やめてくれ、と思うのは、そうなったときに彼女の甘言に逆らえる自信がないことの表れだ。
気怠げに履歴書を読みながらズバズバと内面を抉るような面接をする友月味方、絵になりすぎる。
「変な想像、してたね?」
「ああ、おかげで緊張は和らいだ」
「否定するんだよ、普通は。……それにしても、そろそろ来るって言ってたんだけど、」
味方が廊下に続く扉の方に目をやったそのとき、ちょうど扉の磨りガラスの向こうに人影が見えた。それも一人や二人ではない。ほぼ間違いなく、これが味方の言っていた、スカウトした三人の新入生なのだろう。
胃液が再び込み上げるが、なんとか耐える。
「あの、すみません。ここって作業部の部室で合ってますか?」
人影の中の一人が、やや緊張した声で言った。
「合ってる、合ってるよ。ありがとね来てくれて」
らしくもなく速やかな動きで味方は声の主の方まで歩き、そのまま扉をそっと開いた。
そこに立っていたのは、三人の女の子だった。
「ひえ、開けてくれた」
おそらくさっきの声の主であろう中央の子が、味方を見て驚きの反応をする。味方よりも少し短いショートカット、そしてかなり明るい茶髪、あれは天然のものではないだろう。
「お邪魔します」
丁寧な挨拶をしながら次に入ってきたのは、黒縁の眼鏡をかけた、いかにもって感じの真面目女子だった。
さっきの子より身長は高めで、髪色もナチュラリズムを思わせる完璧な黒髪のポニーテール。一人だけカーディガンを着ていた。
「この人が部長ですか! 目つきヤバいっすね。餓死寸前の鷹っすか?」
そして最後に入ってきて扉も閉めないスーパー不躾女子。
こいつはすごいな。
まず目に付くのはその長い金髪、でも染めているという感じはなく、もしかしてハーフか何かなのかもしれないと思わせる自然さがあった。そしてくりくりとした目、ビジュアルだけならまさしく美少女なのだけれど、ビジュアルだけならという枕詞がなければ成立しないであろう本能的に感じる異質さがあった。
身長は三人の中で一番小さいが、存在感はぶっちぎりだ。
それと餓死寸前って、初対面の人に向かって使用していい語彙ではないだろ。
「はは……」
「戸景、壊れちゃった」
とほほ、みたいなポップな言い方で味方が呟く。しかし、実際その通りだった。
いくらなんでも情報量が多すぎる。