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九節

 大きな日本家屋。

 表札は未だ『海堂』となっていた、その家のインターホンを物怖じせず鳴らす。

 しばらくすると、ぱたぱたと足音が聞こえ、現在の家主が出てくる。

「林道さん久しぶ、り……って、春花さん? お久しぶりです」

「やっほー、代理できたよ。久しぶり、鈴ちゃん」

 現在の家主――百日鈴。

 彼は、紺色の着物を身に纏い、盞が知る頃と印象が異なった。


「代理?」

「そ。なんか今会いに行けないから代わりに様子を見てほしいって。訳ありそうだったから、詳しくは聞いてないよ」

「なるほど……? えと、立ち話もなんですから、良ければ上がってください」

「やった、ありがと鈴ちゃん。お邪魔しまーす」

 慣れた様子で百日は居間に案内する。

 きっと、普段はこうして林道を招いているのだろう。

 その姿は残酷にも、海堂を彷彿とさせた。


 居間に通され、一枚の花の絵が目に入る。

 それは、盞の記憶にあったものとは異なった。

(画風も、鈴ちゃんのものじゃない……。これ、突っ込まないほうが良いやつっぽいなー……)

「春花さん? どうかしました?」

「あぁいや、なんでも。鈴ちゃんこそ大丈夫ー? 自炊とか、出来てる?」

 百日の体は、以前よりも痩せて見えた。

 育ち盛りのこの年齢で、おおよそ健康とは言えない細さをしていた。


「自炊、は……まあ、一応……」

「絵描きなら健康にも気を使わないと……って、まあ俺も出来てないけれどさ。もっとしっかり食べないと」

「そんなですか? 僕……」

「『そんな』だよ。成長期なんだから、いっぱい食べて大きくならないとね。それに――長く描いていきたいのなら、ね」

「……気をつけます」

 百日は困ったように呟き、頭を下げる。

(まあ、色々あったし……鈴ちゃんが食欲を失くすのも分かるけれど)

 見ていられなくなった盞は立ち上がる。


「よっし、春花おにーさんが何か作ってあげよう!」

「いえ、悪いですよ……それに……」

「それに?」

「――家に食材はありません」

 真っ直ぐな目で言われては、盞も苦笑するしかなかった。


「――ということで、軽く買ってきたよ」

「ごめんなさい、こんなにご迷惑をおかけして……」

 申し訳無さそうに百日は頭を下げていた。

 目線が合わないまま、思いの外甘え慣れていない百日に、困った様子で盞は笑った。


「いいのいいの、知り合いにくらい甘えなさいな。というか……逆に玲さんは、いつもどうしてんの?」

「ある程度の食材を持って来てくれるんです。それで、いつも料理とホットミルクを――」

 ホットミルク、という言葉に反応する。


「ホットミルク……って、あの? 玲さんがいつも作ってくれる、蜂蜜入りのやつ……?」

「はい。林道さん特製ホットミルクです。あれを飲むと、とても安心して……心も暖まる感覚がして」

 その百日の表情は、とても柔らかいものだった。

 まるで――海堂の話をしているときのように。


 そう、昔と同じ……昔から、海堂の話をするときだけは表情が柔らかかった。

(玲さんにも心許してんのかな……)

 ぼんやりそんなことを考える。

 林道からホットミルクを振る舞われた経験は、盞にもある。

 作業が行き詰まった時、必ず作ってくれた。


「……確かに安心する味だよね。自分で作ってもああはならないもん、不思議」

 自身が作ってもらったときのことを振り返りながら、盞は呟いた。

 それに対し、百日は優しく頷いた。

「林道さん、だいぶ前に僕がひどいパニックに陥ってた時、初めて作ってくれたんです。美味しくて……すごく暖まって……優しかった」

 百日にとっては既に忘れ難い思い出であり――林道に心を許している証拠となった。

(あんなに愛されていた洛先生と同格って……玲さん何者なの?)

 疑問を抱きながらも、盞は海堂の話題は出さなかった。

 出せなかった。


 ただの失踪ではない、海堂洛と百日鈴の間に何があったのか。

 気にならないといえば嘘になる。

 だが、そこは踏み入ってはいけない場所だと、盞も理解していた。


 だからこそ、海堂に百日を託され、百日からは心を許されている林道玲という人物が、より分からなくなったのだ。

(きっと、いい人なんだと思う。真剣に忠告してくれたし。でも――)

 ここまでの信頼を短期間で得た人間を、盞は知らなかった。

 特に共依存のこの二人には、入る隙などなかったのだから。


「とりあえず、ご飯作ってくるよ」

「あ、僕もお手伝い――」

「鈴ちゃんは休んでて。ずっと絵、描いてるんでしょ? たまには休まないとダメだって」

「はい……」

 百日は少し気まずそうに頷く。


 不健康にしか見えない百日が心配なのも事実だが、盞は一人で考えたいことがあった。

(俺が憧れた人の愛弟子に嫉妬してたように、きっと鈴ちゃんに嫉妬している人はいる――という仮説で今回の漫画が生まれたわけだけれど……)

 食材を台所に運びながら考える。


 嫉妬で百日に会いたくない人物がいる――という仮説。

 実在の有無に関わらず、主役になれない誰か。


(洛先生は――最期に、その人にあったのだろうか)

 それが酷なことか、否かは感情でしか語れない。

 少なくとも、春花には複雑に思えた。

 最後の最後に自分に会うことを選んでくれたのは嬉しいが、それが『最期』ならば、今生の別れになってしまう。

 それは、残酷で――けれど、もしかしたら光栄なことなのかもしれない。


(分からないな。少なくとも俺は、あの人に会えて無いわけだし)

 もしかしたら、憧れのあの人は――伽藍朔は、何処かで平和に生きているのかもしれない。

 インターネットという場からは姿を消して、隠居生活をしているかも……なんて、自身の理想に、馬鹿らしくなってため息を吐く。


(玲さんは、きっと――いや、考えないことにしたんだから……)

 霧を払うように、首を横に振り思考を切り替える。


「でも、なんで……」

 理由があるのなら、と自身を納得させようとし続けてきた。

(きっと、話すことは影ちゃんにも危険なことなんだ)

 幼馴染の命のほうがずっと大事だ、それは盞の本心である。

 だが、それと同時に嫉妬心も溢れる。

(玲さんは、全部を知ってる――きっと。そして、鈴ちゃんと仲良く出来るだけの人間性を持っている)

 ああ、それはとても――羨ましい。


「春花さん、今日はありがとうございました」

「いーのいーの、元々玲さんからの頼みで来ただけだし……まあ、鈴ちゃんのことは気になってたけどね」

「林道さんにも伝えてくれたら嬉しいです。『いつもありがとう』って」

「任された!」

 盞は百日の頭を撫でながら考える。


(本当に懐かれてるんだな。もし、もしもあの人に何かアクションを取っていれば、俺も――)

「春花さん? 今日は様子が変ですけれど……何かあったんですか?」

「え、いやぁ……やっと次の連載が決まったからね、ちょっと色々考えなきゃなーって、さ」

 そう笑う盞をじっと見つめ、百日は口を開く。


「じゃあ、なんでそんなに苦しそうなんですか?」

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