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七節

「担当が、変わる……?」

 昨夜蛇の目の情報を得た末、今までの状況を理解した盞は、家に戻ってからプロットの一部を修正した。

 そして、今日は担当編集である松笠が内容を確認する――筈だった。

「え、あぁ……はい。はい、分かり、ました」

 朝一番に入った連絡は、松笠が退職したという内容であり、それに伴い担当が変わる……と。

「……」

 なんとも形容し難く不安が募る。


「朝から厄介ごとですか?」

 付きっきりで作業を見守っていた林道は、二つのマグカップの内片方を作業机に置いた。

「あ、あぁ……玲さん、ホットミルクありがと」

 盞は一口味わった後、話を続ける。

「なんかね、担当が変わるって。松笠さん、退職したらしーよ」

「おや。唐突ですね」

「だから、別の人が確認するみたい。……って言っても、ずっと編集部にいるベテランさんだから、別の意味で不安だなー……ダメ出し多そ」

「そっちはあまり気にしなくても宜しいかと。問題は――松笠の居場所です」

 林道は最悪の事態を警戒している。

 それは、盞――そして百日の目の存在を知られた可能性だ。

 その場合、この二人に未来がないということを、林道はよく理解していた。


「松笠さん、何処行ったんだろね」

 盞も林道ほどではないが、警戒心と不安を覚えていた。

「……まあ、松笠家は『公正』を重んじる家柄です。恐らくは、自分の目で物事全てを判断することはあれど、唐突に誰かの未来が絶たれることはないかと」

 林道の予想では、松笠がこの町に来るまでには多少の猶予はある。

 身軽に動ける立場である松笠家だが、結局は命がなければ実行には移せない。


 その命を下すのが、蛇目家であろうと――林道家であろうと、だ。


 林道家、そして蛇目家、どちらも時に大胆な命を下すことがある。

 例えば――今後双方にとって邪魔な人間の排除、なども厭わないのだ。

(もう、関わりがないから手がかりがない――というより、巧妙に逃げられている、が正しいか)

 林道の思考に浮かぶのは、過去に起きた事件の数々。

 それは、林道自身が元々得ていた情報だけではなく、君谷の情報共有もあった。


「兎に角、今日は俺にとっては勝負の日だから……緊張するぅ……」

「それを和らげるためのホットミルクですよ」

「うぅ……美味しい……」

「それは良かった」

 林道自身もホットミルクを口にする。

 盞の勝負の日、つまりは此処で意図的に造られたスランプから開放されるか否か――それは、林道にも関わることだった。

 だからこそ、林道自身も落ち着く必要があった。


 かつての好物であるホットミルクを口にする。

 思い出の味は、未だ再現出来たことはない。

 林道自身、自傷行為の様なものだと分かっていながらも、縋ってしまうのだ。

 ――穏やかな日々の思い出に。

 しかし、その思い出も湯気と共に空へと消え行く。


 勝負の日。

 林道にとっては手がかりを手に入れるたった一度のチャンス。

 盞にとっては、起死回生を狙った何度目かも分からない挑戦。


 目的は違えど、願う答えは同じだった。

(今回こそ――通りますように)

 盞は覚悟を決めたようにホットミルクを飲み干した。


「じゃあ、玲さん――」

「ええ、健闘を祈ります。僕は君谷さんのお店で待っていますね」

「うん、行ってらっしゃい! 必ず、良い知らせを持って行くから!」


 一足先に君谷の元へ向かった林道は、君谷へ今日盞の身に起きたことを伝えた。

「そう、ですか……松笠が……なるほど」

「やはり、松笠で間違いないでしょうね」

「……林道さん」

「はい?」

 君谷は、純粋な疑問を林道に投げかけた。

「林道さんは、松笠家の者と会ったことはありますか? ……俺、どうしても腑に落ちないことがあって」

「僕自身は会ったことは無いですが……ある程度のことなら、恐らくは答えられるかと」

「じゃあ……」


 それは、君谷の純粋かつ悲痛な疑問。

「何故『公正』を重んじる家が、両家からの命は正しさを問わず、遂行するんですかね」

 そして、林道が持ち合わせている答えは――林道自身が一番腑に落ちないものだった。


「それは……僕らと価値観が違うから――いえ、正しさが違うからです」

「正しさ、が……」

「彼らはきちんと公正に判断しています。自身の目で確認し、頭で判断する。等しく、そして正しく。彼らの『正しさ』は蛇の目――もっと言うのなら、蛇目家のためのもの」

 林道は空を睨みつけながらも、続きを口にする。

「蛇目家のとって、正しいものはどんな内容でも遂行します。例えそれが――一般人の命に関わることであっても、それが『正しい』と判断したのなら、彼らは……」

「……厄介な家、ですね。どうしようもない家、とも言い換えられるかもしれませんが」

 正しさ、という曖昧な概念の中、松笠家が信じるものは一つであるから分かりやすく――そして、理解しがたい。

 何故なら、その影響を受けた人物を知っているから。


「もしも、本当に松笠がこの町へと向かっているのなら――俺には時間がないかもしれません」

「……それは、どういう?」

「分かりやすく邪魔者でしょう? こんなに情報を持った人間なんて」

「っ、君谷さん……貴方……」

 君谷は林道の手を掴むと、しっかりと林道の――その目を見た。


「林道さん。この先何があっても、自分を恨まないで。自分の信じた道を行って」

 力いっぱい、その手を握り宣言する。

「――俺が、保証します」

「……君谷さん」

「貴方が抱いた感情に間違いはない。そして――貴方の今後を、俺は止めません」

 君谷は林道の行く道、そして目的を察していた。

 最終的にどんな手段を使うか――そこまで分かっていても尚、君谷が止めることはなかった。

「貴方は……それでいいのですか」

「事の良し悪しは……正直、分かりません。少なくとも、法は貴方を許さないでしょう。けれど、俺は――林道さんが信じた道の先の未来……そこでやっと、真の自由があると思うんです」

 その手は震えていた。

 誰にとっての自由か――そんなもの、聞かなくても林道は察しがついた。

(どこまでも、盞さんのため、なんだな。自分の命に代えてでも――盞さんの自由を願っている)


「影ちゃん! 玲さん!」

 喜びが隠せない声と共に、店の扉が乱暴に開いた。


「大人しく開閉も出来ないのか……って何度言っても無駄だったな。どうした?」

 何事もなかったかのように盞の方へと向かい、表情や行動――そして言動全てを普段通りに応対する。


「チェック、オッケー貰いました! ついに通ったんだよ!」

「そうですか、それは良かった。おめでとうございます、盞さん」

 後ろからやってきた林道は、素直に祝いの言葉を口にした。


 一方で君谷は誂うように、素直じゃない祝福を口にするのだった。

「また打ち切られんなよ、勝負はここからなんだから」

「分かってるよー。一先ず、漫画家として起死回生の第一歩ってっことで! 春花先生の次回作にご期待ください!」

「……それ、打ち切られてないか?」


 仲の良い幼馴染の会話に、林道は思わず笑みがこぼれた。

 そして――これで、二つの約束が果たせることに安堵した。


「通った、ということは僕との約束、忘れてませんよね?」

「鈴ちゃんに会いに行くやつでしょ? まっかせてよー、俺だって鈴ちゃんの近況は気になってたしね」

 ピースサインを突き出し満面の笑みを向ける盞を、君谷は名残惜しそうに見つめる。


「ああ、林道さん――あとで、前の話の続きをしましょう」

「……ええ、君谷さんが宜しいのなら」

「何の話さ」

「お前に一生関係ない話」

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