「それって、どういう……」
林道の真剣な目に、だからこそ意味を受け止めきれない盞がそこには居た。
「いや、社員じゃ無いわけないでしょ。流石にそれはないよ、玲さん」
「松笠、という人物が想像通りなのだとすれば、貴方のスランプにはちゃんとした理由あったことを証明できます」
その言葉に盞は首を傾げるが、林道の目や言葉から嘘のようなものは感じ取れなかった。
名字を聞いて、此処まで空気が変わるということは、余程のことなのだろう。
(だから、影ちゃんは俺に話さなかった?)
善意にも似た想いで隠していることは、流石に盞も気づいていた。
「個人的に調べさせていただいても?」
「俺は良いけど……玲さん、大変じゃない?」
「僕の本来の目的からはズレませんし、何なら元々面倒事には巻き込まれていますから」
その言葉を聞くと、盞も苦笑した。
もしもそれで、自分がスランプから打破出来るのであれば……盞には断る理由が無かった。
「――俺も、なにか手伝えない?」
「では、連載まで至った作品に共通点はありますか?」
「共通点……あー、目の話。特殊な目を持ってる人の話は通りやすかったかな」
「なるほど。では、もう一つ。盞さんの目の話、視力の話は松笠さんにしたのでしょうか?」
「してないし、知らないと思う。やべぇヤツって思われたら、仕事本当に出来なくなるかもだし……」
林道はその言葉から、蛇目家の命という線を消すこととなった。
しかし、他にも考えられる要素は幾つもあるのだった。
(松笠が知らないのだとしたら……もしかしたら……)
連載まで至った話の共通点は『目』の話だ。
だとすれば、『目』の話を出させているのは――蛇の目を知っているものか、蛇の目持ちかを見定めている、という可能性が上がる。
(だとすれば、答えは一つ――)
そう――ボロを出すのを待っている。
「盞さん」
「え、あ、何?」
「絶対に自分の視力の話はしないでください、今後は誰にも」
「そりゃあ、しないけれど……なんで? やっぱり……その『やべぇなぁ』と思った?」
「貴方の命に関わる……まではいかないかもしれませんが、少なくとも今後の人生に大きな影響を与えるからです」
林道の言葉の圧力に押されながらも、それを飲み込むことはすぐには出来なかった。
その言葉が本当なのだとしたら、あまりにも――スケールが大きすぎる、というのが盞の感じたことだ。
「貴方がこれからも漫画を描いていきたいのであれば、誰にも話さない、知られない、を徹底してください」
「……」
その林道の真剣さから、これは現実の話なのだと突きつけられた。
これは非現実的な、どうしようもない盞春花の人生であり、現実なのだと。
「……分かった、徹底……します」
一気に『自分』というものが不安になる。
それは、盞がどうしようもないくらい一般人的感覚を持っていることを表していた。
(俺の目が、もしも自分だけでなく、誰かを不幸にする代物なのだとしたら――この視力は何なのか知らなきゃいけない……と、思う)
もしもこんな話を事実として、そして情報として知っている人がいるとするのなら、たった一人しか盞の頭には浮かばなかった。
(でも、影ちゃんがこんなこと……話してくれるかな……)
君谷は恐らく長年知っていて指摘しなかったのだろうことは、簡単に想像がつく。
それは、知らないほうが幸せなことなのだろう。
(けれど、その温情に甘えたままで何か起きてしまったら……)
真実を知るのは、いつだって恐ろしいことである。
少なくとも、盞にとってこの視力の真実を知るのは『恐怖』という言葉で、片付けるには足りない。
それでも知ろうと思うのは、大切な幼馴染を失いたくないこと。
そして、これ以上一人で抱えないでほしい、という願いからだった。
「玲さん、お願いが……」
「何でしょう?」
察しがついている様子で林道は微笑む。
「これから、影ちゃんに聞きたいことがあるんだけれど……一緒に来てくれませんか?」
「ええ、お供しましょう」
喧嘩した直後で気まずい、というは建前でしかない。
林道が同行した状態なら、盞にとって聞き出したい真実を話してくれると思ったからだ。
それは、林道も目について何か知っている様子だったからであり、賭けであった。
「それより……その、漫画の方は?」
「うっ、いや、やってます……大丈夫、大丈夫……多分間に合うから。多分」
「多分って……盞さん……」
「そんな目で見ないで! 進捗どうですか、系はこういうの生業にしている人間は弱いの! 多分きっと恐らく間に合う!」
林道の目は最早憐れみの域を越えていた。
(間に合わないんだろうな……)
林道の直感がそう告げた。
この光景に林道は見覚えがあった。
(ああ、これは――)
憐れみから一変し表情が暗くなる林道に、盞は疑問を覚えた。
「玲さん?」
(よく、無いな。すぐに思い出す癖は直さないと……)
過去の面影を無意識下に盞に重ねていた。
これでは、海堂の二の舞いだ。
そう律することで、立て直そうとするが、一度見えた面影はすぐには消えてはくれなかった。
「玲さん? 大丈夫?」
「……ええ、大丈夫です。その……早く君谷さんの所へ行って、作業に戻りましょう? ね?」
「ん、んー? 分かった……? 大丈夫なら、いいんだけどー……」
きっとこの面影は、君谷と話している内に居なくなると思った。
そうでなければ、林道は耐えきることが出来ないと感じた。
「ああ、そうだ。盞さん」
「ん、何?」
「もし、今描いている話が通ったら――百日さんの下へ訪ねてはくれませんか?」
一呼吸置いて、林道は続けた。
「彼の様子を、見てきてほしいのです。諸事情で、今会うことが困難でして」
あの時の正体を明らかにするまでは、百日に会いにはいけない。
海堂から託された手前、此処で縁を切る……ということは出来ない。
林道にとっては、約束を反故にするのと同じだと感じていたからだ。
深い事情があることを林道の表情から読み取り、盞は何も聞かず、ただ了承するのだった。