歪みの隙間、そこにきっと求めたものは有るのだと、手を伸ばした。
別れの痛みと共に。
日射しがすっかり暖かくなった頃、木々は緑に花咲かせ、それを写真に撮る人物が一人。
林道玲は、あの秋からこの町に留まっていた。
「春の景色も、なかなか見応えのある町ですね」
だが、林道には探し人が居た。
それは百日との会話で聞き出したもの。
「何か……不思議な格好や、やたら視力の良い人は、この町にいませんか?」
そう、問いかけた林道に、おにぎりを一口頬張り、青い着物を着た――百日鈴は咀嚼しつつ考えた。
「……ずいぶん限定的ですね」
二口目を食べる前に、何かを思い出しかのように止まった。
「あー……一人、居ますよ」
その人物は、法被を年中身に纏い、中はヒートテックという季節感がチグハグな人物だという。
「確か、名前は――」
「
背後の声に振り返ると、百日があげた特徴そのままの人物がそこには居た。
「おん? んー?」
「な、なんです……?」
林道の返答を待たずに、林道に近づきその姿を観察する。
「ああ! 貴方が噂の旅する写真家さんか。そんな有名人が、どうしてまた」
「僕は林道玲。貴方に聞きたいことがあり、探していました」
その言葉には盞は首を傾げる。
自分にはなにもないと言わんばかりに。
「
「知らない。少なくとも俺は知らないけれど――知ってる可能性がある奴なら、居る」
では、と林道が口を開こうとした瞬間、盞は手を前に出し『待て』のポーズを取る。
「いくら貴方が鈴ちゃんのことで話題になっていようと、そう簡単に教えられるもんじゃない」
(なるほど、警戒心は高いタイプか)
盞の分析をしていると、それに気づいたのか、手を下げた。
「……林道玲さん、だっけ? まずは互いのことをよく知るべきだと思うよ。何があったかは知らないけれど、玲さんの目は後悔に染まってる」
「……それは、どういった意味でしょうか」
「図星、っぽいね。玲さん、ついてきて。まずは楽しくお話しようじゃないですか」
やりづらい人だ、と直感で思った。
ペースを全て持っていかれる。
それは林道にとっては、情報が引き出せないという点で不利に働く。
春を詰め込んだように、明るい髪くふわりとした髪を揺らし、盞は笑う。
「そんな警戒しないでよ。こう見えてもホント、一般人だからさ」
その目の瞳孔は、
(――蛇の目……! 百日さんに次いで、なんでこの町は蛇の目の遭遇率が高いんだ……?)
警戒と疑問が頭を埋め尽くす。
そんな林道を不思議そうに眺めたあと、盞はもう一度笑った。
「ほら、早く行きましょ。こんな外でする話じゃないでしょ? 多分、だけれどさ」
その言葉に林道はぎこちなく頷き、一つ質問を残した。
「それで……何処へ行くのですか?」
「ん? 俺の家だけれど」
先程までの警戒心は何だったのか、と思うほど、盞はあっさりと家にあげた。
「どーぞ、狭い家ですけれど。というか、鈴ちゃんのところが広すぎるんだけれど……ホント狭いでしょ?」
「いえ、僕も家そんな変わらな無いので……」
「そう?」
明るさを絶やさず、盞は笑った。
何故出会ったばかりの自分を、それも警戒していた相手を、家に入れるのか……林道は理解が出来なかった。
案内された部屋には、紙の山が彼方此方にできており、盞は気まずそうに笑う。
「あはは……足元にも多分資料とか落ちてるから、転ばないように気をつけて……」
「……凄い数の資料ですね」
素直に感心する量の山だ。
しかし、此処まで――山を作るほど、資料を集める必要とは、何だ?
林道の中にはそんな疑問が浮かんだ。
「全部が資料ってわけじゃないよ。ボツになった原稿やネーム、設定メモとかも有るから」
「はあ……そういえば、ご職業は?」
「何処にでも居る普通の漫画家。まあ、一時期は一線級までいけたけれど――」
床に落ちている一枚の紙を拾い上げ、苦笑した。
「……最近はちょーっとスランプでね。まあ、心折れるくらいダメ出ししてくる幼馴染のおかげで、担当編集に何言われてもメンタル保てるようにはなったけれどね」
そのまま林道に向き直ると、盞は強気に笑った。
「でも、次は自信あるんだよ。なんたって、貴方に会えたからね、玲さん」
「僕、ですか?」
「そう、俺は玲さんに取材をする代わりに……蛇目とやらを知ってそうな人を紹介する。他にも必要な情報があれば、手を貸すし……まあ、あいつも貸すだろう」
そう、これは交渉だ。
強気に出ている盞は交換条件を提示し、林道が最も求めるものを餌としている。
「どう? 悪い条件じゃないとは思うけれど。個人的に貴方にとても興味がある。作家人生が変わるって直感が言っているんだ」
食らいつくのは簡単だ。
罠である可能性など、何度も考えた。
「藁にも縋りたいと思うんだけれど、違った?」
「……よく、お分かりで」
「漫画家だよ? 人間観察はお手の物ってね」
人間観察、それは林道に深く残っている言葉の一つ。
それをここで出されたということは、乗るしか無いのだろう。
「分かりました、協力しましょう。盞さん」
「よっし、じゃあ取材は此処でするから、定期的に来てね。あとは――」
例の蛇目を知っていそうな人間だ。
全ては、そこに行って漸く動き出すのだろう。
「これから会いに行こうか」
盞は、そう笑った。