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十六節 さいごの二日目。

 二日目。

 なんてことのない朝を迎え、けれど見慣れない部屋に少し違和感を覚えながらも、百日は起床する。

 寝室からリビング、そう遠くない距離。

(……僕の部屋から居間に行くより、ずっと近い)

 こうして改めて、違う場所に来たのだと実感する。


 林道は一足先に起きており、朝食の準備をしていた。

「ああ、おはようございます、百日さん。朝食、もうすぐできますからね」

「あ……はい。おはよう、ございます」

 少しぎこちない挨拶に、林道は軽く笑う。

「昨日はよく眠れましたか?」

「えっと、はい。おかげさまで」

「それは良かった」


 運ばれてきた朝食はトーストに目玉焼き、サラダとコーンポタージュ……と言った洋食で、馴染のない数々に少し驚くと、林道は微笑み一言だけ述べた。

「お嫌いでしたか?」

「いえ、ただ……家に居たときは和食が多かったので、……少し驚いただけです」

「そうでしたか。さあ、冷めないうちにどうぞ」

「はい……いただきます」


 百日の中にはまだ緊張が残っていた。

 慣れない家で、あまり会ったことのない人との食事。

 コミュニケーションが苦手な百日が、すぐに慣れられるわけがない。

 それも、まだ一日しか過ごしていないのだから。


「今日、どうします?」

 話を切り出したのは林道からだった。

「へ?」

「学校です。この家から通学路を辿るのは少々酷かと思いまして」

 それは、必ず百日家の前を通らなければならないことを意味した言葉だった。


 それに加えて、あの噂――海堂と思わしき噂を聞いた日から、学校というものへの拒絶心が強くなっていた。

「……えっと」

「もし行かないのであれば、僕と散歩にでも行きませんか?」

 予想外の言葉だった。

 海堂なら兎も角、林道からそんな言葉が出てくるなど、百日は想像すらしていなかったのだ。

『行かない自分』を肯定してくれる大人、というのは二人目だった。


「……お散歩、行きたいです」

「では、そうしましょう」

 柔らかく笑う林道からは、やはり『悪い人』という言葉とイコールにはならないのだった。

 否定せず、深入りもしない。

 そんな距離感が、今は心地良かった。


 秋の朝は少しばかり冷える。

 けれど、この空間は暖かいものだと百日は感じたのだ。

 だからこそ、此処に海堂が居てほしかった。


 そう、願ってしまうのだ。

(三人で、友達になれたかもしれない)

 そう思わずにはいられなかった。

(けれど――)

 そう、けれど。

(そうはならなかった)

 その現実は変わらない。

 自身の願いが贅沢だと、そんなことは分かっていたからこそ、口には出さなかった。


「もう、流石に冷えますね」

「そう、ですね」

「なんだかんだ、空気も冬へと変化していますし……これからもっと寒くなると思うと……」

「林道さんって、思ってたより寒がり?」

「ええ。ですから、冬は苦手なんです」

 その笑顔の裏には何かが有る気がした。

 薄氷一枚、そんな壁が有る気がして……触れられない。

 触れてほしくないのは、伝わっていたから。


「毎年、気が重たいですよ」

 何事もなかったかのように、言葉を続ける林道は、その目を此方に向けることはなかった。

「……僕も、あんまり寒いのは得意じゃないんです」

「そうなんですか?」

 少し驚いた表情のあと、言葉を咀嚼し、納得したような表情へと変わる。


「……だから、この時期から既に、コートやマフラーを?」

「はい。えっと……意外、ですか?」

「ええ。あの日、あんな冷え切った中一人夕日を見ていた百日さんですから、そりゃあ」

 最初に会った日、確かにあの日は冷えていた。

 冷え切った、と言う程ではないにしろ、それは確かなものだった。

 それでも尚、夕日を一人で眺めていたのは、習慣だった。


「『この時期が一番綺麗』って、洛さんが。だから、天気がいい日は毎日見てるんです……一人で」

「……何故、海堂さんは行かないのでしょうか」

「洛さん、もう絵を描いていなくて。空もすっかり見なくなっちゃったから……理由は、多分――僕を引き取ったから」

「……」

 言葉に詰まる林道を見て、百日は付け足した。

「その代わり、僕に色々教えてくれたんです。洛さんは、僕の絵の師匠……だから」

「そうでしたか。きっと、百日さんの様な弟子が居て、海堂さんは幸せだったでしょうね」

「……あの」

 聞いていいのか、踏み込んでいいのか、迷いながら言葉を紡ぐ。


 きっと、そこに触れていいものではないと、心で理解しながらも、林道が『悪い人』を自称する理由が知りたかった。


「林道さんにも、居ませんでしたか? そういう……師匠、みたいな――」

「居ましたよ」

 あっさりと、林道は答えた。

 それが意外で、けれどその回答自体に意外性はなくて、ただ数度瞬きをした。


「おや、意外でした? 確かに、師匠とはちょっと違うかもしれませんね。けれど、少なくとも――」

 その目は。鋭い瞳孔を宿した、その目は。

 はっきりと、百日の目を見つめていた。

「貴方にとっての海堂さんのような人は居ましたよ」

(あ……)

 百日はその目と言葉が意味することに気がついた。

「……ごめんなさい、僕――」

「どうして謝るんですか? ただ、話す機会ができたから伝えたまでです。気にしないでください」

 いつもと変わらない笑みは、何処か寂しさを宿していた。


「……そんなことより、百日さんにお願いがあるんです」

 話題を変える林道は、気を使ってか否か、明るい声色だった。

「散歩、いろいろな場所を教えてほしんです」

 無邪気さを遺した笑みの裏側から、百日は目を逸らすのだった。

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