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十三節

 何をしようとしているか、そう林道に問われた海堂の答えは、狂気を含んだものだった。

「私は――鈴と共にいきたいのですよ」

 生きたくて、逝きたい。

 それを理解した林道の背に悪寒が走る。

「それが、貴方の答えなのですか」

「ええ。ですがそれだけじゃない。」

 海堂の本心は複雑なものだ。

 二つの感情がドロリと混ざり合うかのように。


「自分が百日家の人間と同じことをしている自覚だってあります。だから、鈴と開放したいのも本心なんです」

 手放したくないのも、開放すべきという理性も。

 何方も海堂の本心だ。


「……貴方という人は、僕の理解の範疇を超えています」

「林道さんは恐らく、この町に来るまでに沢山の人と会ってきたのでしょう。そんな林道さんが理解できない『私』という人間も、私と似た人間もこの世には存在するんですよ」

「……」

 林道も海堂と似ていると思っていた人間が居た。

 百日と接する海堂は、林道にとって懐かしい記憶によく似ていたのだ。

 けれど、実際は似ても似つかない本性を持ち合わせていた。

(海堂さんも、それを伝えたいんだろう。だけど……だとしたら……)

 自分が求めるような居場所は、きっと何処にもない。

 記憶の中にしか、存在しないのだ。


「僕が、馬鹿でしたね……」

 思わず口からこぼれた言葉は、諦めの音がした。

「きっと、この町には貴方が知らないような人が沢山いますよ、林道さん」

「ええ、恐らくはそうなのでしょう」

 でもそれは、林道にとっては酷だった。

 自分が探し求めた人間は、もういないことを裏付ける事となったからだ。

(ずっと、分かってはいたけれど――堪えるな)

 初めて会ったあの日は、あんなにも――よく似ていたというのに。

 かつての自分たちに。


「……それで、貴方はどうするつもりなんですか? 覚悟は決まっていないようですが」

「ああ、そのことなら……近々、林道さんのお宅でゆっくり話そうかと」

「今は、言えない……ということですか」

「鈴に聞かせられる話ではないので、ね」

 にこりと微笑む海堂は、あの穏やかだった人物とは程遠い印象を与えた。

 背筋に冷たいものが走る感覚。


 変わってしまった訳では無い、これが――どうしようもないほど、本性なのだ。

 勝手に期待を抱いただけだ。

 ――けれど、ほんの少しの失望が心を渦巻く。

「では、僕はこれで。海堂さん、貴方が全てを話してくれると、信じています」

「ええ、気をつけてお帰りください」

 そう笑った海堂は一人、ポツリと言葉をこぼした。

「……ご期待に添えれば良いのですが」

 背を向けた林道には届かない独り言。

 その姿を見て、海堂も家に戻る。


「鈴、遅くなってごめ――鈴……?」

 普段なら居間で待っているはずの百日の姿が見えない。

(部屋か……画室かな……)

 そう思考を巡らせ、一先ず百日の部屋の戸をノックする。

「……鈴、居るかい?」

 返事は返ってこない。

 となれば、百日は画室に居るであろうと、足を運ぶ。

 念の為ノックをするが、万が一集中していたら聞こえないだろうと、そっと戸を開く。

 「お邪魔するよ、鈴」

 そう声をかけながら部屋に入ると、百日は一枚の絵の前で立ち尽くしていた。


「鈴、それは――」

「……分かってた、分かってたんだよ、洛さん」

 目隠し布の取れたその絵は、海堂が三年前から描き進められていない絵。

 三年前の秋、二人で夕日を描いてた日々の中の一枚。

 海堂らしい風景画は、未完成のままで止まっていた。


「これ、描いてたのって、僕を引き取った日……だよね」

「違うんだ、鈴。私は――」

「洛さん、夕日が描けなくなった原因があるんでしょ? 僕は……それを、知ってしまって……」

「これ、は……ただ、納得がいかなくなっただけ、だよ」

 嘘を重ねる。

 そうでもしないと、今にも関係は壊れてしまうから。


 しかし、そんな嘘も既に意味を成していない。


「洛さん、もう、いいんだよ」

「……え?」

 涙を浮かべたまま、穏やかな笑顔で百日は言葉を続ける。

「僕はね、洛さんを信じたかった。ううん、信じてた。だから、嘘を吐いてるんだって、知ったとき、ショックだったんだ」

「わ、私は……」

「でも、きっと理由があるんだって思ってる。最後には話してくれるって。だって僕は――」

 その言葉と共に、涙が溢れ出す。

「僕は、洛さんがいないと……駄目なんだ。洛さんが居ない世界を、どう生きたらいいか、分からないんだよ」

 溢れた涙は止まることを知らず、百日は不器用に歪んだ笑みのまま、本心を海堂に届ける。


「だから、もう隠さないで。僕に話せない事があるのだって、理解してる。けれど、このこと、だけは……」

 崩れ落ちかけた百日の体を、海堂は抱きかかえ、強く――強く、強く抱きしめた。

「……鈴。ごめん、ごめんね。ずっと、私は……君に嫌われるのが、君が離れていくのが怖くて……」

 結局は自分が臆病なだけなのだ。

 だから、百日を手放せなくなってしまってから、嘘で隠し通そうと、嘘を吐き続けた。


「鈴、君は……誰といきたい?」

 生きたくて、逝きたい、そんな相手。

「無理に答えなくていいんだ。けれど、その相手が私なら、私は……とても嬉しい」

「僕、僕は――洛さんと、林道さんと、三人で生きたい。やっと、話してくれる人が出来た。漸く、独りじゃなくなったんだ」

「……そっか、今は、ゆっくりお休み、鈴」

 泣き疲れている百日の頭をそっと撫でる。

 そのまま、落ち着きを取り戻し始めた百日は、眠りへと落ちていったのだった。


 百日を部屋に運び、画室に戻った海堂は、未完成の絵と向き合う。

 確かに、夕焼け空を描いている未完成な絵。

 描けなくなったのは、自業自得だと、自覚している。

「鈴は、今でも夕日を描いているというのに……私は……」

 百日を絵に縛り付けている、と感じていた理由の一つは、夕日を描く百日の姿だった。

 一方で自分は、自分の知識、技術、全てを百日に捧げる……という自ら課した使命と言う名の逃避を続けている。

(あの日以降、鈴は孤立した。それも当然なのだろう)

 引き取られた子供一人が生き残り、その後火事が起きる……なんて、どこまでも不自然で、自然な出来事だ。


 百日鈴という人物は、あの家ではきつく当たられていた。

 それどころか、家族として扱われていなかったように海堂は記憶している。

 当時の百日の年齢はたしかに幼いが、放火が不可能なほどではない。

 それも、引き取り手家があるのなら、材料は用意できただろう。


 ――という、単純で不自然で理不尽な理由から、百日鈴は疑われたのだ。


 真犯人など、三年経った今でさえ知られていない。

 だからこそ、海堂は絵が描けなくなった。

 罪悪感を持っているのは、百日を孤立させてしまったことだけではあるが――真犯人が自分だと分かったら、きっと百日に嫌われる。拒絶される。

 それが、海堂にとっては何よりも恐ろしかった。

 絵が未完成なのは、引き取ったその日に描いていた繪だから。


 あの絵と向き合うと、苦しいほどの罪悪感と恐怖心に襲われる。

 吐き気を催すのは、自ら犯した罪に対してではない。

 拒絶される恐怖からだった。


 けれど、このまま誤魔化し続け、幕引きを迎えたらきっと――林道に軽蔑され、百日は壊れてしまうだろう。

(けれど、その未来を求めている自分も、同時に存在する……。自分の中に、相反する感情がある……)

 なぜなら、その先の未来では、百日はきっと海堂を追いかけることだろう。

 それでも、沢山の技術を身に着け、多くの仲間を作り、その先の未来を描いてほしい気持ちも存在する。


(伽藍、君は私みたいな醜い感情は持ち合わせて居なかったのだろうね)

 旧友のことを思い出す。

 彼もまた、蛇の目持ちを拾って世話をしていたのだ。

 しかし、ある日を堺に連絡が取れなくなっていた。

 ――数日前、林道と雨の中で交わした会話の中で自分の中の結論は既に出ている。

 きっと彼は真っ直ぐに生き続け、その幕を下ろしたのだ。

(じゃあ、私は?)

 海堂楽という人物は、真っ直ぐに生きることは出来なかった。

 その幕引きは、自分で選択する必要がある。

 どのような終わりを迎えるかは、自分次第なのだ。

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