嘘だと信じたい二つの噂を頭に残したまま、海堂と林道を交互に見つめるも、やはり理解は出来なかった。
嘘を吐いている――それはどうしようもなく事実なのだと、百日は理解してしまっていた。
「なんで――」
その先の言葉を紡ぐのは怖い。
けれど、言わなければならないこともあるのだと、理解はしている。
けれど、それを口にしたら何かが壊れる気がしていた。
「鈴、帰ろうか」
海堂の優しい声音も、今は純粋に捉えることが出来ない。
「帰るって――何処に?」
思わず飛び出た言葉に、百日は慌てて訂正をしようとするも、海堂は微笑みかけるだけだった。
「家、だよね……。ごめんなさい、変なこと言って……」
しかし、海堂から返ってきたのは、予想していない言葉だった。
「鈴にとっての家って、一体何処だい?」
「え、それは――」
「百日家かな」
「ちが、ちがう。そんな場所――」
「『なくていい』?」
「――っ!」
海堂に対して、本能的な恐怖を抱く。
(違う、洛さんはこんな人じゃない)
何度脳内で否定しても、その恐怖が塗り替わることは無く、増していくのみだった。
不安な思いも、恐怖心も増して行く。
(大丈夫、僕なら兎も角、洛さんがあの家に恨みを覚える理由なんて――)
否定できる材料を探しても、恐怖は拭えない。
「鈴、帰ろう。大丈夫だよ」
(そう、大丈夫。きっと――)
「悪い夢を見ているだけさ、鈴」
「うん……」
海堂は百日を抱きしめる。
百日も思考を停止させ、目を瞑る。
「朝になれば、元通り」
自己暗示をかけるかのような、百日の言葉に、それを肯定するかのように海堂は頭を撫でる。
(この人――危険だ)
林道の直感がそう告げる。
海堂が何を考えているのか、最早理解できない。
しかし、百日に対する愛情が本物だということは知っている。
そう、だからこそ理解が出来ないのだ。
こんな暗示をかけるかのような、海堂の姿が。
だからといって、林道に何かが出来るわけでもない。
狂気の愛を持った海堂を止めることも、自己暗示をかけるような百日にも、声をかけられない。
(でも、これで分かった)
林道は一つの答えに辿り着く。
それは、今日までの三人での関係を否定するようなものでありながら、覚えていた違和感。
心の何処かで考えたくなかった答え。
(あの人に似ている人なんて、この世の何処を探してもいないんだ)
心の支えを一つ失った感覚を覚える。
「帰ろうか、鈴。君の家に」
「うん……」
(百日さんを任されることは複雑だったけれど――)
そんなことを言っていられる状態ではない。
海堂と百日を引き離さなければ、どうなってしまうかが分からない。
まして海堂は、この世を去ろうとしている。
それも、百日を置いて、だ。
(厄介なことになってきた気はするが……)
蛇の目持ちに何の感情もないと言ったら嘘になる。
けれど――百日鈴にその感情をぶつけるのは間違っている。
それくらいは理解していた。
けれど、どうやって引き離す?
林道は思考を巡らせる。
当然、答えは出ないのだが。
「……送っていきましょうか? 夜も深いですし」
「いえ、林道さんのお手を煩わせるわけには……」
「夜道はお二人が思っているより、危ないものです。未成年を守るには、大人二人のほうが安心でしょう?」
「それは……」
返答に迷いつつも、林道が引き下がることはないと気づいていた。
あまり長い時間を此処で費やしても仕方がない。
「では、お言葉に甘えて」
微笑む海堂と対称的に、林道の笑みは冷ややかなものだった。
「林道さん、一人で帰るの……危なくないですか?」
漸く林道に目を向けた百日は、その身を案じた。
「大丈夫ですよ、僕はもう大人なので」
「そっか……」
その一言を残すと、百日は疲労と睡魔からぼんやりとした表情を浮かべた。
そうして、同じ道を三人で歩く。
きっと、これが最初で最後なのだろうと、気づきながらも。
朝、百日が目を覚ますと、普段と何一つ変わらない光景が広がっていた。
そう――気味が悪いくらいに。
「おはよう、鈴。表情が暗いけれど……なにか嫌な夢でも見たのかい?」
「あ……うん。ちょっとだけ……」
知ってしまっては、普段通りに接することが出来ない不器用さ。
百日鈴の不器用さは、家族である海堂が一番良く知っていた。
だからこそ、百日を抱きしめ頭を撫でる。
「大丈夫。全部……全部、悪い夢さ」
「うん、分かってる。分かってるんだ……」
「鈴は、さ――誰と生きたい?」
「へ? それは……」
どういう意図の質問か、百日には理解が出来なかった。
だからこそ、言葉が詰まる。
「洛さん、だよ。でも、どうして、そんなこと……」
「ううん。大した意味は無いんだ。ただ、鈴もそろそろ反抗期かなって、ね」
(そんなこと、洛さんがこんな強引に確かめるわけがない。だから――これも嘘だ)
嘘が積もっていく実感。
それはとても冷たく、心の底が秋風に吹かれた様に寂しく感じた。
百日のために吐いた嘘だとしても、海堂自身のために嘘だとしても、これ以上積み重なった先にあるものは――崩壊だけだ。
「鈴? どうかしたのかい?」
「洛さん、最近……なんか、変だよ」
「変?」
その目は笑っていない。
海堂の表情は、ツギハギに見えた。
愛情と歪み、嘘と本当。
本能的恐怖を感じるその表情に、百日は喉が詰まる思いだった。
「だって、深夜に外出ること無かった……。それと、僕に声をかけないことも、無かった」
「……そっか。昨日のこと、覚えているんだね」
「え、っと」
「それは夢だ……って言ったのに、ねぇ?」
「あっ……え、っと」
何も返答が出来ない。
百日の不器用さを利用して、嘘を重ねる。
(ああ、駄目だ。これじゃあ――アイツらと同じだ)
「……ごめん、なさい。夢とごちゃまぜになっちゃったみたい、です」
「……いや、良いんだ。鈴……大好きだよ」
それは、それだけは、本心だった。
(だから私はやはり……鈴を開放するべきなんだ)
けれど、手放し難い。
どちらの感情も両立するものだ。
「ごめんね、鈴。お詫びに今日は……ご馳走を作ろう」
「……うん。楽しみにしてる」
詰まりながらも紡いだ言葉。
これじゃあ、何も変わらないというのに。
(分かってる、分かっているんだ)
それでも、もう少しだけ……目を逸らしていたかった。