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十一節

 嘘だと信じたい二つの噂を頭に残したまま、海堂と林道を交互に見つめるも、やはり理解は出来なかった。

 嘘を吐いている――それはどうしようもなく事実なのだと、百日は理解してしまっていた。


「なんで――」

 その先の言葉を紡ぐのは怖い。

 けれど、言わなければならないこともあるのだと、理解はしている。

 けれど、それを口にしたら何かが壊れる気がしていた。


「鈴、帰ろうか」

 海堂の優しい声音も、今は純粋に捉えることが出来ない。

「帰るって――何処に?」

 思わず飛び出た言葉に、百日は慌てて訂正をしようとするも、海堂は微笑みかけるだけだった。


「家、だよね……。ごめんなさい、変なこと言って……」

 しかし、海堂から返ってきたのは、予想していない言葉だった。

「鈴にとっての家って、一体何処だい?」

「え、それは――」

「百日家かな」

「ちが、ちがう。そんな場所――」

「『なくていい』?」

「――っ!」

 海堂に対して、本能的な恐怖を抱く。

(違う、洛さんはこんな人じゃない)

 何度脳内で否定しても、その恐怖が塗り替わることは無く、増していくのみだった。

 不安な思いも、恐怖心も増して行く。

(大丈夫、僕なら兎も角、洛さんがあの家に恨みを覚える理由なんて――)

 否定できる材料を探しても、恐怖は拭えない。


「鈴、帰ろう。大丈夫だよ」

(そう、大丈夫。きっと――)

「悪い夢を見ているだけさ、鈴」

「うん……」

 海堂は百日を抱きしめる。

 百日も思考を停止させ、目を瞑る。


「朝になれば、元通り」

 自己暗示をかけるかのような、百日の言葉に、それを肯定するかのように海堂は頭を撫でる。

(この人――危険だ)

 林道の直感がそう告げる。

 海堂が何を考えているのか、最早理解できない。


 しかし、百日に対する愛情が本物だということは知っている。

 そう、だからこそ理解が出来ないのだ。

 こんな暗示をかけるかのような、海堂の姿が。


 だからといって、林道に何かが出来るわけでもない。

 狂気の愛を持った海堂を止めることも、自己暗示をかけるような百日にも、声をかけられない。

(でも、これで分かった)

 林道は一つの答えに辿り着く。


 それは、今日までの三人での関係を否定するようなものでありながら、覚えていた違和感。

 心の何処かで考えたくなかった答え。

(あの人に似ている人なんて、この世の何処を探してもいないんだ)

 心の支えを一つ失った感覚を覚える。


「帰ろうか、鈴。君の家に」

「うん……」

(百日さんを任されることは複雑だったけれど――)

 そんなことを言っていられる状態ではない。

 海堂と百日を引き離さなければ、どうなってしまうかが分からない。


 まして海堂は、この世を去ろうとしている。

 それも、百日を置いて、だ。

(厄介なことになってきた気はするが……)

 蛇の目持ちに何の感情もないと言ったら嘘になる。

 けれど――百日鈴にその感情をぶつけるのは間違っている。

 それくらいは理解していた。


 けれど、どうやって引き離す?

 林道は思考を巡らせる。

 当然、答えは出ないのだが。


「……送っていきましょうか? 夜も深いですし」

「いえ、林道さんのお手を煩わせるわけには……」

「夜道はお二人が思っているより、危ないものです。未成年を守るには、大人二人のほうが安心でしょう?」

「それは……」

 返答に迷いつつも、林道が引き下がることはないと気づいていた。

 あまり長い時間を此処で費やしても仕方がない。


「では、お言葉に甘えて」

 微笑む海堂と対称的に、林道の笑みは冷ややかなものだった。

「林道さん、一人で帰るの……危なくないですか?」

 漸く林道に目を向けた百日は、その身を案じた。

「大丈夫ですよ、僕はもう大人なので」

「そっか……」

 その一言を残すと、百日は疲労と睡魔からぼんやりとした表情を浮かべた。

 そうして、同じ道を三人で歩く。

 きっと、これが最初で最後なのだろうと、気づきながらも。


 朝、百日が目を覚ますと、普段と何一つ変わらない光景が広がっていた。

 そう――気味が悪いくらいに。

「おはよう、鈴。表情が暗いけれど……なにか嫌な夢でも見たのかい?」

「あ……うん。ちょっとだけ……」

 知ってしまっては、普段通りに接することが出来ない不器用さ。

 百日鈴の不器用さは、家族である海堂が一番良く知っていた。


 だからこそ、百日を抱きしめ頭を撫でる。

「大丈夫。全部……全部、悪い夢さ」

「うん、分かってる。分かってるんだ……」

「鈴は、さ――誰と生きたい?」

「へ? それは……」

 どういう意図の質問か、百日には理解が出来なかった。

 だからこそ、言葉が詰まる。


「洛さん、だよ。でも、どうして、そんなこと……」

「ううん。大した意味は無いんだ。ただ、鈴もそろそろ反抗期かなって、ね」

(そんなこと、洛さんがこんな強引に確かめるわけがない。だから――これも嘘だ)

 嘘が積もっていく実感。

 それはとても冷たく、心の底が秋風に吹かれた様に寂しく感じた。

 百日のために吐いた嘘だとしても、海堂自身のために嘘だとしても、これ以上積み重なった先にあるものは――崩壊だけだ。


「鈴? どうかしたのかい?」

「洛さん、最近……なんか、変だよ」

「変?」

 その目は笑っていない。

 海堂の表情は、ツギハギに見えた。

 愛情と歪み、嘘と本当。

 本能的恐怖を感じるその表情に、百日は喉が詰まる思いだった。


「だって、深夜に外出ること無かった……。それと、僕に声をかけないことも、無かった」

「……そっか。昨日のこと、覚えているんだね」

「え、っと」

「それは夢だ……って言ったのに、ねぇ?」

「あっ……え、っと」

 何も返答が出来ない。

 百日の不器用さを利用して、嘘を重ねる。

(ああ、駄目だ。これじゃあ――アイツらと同じだ)


「……ごめん、なさい。夢とごちゃまぜになっちゃったみたい、です」

「……いや、良いんだ。鈴……大好きだよ」

 それは、それだけは、本心だった。


(だから私はやはり……鈴を開放するべきなんだ)

 けれど、手放し難い。

 どちらの感情も両立するものだ。


「ごめんね、鈴。お詫びに今日は……ご馳走を作ろう」

「……うん。楽しみにしてる」

 詰まりながらも紡いだ言葉。

 これじゃあ、何も変わらないというのに。

(分かってる、分かっているんだ)

 それでも、もう少しだけ……目を逸らしていたかった。

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