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四節

 帰り道の中でも最短の道を海堂は選ぶ。

 いつもと違う帰り道に困惑しながらも、百日は引かれた手を離すことはなく着いて行く。

「ねぇ、洛さん、そんな急がなくても……」

「急いでないよ」

 珍しく感情のこもっていない冷たい声色に、百日の思考は止まる。

(あ、だめだ。このままじゃ――いや、或いはもう)

 思考が停止した中で反響するのは、過去の記憶。

 本当の家にいた頃、締め出された日、そして気がついた頃には海堂の家にいた事――その全てを。


「洛さん――」

「鈴。先に家に帰っていてくれるかい?」

「な、なんで。一緒じゃだめなの?」

「ここから先の道は分かるよね? ……大丈夫さ、家で待っていてくれたら、私はちゃんと帰ってくるから」

「……っ、分かったよ」

 悔しさ、苛立ち、恐怖、色々な感情が瞳を覆う。

 早足でその場を去る。海堂にだけは、涙がバレないように。


「……ごめんね、鈴」

 海堂は一人その背中を眺めた。

 暫く、正確にはその背中が闇に溶け込むまでの間、海堂は見守るように眺め続けた。

 その後少し俯いた後、公園へと足を進めるのだった。


 夜の公園は夕方来た頃と姿を変え、数少ない灯りが影をはっきりと映し出す。

 カラコロ、ジリリ、と虫の音色は静けさとは程遠い。

 夜風は心のざわめきに気づいているかの如く、切り裂くほど、と錯覚するほど鋭さを帯びた冷たさだ。

 秋とはいえ、今夜は一段と冷える。


 そんな中、月明かりがスポットライトのように佇む一人は、海堂に気がつくと、口を開く。

「お待ちしておりました。貴方なら来てくださると思っていましたよ」

 その人物は――

「林道さん、やっぱり貴方だったのですね」

「おや、なんのことやら。僕は貴方の訪れを待っていた、ただの写真家に過ぎません」

「夕方、私と鈴を……視ていましたよね? そのカメラのレンズ越しに」

「だとしたら? ああ、貴方が褒めてくださった『真実と理想』の話でも、して差し上げましょうか?」

 その表情は海堂を嗤っている。

 伸びる影は夜闇に溶け、ガラス玉のように透き通った林道の目を強調するかの如く、街灯の光が差し込む。

 どこまでも透き通った、黒く深いその目は、海堂が視線を逸らすことを許さない。


「百日さんを孤独にしたあの日の海堂さんには驚かされました。まさか直談判で本人が混乱している内に引き取るなんて」

「……何故それを?」

「何故でしょうね。これは『真実』の話だからでしょうか」

「『真実と理想が同時に存在する』……なるほど、写真からそこまで読み取ったのですか? それとも――」

「そんな些細なこと、なんでも良いでしょう。貴方が僕に会いに来た理由はそこじゃない。そして僕もまた、貴方に尋ねたいのはそこじゃない……そうでしょう?」

「ええ、では単刀直入に。蛇目の命を狙っているのは――貴方ですか?」


 その言葉に林道は――笑った。

 否定でも、肯定でもない。ただただ、笑っていた。


「ふ、はは。僕が、ですか?」

「蛇目は、蛇の目を持っているものは、それだけで命を脅かされます。貴方がそこに関わっていると、私が勝手に思っただけです。出来ることなら……否定してください」

「……蛇の目は持っているだけで命を脅かされる、ですか。なるほど。貴方は僕がそれだけの理由で、蛇の目を持っている全員の命を狙っている、と仰いたいのですか?」

「少なくとも、私にはそう見えます」

「であれば、一つだけ訂正を。私が狙っているのは蛇の目持ちではない――ですよ」


 蛇目家、それは確かに存在することは知っている。

 それは蛇の目を正しく継承出来た家だったはず。


 海堂の認識は、少なくとも『正しい蛇目持ち』だった。

 蛇目の血を引いたものは、蛇の目を持ってしまう。

 しかし、本来の蛇目家は今は既に姿を消しているはず。

「海堂さん、貴方はまだ蛇目について正しく、そして詳しく知らない。百日さんがあの家の血を引いていようと、僕には興味がない。百日家は兎も角、百日鈴本人に自覚は有りませんので」

「なら、何故……私達を視ていたんですか。鈴の目に興味がないのだとしたら、何故……!」

「何故でしょうね」

 妖しげに笑う林道のその表情は、何処か自傷を含みながらも、寂しげに見えた。

 海堂の目に写った林道は、百日鈴とそう変わりない年頃の子供のようだった。

 一人になってしまった、子供のようだった。


「林道さん、貴方は――」

 声は自然と発声されたというのに、言葉はどうにも出てこない。

 何を言うのが正しいのか、間違いなのか、判断する余裕がなかったのだ。


「僕はね、写真を取るのが好きんですよ。喜んでくれる人が居たから」

 幼い表情を隠さない林道は続ける。

 しかし、その表情は海堂の心にざわめきを与えた。

「皮肉だと思いませんか? そんな……僕にとって大切な人を失ってから撮る写真は、昔よりも評価されているんですよ」

 海堂は落ち着かない心を宥めるように、胸を抑える。

「『真実と理想が同時に存在する』でしたっけ? 本当に……嗤わせてくれる」

「……貴方には、何が見えているのですか」

「思い切ったことを聞きますね。言ったでしょう? 『大したものではない』と。この世界はどこまでも歪で、美しい。それは僕がレンズを通して見た物事への感想です。僕の目に映る全ては、僕の感情を

「それが、貴方の答え……ですか?」

 林道はただ、目を細め笑った。


「また後日、ゆっくりお話をしましょう。海堂さんも、僕に言いたいことは山ほどあるでしょうし、僕も同じく」

「はい……また後日……。鈴が家で待っていますので」

 その場を海堂は足早に離れる。


 そんな海堂とは正反対に、林道は動く様子がなかった。

「……はぁ」

 ため息を吐いた彼の心情は穏やかなものではなかった。

 どす黒く濁った心にヒビが入り、そこからドロドロと溢れ出て行く感覚。

 動きたくない、というわけではないのだ。動けないのだ。

 心の重さが体の重石になったかのように、足を動かす気力もない。


 そうだ、彼らは嫌になるほど酷く似ている。

 酷く似ているが故に、自らの感情を乱される。

 酷く似ているが故に、冷静さを欠いてしまう。


 その場に蹲り、目を瞑る。

「歪で、美しくて……残酷。優しさなんて、どこにもないじゃないですか」

 そっと、目を開く。

 そこには誰も居ないけれど、林道は手を差し出し問いかける。


「――教えてくださいよ、朔さん」

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