帰り道の中でも最短の道を海堂は選ぶ。
いつもと違う帰り道に困惑しながらも、百日は引かれた手を離すことはなく着いて行く。
「ねぇ、洛さん、そんな急がなくても……」
「急いでないよ」
珍しく感情のこもっていない冷たい声色に、百日の思考は止まる。
(あ、だめだ。このままじゃ――いや、或いはもう)
思考が停止した中で反響するのは、過去の記憶。
本当の家にいた頃、締め出された日、そして気がついた頃には海堂の家にいた事――その全てを。
「洛さん――」
「鈴。先に家に帰っていてくれるかい?」
「な、なんで。一緒じゃだめなの?」
「ここから先の道は分かるよね? ……大丈夫さ、家で待っていてくれたら、私はちゃんと帰ってくるから」
「……っ、分かったよ」
悔しさ、苛立ち、恐怖、色々な感情が瞳を覆う。
早足でその場を去る。海堂にだけは、涙がバレないように。
「……ごめんね、鈴」
海堂は一人その背中を眺めた。
暫く、正確にはその背中が闇に溶け込むまでの間、海堂は見守るように眺め続けた。
その後少し俯いた後、公園へと足を進めるのだった。
夜の公園は夕方来た頃と姿を変え、数少ない灯りが影をはっきりと映し出す。
カラコロ、ジリリ、と虫の音色は静けさとは程遠い。
夜風は心のざわめきに気づいているかの如く、切り裂くほど、と錯覚するほど鋭さを帯びた冷たさだ。
秋とはいえ、今夜は一段と冷える。
そんな中、月明かりがスポットライトのように佇む一人は、海堂に気がつくと、口を開く。
「お待ちしておりました。貴方なら来てくださると思っていましたよ」
その人物は――
「林道さん、やっぱり貴方だったのですね」
「おや、なんのことやら。僕は貴方の訪れを待っていた、ただの写真家に過ぎません」
「夕方、私と鈴を……視ていましたよね? そのカメラのレンズ越しに」
「だとしたら? ああ、貴方が褒めてくださった『真実と理想』の話でも、して差し上げましょうか?」
その表情は海堂を嗤っている。
伸びる影は夜闇に溶け、ガラス玉のように透き通った林道の目を強調するかの如く、街灯の光が差し込む。
どこまでも透き通った、黒く深いその目は、海堂が視線を逸らすことを許さない。
「百日さんを孤独にしたあの日の海堂さんには驚かされました。まさか直談判で本人が混乱している内に引き取るなんて」
「……何故それを?」
「何故でしょうね。これは『真実』の話だからでしょうか」
「『真実と理想が同時に存在する』……なるほど、写真からそこまで読み取ったのですか? それとも――」
「そんな些細なこと、なんでも良いでしょう。貴方が僕に会いに来た理由はそこじゃない。そして僕もまた、貴方に尋ねたいのはそこじゃない……そうでしょう?」
「ええ、では単刀直入に。蛇目の命を狙っているのは――貴方ですか?」
その言葉に林道は――笑った。
否定でも、肯定でもない。ただただ、笑っていた。
「ふ、はは。僕が、ですか?」
「蛇目は、蛇の目を持っているものは、それだけで命を脅かされます。貴方がそこに関わっていると、私が勝手に思っただけです。出来ることなら……否定してください」
「……蛇の目は持っているだけで命を脅かされる、ですか。なるほど。貴方は僕がそれだけの理由で、蛇の目を持っている全員の命を狙っている、と仰いたいのですか?」
「少なくとも、私にはそう見えます」
「であれば、一つだけ訂正を。私が狙っているのは蛇の目持ちではない――
蛇目家、それは確かに存在することは知っている。
それは蛇の目を正しく継承出来た家だったはず。
海堂の認識は、少なくとも『正しい蛇目持ち』だった。
蛇目の血を引いたものは、蛇の目を持ってしまう。
しかし、本来の蛇目家は今は既に姿を消しているはず。
「海堂さん、貴方はまだ蛇目について正しく、そして詳しく知らない。百日さんがあの家の血を引いていようと、僕には興味がない。百日家は兎も角、百日鈴本人に自覚は有りませんので」
「なら、何故……私達を視ていたんですか。鈴の目に興味がないのだとしたら、何故……!」
「何故でしょうね」
妖しげに笑う林道のその表情は、何処か自傷を含みながらも、寂しげに見えた。
海堂の目に写った林道は、百日鈴とそう変わりない年頃の子供のようだった。
一人になってしまった、子供のようだった。
「林道さん、貴方は――」
声は自然と発声されたというのに、言葉はどうにも出てこない。
何を言うのが正しいのか、間違いなのか、判断する余裕がなかったのだ。
「僕はね、写真を取るのが好き
幼い表情を隠さない林道は続ける。
しかし、その表情は海堂の心にざわめきを与えた。
「皮肉だと思いませんか? そんな……僕にとって大切な人を失ってから撮る写真は、昔よりも評価されているんですよ」
海堂は落ち着かない心を宥めるように、胸を抑える。
「『真実と理想が同時に存在する』でしたっけ? 本当に……嗤わせてくれる」
「……貴方には、何が見えているのですか」
「思い切ったことを聞きますね。言ったでしょう? 『大したものではない』と。この世界はどこまでも歪で、美しい。それは僕がレンズを通して見た物事への感想です。僕の目に映る全ては、僕の感情を
「それが、貴方の答え……ですか?」
林道はただ、目を細め笑った。
「また後日、ゆっくりお話をしましょう。海堂さんも、僕に言いたいことは山ほどあるでしょうし、僕も同じく」
「はい……また後日……。鈴が家で待っていますので」
その場を海堂は足早に離れる。
そんな海堂とは正反対に、林道は動く様子がなかった。
「……はぁ」
ため息を吐いた彼の心情は穏やかなものではなかった。
どす黒く濁った心にヒビが入り、そこからドロドロと溢れ出て行く感覚。
動きたくない、というわけではないのだ。動けないのだ。
心の重さが体の重石になったかのように、足を動かす気力もない。
そうだ、彼らは嫌になるほど酷く似ている。
酷く似ているが故に、自らの感情を乱される。
酷く似ているが故に、冷静さを欠いてしまう。
その場に蹲り、目を瞑る。
「歪で、美しくて……残酷。優しさなんて、どこにもないじゃないですか」
そっと、目を開く。
そこには誰も居ないけれど、林道は手を差し出し問いかける。
「――教えてくださいよ、朔さん」