「産まれた?!産まれたよね?!あれうちの子の声だよね?!」
興奮して騒ぐユキの隣で晃は魂が抜かれたような顔で未だ開かないドアを見つめていた。
「どうしちゃったの?晃!嬉しくないの?」
嬉しくないはずはない。
けれど生まれたならすぐ知らされるはずじゃないのか?
どうして誰も出てこないんだ?
子供は、匠は無事なのか?
聞こえなくなった産声に背中を冷たい汗が伝う。
そして子供の誕生をただ楽しみに浮かれていた自分にどうしようもなく腹が立った。
匠は命懸けでひとつの生命をこの世に送り出そうとしている。
そして子供も精一杯の力で俺たちの元に辿り着こうとしている。
一歩間違えばどちらも失う可能性があるなんてさっきまで微塵も考えてなかった。
「ユキ……どうしよう。」
その場に膝をつき湧き上がる不安に潰されないよう両手で自分の肩を抱く。
「大丈夫!先生がついてるよ」
ユキはそう言うと晃に纏わりつく恐怖の影を追い払うようにわざと強く背中を叩いた。
それから30分が過ぎようやく手術中のランプが消えてドアが開いた。
そして両手に白い包みを抱いた成宮医師が姿を表す。
「先生!」
同時に叫び駆け寄る2人の前に医師はにっこりと笑って抱いていたものを見せた。
そこには口や手をもこもこと動かしながらおくるみに包まれて幸せそうに眠る赤ん坊がいた。
「可愛い……」
ユキがうっとりと呟くと小さな指が照れるようにモジモジと動く。
「元気な男の子ですよ。パパ、抱いてみますか?」
「はい」
そっと託された無垢な命は不安に押し潰されそうだった晃に心配するなと言わんばかりの眼差しを向けた。
「可愛いな」
次から次へと涙が溢れる。
この子のためならどんな事でも出来ると感じる。
産まれてくれてありがとう。
月並みなその言葉が今ほど心に刺さった事はない。
ぎゅっと抱きしめると苦しいのか不満そうに身じろぎをしてまた眠ってしまった。
「先生、匠は」
「大丈夫ですよ。病室に移すのですぐ会えます。もう暫く待っていてください。」
成宮医師はそう言うと赤ん坊を大事に受け取りドアの向こうに消えていった。
痛かった。
本当に痛かった。
俺は縫われて大変な有様の自分のお腹を見た。
あれだけ大きかったお腹に入っていたのは本当に小さな赤ちゃんで。
もうすっかりいないはずなのにまだもう1人残ってるんじゃ?と思うほど全然元に戻っていない。
「お疲れ様でした。よく頑張りましたね」
「ありがとうございました。先生のおかげです。」
俺と子供の命の恩人はいつも穏やかで落ち着いていて、産まれた子供が産声を上げなかった時も周りの騒ぎをものともせず適切な対応をしてくれた。
この人に会えてよかった。
そう思うと馬鹿な真似をした事も無駄ではなかったと思える。
「赤ちゃんは暫く保育器で過ごすのでママは病室に戻りましょうか」
「ママ……」
その響きになんとも言えない顔をしてしまった。
「気に入りませんか?なんて呼ぼうかなあ。」
くすくす笑う医師に匠でいいですと伝える。
「じゃあ匠さん。部屋に戻りましょう」
「はい」
早く晃とユキに会いたい。
「匠!おめでとう!すっごい可愛い子だった!」
「ふふっ。俺も思った」
先に病室で待っていてくれたユキと顔を見合わせて笑う。
「大変だったもんね。僕は今日はもう帰るね。あとは2人でゆっくりして」
気を遣っているのか早々に病室を去ろうとしたユキに待ってと声をかけた。
そして晃の方を見る。
晃は微笑んで頷く。
「ユキにお願いがあるんだ」
「え?なになに??」
「子供の名前を付けてほしいんだ」
「え……」
ユキは驚いて俺と晃を交互に見た。
「でもそんな……一生呼ぶ名前だよ?そんなの僕には付けられない」
「ユキにも一緒にこの子の親になって欲しいから。」
「え?」
「だから名付け親になってほしい」
ユキの手を握りそう懇願する俺に、ユキは綺麗な瞳を潤ませてありがとうと呟いた。
「じゃあみんなが気にいる名前を急いで考える」
笑顔でそう言いながら部屋を出て行くユキを、俺たちは手を振って見送った。
「お疲れ様。無事でよかった。」
「長い時間待っててくれてありがとうね。本当に痛かったよ。想像以上だった。あ、傷見る?」
慌てて首を振る晃に笑って冗談だよ伝える。
「早く赤ちゃんと一緒に過ごしたい」
「そうだな」
忙しくなりそうだけど
どんな事も全部覚えていたい。
これからは3人で家族になるんだ。
そっと俺の手に自分の手を重ねる晃は見た事ないほど満ち足りた幸せそうな顔をしている。
きっと俺も今同じ顔をしてるんだろう。
幸せというのがどんな気持ちなのか
生まれて初めて知ったような気がした。
翌日。
俺は見舞いに来てくれた晃と一緒に、保育器の中の子供を見てホワホワと幸せな気持ちになっていた。
「目元が晃だね」
「俺はこんな凛々しく無いよ。ちっさい口は匠かな?」
「こんなぷっくり唇じゃないけどね」
それぞれのいいところだけを取って更に進化させたような顔立ちに将来への期待が止まらない。
そんな俺たちの事なんて意にも介さず可愛い顔でぐっすり眠っているこの子は、間違いなく天使だと親バカを発揮させていると成宮先生が笑いながら近付いてきた。
「明日には保育器から出て同じ部屋で過ごせますよ」
「うわ!楽しみ!」
「そんな事言えるの今だけですよ。2時間おきに目を覚まして泣きますし。全然眠れないと思うので疲れたら声かけて下さい。こちらで引き取って面倒見ます」
そんなもんなのか。
それでも自分でちゃんと世話をしたい。
俺は成宮先生にお礼を言うと再び保育器に入れられた小さな命を見つめた。
「そうだ、丁度お二人なので今後の話をしてもいいですか?」
そう言って俺達を談話室に案内してくれる。
晃が押してくれている俺の車椅子もゆったり入れる薄いグリーンの壁の明るい部屋だ。
「まず出生児検査ですが希望のものはありますか?」
差し出された紙にはいくつもの難しい名前の検査名が書いてある。
「どれも子供には痛みのない負担がない物です」
そのリストには遺伝子検査もあった。
口には出してないが俺には一つ気がかりな事がある。
オメガは基本的にヒートの時しか妊娠しない。
直人と過ごした最後のヒートから晃との初めてのヒートはかなり間が開いているから晃の子供であると考えるのが妥当だけど。
もしもヒート以外でも子供ができるとしたら。
離婚する前夜に直人に抱かれた時に出来た子供という可能性はないだろうか。
「匠」
突然晃に声をかけられ思わずびくっと身体が揺れる。
見上げると晃は俺を見てにっこり笑い守るように肩を抱いた。
「この検査はいらない」
俺の目線の先にあるそれを指して晃がきっぱりと言う。
「意味のない検査はしない。どうしたってあの子が愛しい事に変わりはないんだから。
先生、した方がいい病気に関する検査だけ最小限でお願いします」
晃はそう言うと早速日程について成宮先生と打ち合わせを始めた。
そうだ。
あの子が愛しいことに変わりはない。
それは何があっても揺るがない。
俺は滲む涙を溢れさせないように何度も瞬きをした。
夕方になってユキが見舞いに来てくれた。
手には色紙のようなものを持っている。
「赤ちゃん見てきたよ!本当に可愛い。並んでる子供達の中で一番可愛い」
既にユキもあの子の虜だ。
「わざわざありがとうね。明日からは一緒にいられるみたいだから抱いてやって」
そう言うと弾むような笑顔を見せた。
「それから……」
ユキは俺たちの前におずおずと持っていた色紙を向ける。
「名前考えたんだけど。どうかな。」
そこには一文字、【祈】と書かれていた。
「いのり……」
「そう。祈くん。沢山の人があの子の元気な誕生を祈った。そんな風に祝福されて産まれてきたあの子が今度は人のために祈れるような優しい子に育ちますようにって」
なんて素敵な名前なんだろう。
俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。
晃も同じだったようで黙って俺の手を強く握りユキを見ている。
「あっ?気に入らない?ごめん、もう少し考えるよ!」
俺たちの沈黙を誤解したユキは慌ててそう言って色紙を仕舞おうとする。
晃がその手を掴んでありがとうと言った。
「すごくいい名前だ。感動した。」
「うん。俺も気に入った。すごくいい名前。」
ユキはずっと俺達を見守ってくれていた。
学生の頃から辛い時も楽しい時も。
他の誰でもないそのユキがそんな風に考えて付けてくれた名前。
それがとても嬉しい。
「やっと明日から名前を呼んであげられるね」
そう言って3人で笑った。
こんな日が来るなんて想像も出来なかった。
思えば泣いてばかりだった気がする。
でも、それは誰のせいでもなくて
ただ巡り合わせが噛み合って無かっただけで……。
それも全部この未来に繋がっていたのかと
今なら分かる。
昔の自分を
大丈夫、幸せになれるよと抱きしめてあげたい。
退院から3ヶ月後。
成宮先生の言った通り俺は祈に振り回されていた。
「もーなんで寝ないのかな?祈、夜更かしはダメだよ」
その夜も寝かせるとぐずる祈を抱いて家中を彷徨う。
「匠、交代しよう」
帰宅した晃が俺の腕から祈を抱き取った。
「晃明日も仕事なんだから……」
「大丈夫だから風呂に入っておいで」
「ありがとう。じゃあちょっと家事もさせて」
「いいよ」
祈がいない腕はなんだかすーすーして寂しい。
そんな事を思いながらゴミを出すついでに郵便受けを見るとエアメールの絵葉書が届いていた。
とても綺麗な青い海と白い建物が並ぶ街。
どこの国だろうか。
差出人の名前はない。
ただ一言
Congratulations on your baby
とメッセージが印刷されていた。
誰だろう。
海外に知り合いはいない。
けれど以前直人がこんな景色の写真集を持っていた気がする。
「もしかして直人かもしれないね」
最後に病室で別れてから一切連絡が無いのでどこにいるのかも分からないけど。
晃はそんな俺の言葉に複雑な顔で祈ごと俺を抱きしめそうだといいなと言った。
直人も祝ってくれてると思うと育児の大変さすら誇らしい。
「よーし!今の間にちゃちゃっと掃除しちゃおう!」
そう言って勢いをつけ立ち上がるとふらっと世界が回り危うく転倒しそうになった。
「匠!」
既のところで足を踏み出し大事には至らなかったけど頭がふわっとして身体が熱い。
「大丈夫か?病院に行くか?」
「大丈夫。寝不足かな」
そう言ったものの馴染みのある感覚にはたと気付く。
あ……
これ発情期だ。
そう気付いた途端、顔がかっと赤くなった。
実は一緒に暮らしてからも晃は俺に触れてない。
男性オメガの妊娠は危険を伴う事も多いので大事を取って2人で出産後の発情期で正式に番になろうと決めたのだ。
体を重ねたのは祈を身籠ったあの一晩だけ。
すっかり家族になった晃に妙な気恥ずかしさを感じ顔もまともに見られない。
そんな俺の態度にふらついた原因を理解した晃は俺と同じように顔を赤くして挙動不審になった。
「匠……」
「えっと……祈が寝たらね?」
「……っ!」
子持ちの2人が顔を赤くしてソワソワしているのだから周りに人がいたら何を今更と笑われただろう。
それでも半分意識のなかった前回と違い本当の意味で初めての夜になると思うと恥ずかしくていても立ってもいられなかった。
「祈、早く寝ような」
「晃!」
突然祈を横抱きにして早く寝かせようとする晃が面白くて少し緊張が和らいだ。
少し順番は違ったけど。
俺たちはこうして
家族になって
夫婦になっていくんだ。
これから先も
ずっと。