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第12話 さよなら

直人視点続き



翌日、俺はマンションで諸々の手続きを行った。

「本当にこれで良いのですか?」


大久保からの問いには答えずサインした書類を彼に手渡す。


「行くぞ」


「……承知しました」


大久保の運転する車の後部座席に乗り込む。

シートに深く身を沈めると、なめらかな動作で車は動き出した。


「……優斗なら俺の子供を産んでくれただろうか」


「え?」



そんなことを考えても仕方のないことだけど


優斗が子供を産めたなら

病気になっていなければ

匠と結婚しなければ


匠を……愛しく思わなければ



何かが変わっただろうか。




「子供ですか……」


大久保が呟く。


彼もまた後悔も葛藤も沢山しただろう。

我が家に恩があり生涯尽くすと決めていても大久保にとっても優斗は大切な一人息子だったのだから。


「大久保、頼んでいた資産の売却は終わったか?」


「はい。時間はかかりましたがいい条件で引き取り手が見つかりました。けれど本当に宜しいのですか?」


やっと軌道に乗ってきた自分の手掛けた事業だ。

全ては優斗の治療費のために。



「もう必要ない。契約が締結したら他の資産と一緒に全て匠の口座に振り込んでくれ」


贅沢しなければ一生暮らせるだけの額はあるはずだ。


「全てですか?直人様はどうなさるんですか?」


先日思いの丈を全て親父にぶちまけて勘当されたばかりだ。

大久保の心配ももっともだろう。


「大久保は親父のところに戻ってくれ。話は通してある」


「直人様?馬鹿な事は考えないで下さいよ」


大久保の声が緊張をはらむ。


「心配はいらない。しばらく旅に出ようと思ってる」


優斗が憧れて終の住処にしたいと言った異国の小さな街。

そこに優斗を連れて行く。



「どのくらいでお戻りになりますか?」



その問いには沈黙で答え窓の外の景色を眺めた。

ポツポツと降り出した雨がこの街から色も音も消してゆく。


美しいもの幸せなものは雨に流れて全て匠の元に届けばいい。


もう俺には必要のないものだから。











直人が病院に来てくれた日から1週間が経った。


腕の傷は快方に向かっていたがそれに併せて始めたリハビリは思うように進まず左手の親指から3本はまだ動かない。


けれど長引く入院はそのせいではない。


あの日から一切の味覚がなくなったのだ。


何を口に入れても食感の違いしか感じられずそれがお菓子なのか肉なのかも分からないので必然的に食欲は無くなり胃が小さくなって満足に食事が取れなくなった。


子供のためにと必死で喉に詰め込むが全部戻してしまうのでいつまで経っても点滴は外せないままでいる。


そんな俺に晃は忙しい仕事の合間を縫って毎日お菓子や料理を持って見舞いに来てくれる。


そして面会時間が終わるまで天気の話から季節の話、これからの暮らしのことや子供の事なんかをのんびりと話して帰って行く。

帰り際に必ずお腹を撫でて子供への挨拶も忘れない。


俺はそんな晃を見ながら申し訳なさと不安に押しつぶされそうになった。



晃は俺の中にまだ直人がいることに気付いている。

それなのにこれから一緒に暮らしたいという。


もし俺が運命の番で無ければ一緒になろうなんて思わないだろう。



それほどに強い運命の番の絆。



晃はそれに振り回されているだけじゃないのか?


ただのアルファとオメガならこんな面倒な俺と番おうなんてきっと思わない。

俺の存在は晃のアルファとしての輝かしい人生や幸せな家庭への夢を台無しにしてしまうんじゃないだろうか。



運命の番なんて


綺麗な言葉で飾ってみても

こうなるともはや呪いでしかない。





そんな事を考えていると動悸が激しくなってきた。

吸っているのに酸素が入って来ず何度も深呼吸を繰り返す。


このまま死ぬんじゃないかと恐怖に取り憑かれてどこかに身を隠そうと体を起こし、ベッドから転がるように落ちた。


「匠!」


強かに打ち付けた肩の痛みに少し気がそれたところにユキの声がした。


泣きそうな顔で俺を見下ろしている。


ああ俺は最近ユキにこんな顔ばっかりさせてるなあ。


誰より元気で明るくて可愛い子なのに。


「ごめんユキ」


「なんで謝るんだよ」




心配かけてごめん

無理に笑顔を作らせてごめん

晃の運命の番がこんな俺でごめん



心の中でそう呟いてユキを見上げる。


「ひどい顔色だね匠」


ふふっと力なく笑うユキのふんわりとした薄い茶色のくせ毛が優しく揺れた。


「こんなとこにいるから余計な事ばっかり考えちゃうんだよ。僕なら気が滅入ってとっくにおかしくなってる。ねえ退院してうちに来ない?すぐ晃のとこ行くのは抵抗あるでしょ?」


「え?」


どうして分かるんだろう。


「いいの?」


「当たり前じゃん!先生に聞いてくるね」



俺は元気に病室を出ていくユキの後ろ姿を見送りながら自分の思考がさっきよりずっと楽になっている事に気が付いた。









「あんまり一度に色々なことがあったから頭が混乱してるんだよ」


ユキの家のソファで暖かいココアを手渡され毛布を体に巻かれた俺はやっと普通に呼吸が出来るようになった。


あの後、先生と話をつけたユキは光の速さで退院の手続きをしてベッド周りの荷物をまとめ俺を家に連れて帰ってくれた。


「まずは優先順位ね」


目の前に卓上のカレンダーが置かれペンを持ったユキがパタパタと紙を捲る。


何をするんだろう。


俺は好奇心で少しワクワクした。

こんな気持ちは久しぶりだ。


「まずは匠の出産予定日」


そう言うと赤いペンでカレンダーにくるくると可愛い花丸がつけられる。


「そうすると赤ちゃんのお世話のために指のリハビリは……」


半年後の日付に力こぶのイラスト。


「この辺りまでに動かせるようにするなら自宅でのリハビリと週に一回は通院だね。匠の主治医は水曜担当だから」


半年後までの水曜全部に鉄アレイのマーク。


知らなかったけどユキは絵が上手だな。


「これが外せない予定。後は少しずつ埋めていこ!」


にっこりと笑うユキの顔を見ていると理由のわからない涙がどんどん溢れてきた。


「泣くなよーもー!」


「だって……」


「大丈夫!晃と暮らすのが嫌ならずっとここにいていいよ。僕自宅での仕事だし子供が生まれたら一緒に面倒見てあげられるしね」


「ユキ……子供嫌いだろ」


「嫌いじゃないよ」


そう言うと俺を見上げた。


「色々あって僕もう子供産めないんだ。だから匠の子供の成長を一緒に見守りたい」


「え?」


初耳だ。


「まあ人生色々あるんだよー」


そこには触れて欲しくなさそうだったので俺は黙ってココアを口にした。


ユキのように甘いココアは喉を通るとカカオの苦味がゆっくりと滑り落ちる。


俺だけじゃない。


生きていれば辛いことも沢山ある。

大事なのはそこからの巻き返しだ。


カレンダーに書いてもらった事で決心が固くなる。

悩もうがどうしようが予定日には子供は生まれるんだ。


じゃあそこを目指して自分はどうすればいいか。

どうしたいのか。



今のうちにしっかり考えよう。

全ては生まれてくる子供のために。



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