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第6話 消えていく自分


次の日の朝


目覚めると俺はすぐに直人のいる病院に向かう為に身支度を整えて家を出た。



どうするのが正しいのかとか

まだ全然分からないけど


昨日子供のように泣いていた直人を放ってはおけない。






直人は孤独な人だった。


アルファの中でも最上級と言われる力を持った彼は、そのカリスマ性ゆえに周りは取り巻きばかりで真に友人と言える人は居なかった。



優斗が全てで唯一の人だった。



そんな魂の片割れのような人を亡くしたら混乱して当たり前だし、今そんな直人の側にいられるのは俺だけだ。




そんなことを考えながら病院行きのバスに揺られているとスマホに晃からメッセージが届いた。



ただ俺の身を心配する短い言葉になんとも言えない温かい気持ちになり

今夜会おうと返事をしてから気持ちを切り替えるべく、深呼吸をした。












「おはよう優斗」


「……おはよう直人、怪我の調子はどう?」


分かっていてもその名前で呼ばれるのはつらい。


「痛みもないし大丈夫だ。来月には退院出来るらしい」


「そっか。良かった」



目の前の直人は昨日より落ち着いているものの、どこかうつろな目をして窓の外を見ている。



「直人食べたいものとかある?」


「……パエリア作れる?魚介のやつ」



俺は驚いて直人を見る。

それは直人の好物で俺の得意料理だ。


俺のことを……思い出しているんだろうか。



「じゃあ明日作って来るね」


「楽しみにしてる」



そう言って少し優しい顔になった直人は腕を差し伸べて俺を呼んだ。


上半身だけ起こしたベッドに身を預けたまま、側に来た俺を優しく抱きしめて頬にキスをする。




ああ……直人の匂いがする。


抱きしめ返して逞しい首筋に顔を埋めると、直人がゆっくりと髪を撫でキスを落とした。



触れる指も優しい唇の感触も

何もかも以前と変わらない。



けれど直人が今腕に抱いているのは「優斗」だ。



愛おしげに背中を撫で顔にキスの雨を降らして



何かを囁くように耳元に顔を寄せている

その相手は優斗なんだ。



「はい!そろそろ横になった方がいいよ。俺洗濯してくるね!」


込み上げる涙に耐えきれなくなり、そう言って直人の腕からするりと身をひく


直人は少し残念そうに「そうだな」と言ってベッドに横になった。







諦めようと思った。

家を出て少し諦められるかと思った。


会わなければ忘れていく。

そう思ってた。



洗濯室に着き直人のシャツを洗濯機に入れる。

途端にフワッと彼の匂いが俺を包んだ。

思わずそのシャツを引き戻し抱きしめる。




こんなの今までと同じじゃないか。

いやそれより悪い。




今までは俺の側に居てくれる間は俺だけを見てくれていた。


けれど今は



一緒にいても直人は俺を見ない。

死んだと思っている俺のことを二度と直人は愛してくれない。


俺を抱きしめても

キスをしても

好きだというのも


全部優斗にだ。





それでも

思い知らされる。








俺はこんなにもまだ直人が好きだ。






直人の病室を後にしたのはもう陽も傾きかけた頃だった。


帰りのバスに乗るために停留所に向かって歩いていたが、重たい石を飲まされたような感覚で足の動きは酷く緩慢なものだった。





病室に戻って2人きりでいる間

直人はずっと死んだと思っている俺との思い出話をしていた。


初めて会った時のこと

初めて食事したこと

初めてのデート。

結婚式や新居に引っ越した時の笑えるトラブル。


俺にとってはどれも楽しくて幸せな記憶だったけど


それを語る直人は

時折涙声になりながらつらそうで


それでも

口に出す事で一つ一つの出来事を過去のものにしようとしているように見えて、身体中を鋭利なナイフで刺されるような痛みを覚えた。





直人は俺を

思い出にしようとしている







不安と寂しさに潰されそうになっていた時

晃から携帯に着信があった。


それだけで驚くほど救われる。



「匠!ずっと心配してたんだ。何があったんだ?」


変わりない晃の声にホッとした。



「ちゃんと話したいから今から行ってもいい?」


「勿論だ。ユキにも声かけとく」


「ありがとう。1時間くらいで着くよ」


俺はそれだけ言って電話を切り、晃の家を目指した。





「おかえり!遅かったね!入って」


インターフォンを鳴らした瞬間、ユキが勢いよくドアを開けて飛び出してくる。


「心配してたんだよ。何があったの?直人さん絡みだよね?」


「無事に着いて良かった。携帯も繋がらないし今ユキと探しに行こうかって言ってたんだ」


不安そうな顔をして俺を見ている二人。


ふと手元の端末を見ると確かにすごい数の着信とメッセージがあった


「ごめん。考え事しながら歩いてたから」








俺は気持ちを切り替えて

昨日からのことを二人に全て話した。







「そんなの酷いよ」


ぐずぐずと泣くユキと対照的に押し黙って下を向く晃。


ユキの泣き声だけが部屋の空気を静かに震わせていた。


「匠はどうしたいの?」


ふいに晃が顔を上げて俺をみた


「俺は……」


少し澱みながら言葉を続ける。


「直人を放っておけない。一緒にいて支えたい。」





「そうか」




晃は目を閉じてうっすらと笑った。


「匠らしいな」


その寂しい子供みたいな表情にぎゅっと胸を鷲掴みにされたような気分になった。



どうしてこんなに苦しいんだろう。




「僕は反対だよ!違う人の名前を呼ばれてずっと生きていくの?!匠は匠だよ!優斗さんじゃない!晃はどうなんだよ!匠を諦められるの?!」


「仕方ないだろ。昔から言い出したら聞かないもんな?匠は」


そう言われて耳が痛い。

確かに彼の言う通りだ。


「ユキそれより顔洗って来いよ。明日デートって言ってなかった?目が腫れて彼氏に嫌われるよ」


「晃の意地悪!そんなことで嫌いになる人じゃありません!でもちょっとだけ鏡見て来る」


そう言いながらユキがバタバタと洗面所に消える。


本当に彼氏に嫌われたら俺のせいだな。

いやあのユキがそんな相手を選ぶ訳ない。

いつだってお姫様なんだから。


そんな事をぼんやり思っていると、晃が俺をじっと見つめた。


「でも俺は匠を諦めないよ」


「え?」



「直人さんとは離婚してるんだから以前とは違う。僅かでも俺を見てくれる可能性があるなら絶対諦めない」


「晃・・」


「覚えてて。匠が結局直人さんを選ぶ事になっても俺は一生匠だけを愛してる」





そんなこと言わないで欲しい。

俺は直人を愛してる。

この一年直人だけを見て直人のためだけに生きてきた。

離婚を選んだのだって嫌いになったからじゃない。

優斗と幸せになって欲しいからだ。



ちゃんと分かってる。

優斗が亡くなっても直人は俺のものにはならない。

記憶が戻っても戻らなくても

直人が俺だけを愛してくれる事はないって。


それどころか近い将来

直人は俺という存在の記憶を箱に詰めて片付けてしまうだろう。



でも


分かってても


それでも今直人の手を離す事は出来ない。




それなのに……




晃は何も言えずに俯く俺に悪戯っぽく


「まあ俺の勝手な気持ちだから気にしないで。アピールはするけど嫌なら言って。それで諦めたりはしないけどね」


と笑った。



その夜は結局そのまま解散となりユキが迎えにきた彼氏と帰った後、家までの短い道のりを晃と一緒に歩いて帰った。


「近いんだから送ってくれなくていいのに」

「俺がもう少し匠と一緒にいたいんだよ」


さらっとそんな事を言われて顔が熱くなる。


「匠。その……検査した?」

「なんの?」


「子供。もし出来てたら無理出来ないし早めに分かった方がいいかと思って」


そう言えば昨日からの騒ぎですっかり忘れていた。


「明日にでも調べてみる」

確か結婚してた時に買った簡易検査キットがまだあったはず。


「うん。連絡して」


「わかった」




「なあ匠。もし出来てたら産んでくれる?」


言葉に詰まる俺に晃は慌ててごめんと謝った。


「急ぎ過ぎた。出来てたら考えればいい事だもんな。

色々考えることはあるけど一つずつ解決していけたらいいと思ってる。言いにくいことも話して。俺の気持ちは変わらない」




「うん」



ありがとう、と小さい声で呟いた俺にお休みと手を振り背中を向けて踵を返す晃。



それを見送って家に入った俺は皆が寝静まった実家のキッチンで直人のためにパエリアを作り始めた。




どうすればいいのかまるでわからない


こんな日が後どれくらい続くんだろう。






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