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第5話 いてくれてよかった

震える声で病院の名前を告げ、なるべく急いで欲しいと伝えたタクシーは、安全を考慮した上での最速スピードで現地に俺を送り届けてくれた。


「匠様、こちらです」


エントランスホールに入ると、大久保さんが小走りで駆け寄って来る。


「お待ちしておりました。ご案内します」


彼に置いていかれないよう必死で足を動かすものの、緊張で足が強張り、上手く歩けない。

転びそうになった俺は、慌てて近くの壁に手をついた。


「匠様、大丈夫ですか」


「直人……さんの容体は……」


縋るように大久保さんの腕を掴んで声を絞り出す。


「大丈夫、大丈夫です。ただ問題があるので先に状況をご説明させてください」


「問題?」


その時、何か言おうとした大久保さんを、すれ違う看護師が呼び止めた。

そして「ご遺族の方ですか?」と俺に向かって尋ねる。


えっ……


ご遺族?


「あ、はい。私が伺います」


大久保さんがそう答えて看護師と何か話し始めた。


ああそうか。

俺は離婚したから


もう他人なんだ。

だから遺族じゃないんだ。


……遺族?


じゃあ直人は??



言葉の意味に気付いた瞬間、俺の身体がガタガタと震え出し、声も出せないままその場に崩れ落ちる。

それに気付いた大久保さんが、慌てて俺の元に駆け寄り膝を折って言った。


「違います。亡くなったのは社長ではありません」


え?直人じゃない?

どういうこと?

でも遺族って?



「亡くなったのは芳賀優斗です」




……え?




「そんな……」



「少し座って話しませんか」


大久保さんに支えられて俺はひとまず近くのソファに座った。

そしてしばらくして落ち着いてから大久保さんに事故の詳細を聞いた。


直人は優斗の運転する車で出かけた際に事故に遭ったらしい。


カーブで中央線をはみ出したトラックと正面衝突。

運転席側は大破し優斗は即死だったそうだ。



「社長の外傷は骨折だけです」


……良かった!


不謹慎ではあるが、そのことに俺はひとまず安堵する。


「問題ってそれだけですか?」


俺の問いに言いにくそうに「実は精神的な方で……」と言葉を濁す。


それはそうだろう。

大切にしていた唯一無二の人がいなくなってしまったんだから。


「匠様には私の独断でご連絡をしてしまいました。お詫びのしようもございません。社長の父親である大旦那様にも連絡をとりましたが、おいでにはならず……私もどうしたら良いか途方に暮れまして」



要領を得ない大久保さんの話し方に得体の知れない恐怖を感じた。


「とりあえず直人と会わせてください」


「……けれど」


「大丈夫ですから」


「……はい。ではこちらへどうぞ」



良くない想像ばかりが頭の中でぐるぐる回る。

けれども会ってみないことには何も始まらないのだ。




総合病院の最上階。

特別室の広いベッドに直人は横たわっていた。


大久保さんの呼びかけにも答えず静かに外を見ている。

顔の擦り傷や足のギプスが痛々しいが、確かに見たところ他に怪我はないようだ。


「直人?」

そっと名前を呼ぶ。


ハッとしたようにこちらを向いた直人は俺に向かって手を伸ばした。


俺はそっと近づいてその手を取る。

氷のように冷たいその感触に、肘まで悪寒が駆け抜けた。


「死なせてしまった。俺のせいだ。俺が運転なんてさせなければ……」


「直人、直人のせいじゃないよ」


意識もしっかりしている。

記憶もある。

想像していたよりは悪くない。



「どうしよう。死なせてしまった。大切な……ただ1人の家族だったのに」



「……うん、そうだね」




この期に及んでまだ胸に痛みは走るけれど……




「大切にすると約束したのに。離婚届を出すまでに悩んでいたなんて」


……えっ?


直人は上半身をゆっくり起こし、俺を抱きしめながら囁くように言う。








「匠を……匠を死なせてしまった」








え?どう言うこと?

記憶障害を起こしているのか?

これが大久保さんの言っていた問題……?




「俺は……ここにいるよ。直人」


そう言う俺に直人は泣きながらこう言った。





「優斗は優しいな。お前がいてくれて本当に良かった」





それからも静かに泣き続ける直人を見かねた医者が、彼に安定剤を打つ。

ゆっくり眠りに落ちる様を見届けて、俺は大久保さんと隣の談話室に移った。



「驚かれましたよね。医者が言うには脳に異常も無かったので一過性のものだろうと。匠様に会えば正気に戻るかと思ったんですが」



俺を見て「優斗」と呼んだ。

直人の目には俺が優斗に見えているんだ。



「直人は……優斗さんの死が受け入れられないんですね」



「……そうですね」



「それってつまり、優斗さんを死んだと認めるくらいなら俺が死んだと思った方がマシだったってことですよね」


「匠様!」


大久保さんが驚いたように俺を見る。


「仰っていたでしょう?唯一の家族だって自分を責めて泣いておられたじゃないですか」


わかってる。

わかってるけど。


「医者の言う通り一時的に混乱しているだけです。直人様は匠様をとても大事にされていました。いつでも戻って来られるようにお部屋はそのままですし、優斗とは結婚の意志はありませんでした。先ほどの言葉通り、匠様は直人様の唯一の家族です。どちらを失った方がマシなどと仰らないで下さい」


俺は膝に置いた手をぎゅっと握った。



「でもそんなの優斗さんに不誠実です。俺とは契約結婚なんだからさっさと忘れて優斗さんと幸せになれば良かったのに」




「匠様」



大久保さんは穏やかに言葉を続ける



「直人様は優しいけれど家庭環境のせいで人の気持ちに疎い方です。

匠様が出て行かれた時、原因が思い当たらずとても驚かれておりました。けれどそこでやっと匠様が自分を愛しておられたと気付かれたようです。

けれど優斗と別れることは出来ないと、後は追われませんでした。

その代わり優斗との法的な結婚はしない、戻るかどうかわからないあなたを待ちたいと。

二人で決めたようです。

どちらにしても後天性のオメガは妊娠できません。子を成すなら相手は匠様だけだとご実家にもはっきり仰っておられましたから」




そんなこと知らなかった。

じゃあやっぱり……




「もしかしてうちへの援助も続けてくれているんじゃないですか?」


「はい。引き続き、と直人様から指示されております」


俺の脳裏に機嫌の良かった両親の顔が浮かんだ。





悪いのは俺なのに。

勝手に好きになって

勝手に傷ついて

勝手に離れて



そんな俺のために





「……なんですか、二人で俺を待つと決めたって。俺から直人を奪って高笑いするような、そんな人なら良かったのに!」


自分の腕に抱えられるものは限られている。

いつでも最優先する大事な人。

そんな相手は1人でいいんだ。






別の形の愛なんて必要なかったんだよ。直人。














「匠様、お疲れでは無いですか?

本日は急にご連絡を差し上げて申し訳ございませんでした。ご自宅までお送りします。後はお任せください。」



その言葉にはっとして見上げると深々と頭を下げる大久保さんが目に入った。


「とんでもない。知らせてもらえて良かったです。今後のことは少し考えさせてください」


「勿論です」


直人の為にまた来てほしいと言いたいはずなのに。

俺が優斗と呼ばれ続ける限り、傷つくことが分かっているからあえて言わないんだろう。それがとても大久保さんらしい。


まだ一年という短い付き合いではあるけれど

この人がいれば直人は安心だと思える。




「それにしても大久保さんがあんなに慌てた所見たことがなかったのでびっくりしました。」


電話での様子を思い出し、そう言った俺に、ぎこちない笑顔で彼は言葉を返した。




「優斗は訳あって養子に出しましたが、私の愚息でございました。柄にもなく取り乱してしまい秘書失格でございます。

また優斗の事で色々と匠様にはお辛い思いをさせてしまって申し訳ございませんでした。

それなのにそんな優斗の気持ちを慮って下さり本当にありがとうございました。」


その姿を見て、先ほど看護師が遺族の方と声をかけたことを思い出した。



俺は驚き、先程より更に深く頭を下げる大久保さんにかける言葉もなく立ち尽くした。












そのあと手配された車で実家まで送り届けてもらい、今日のことを考えながら自室のベッドに横になった。




俺はどうするべきなんだろう。

どうしたいんだろう。


誰と一緒にいたいんだろう。



直人のこと

晃のこと

いるかもしれない子供のこと


そしていなくなってしまった優斗のこと


一度も会ったことは無かった。

でもまだ直人のことをなんとも思っていない時に好奇心で直人の携帯に入っていた写真を見たことがある。


線の細い綺麗な人で、心配になるくらい痩せていたっけ……。


直人が俺のところにいる間、どんな気持ちで帰りを待っていたんだろう。

優斗は優斗で苦しい夜を過ごしていたのかもしれない。



誰かが幸せな時、別の立場の誰かは不幸なのだ。


優しさは自分に向けられている間は良いけれど違う人に向かっている時

地獄にいるような苦しさを味わう。





それはまるで甘い毒のようだと思った。









目を閉じてぼんやりしていると、携帯が鳴った。

開くと晃とユキから沢山の俺を心配するメッセージが入っている。


なんだか話をする気になれず、二人に心配無い旨の短い連絡を入れ、携帯と目を同時に閉じた。

今日はもう何も考えたくない。




同じ人を愛した

彼の魂を悼みながら俺は眠りについた。










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