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第2話 好きだよ

俺のヒートが明けて直人の外泊が続くようになった頃、珍しくユキが家に遊びに来てくれた。


「なんかあったのか?」


「なんかないと来ちゃいけないの?」


相変わらず憎まれ口を叩くけど、おすすめの本や話題の映画のDVDなんかを沢山持参してくれたところを見ると、一人で家にいる俺を心配してくれたんだろう。


「そういえば子供はまだ出来ないんだっけ」


「うん」


子供を産むために結婚したのに一年を過ぎてもまだ授かる気配はない。


「俺ヒート始まるのも遅かったしな。」


「気持ちの問題じゃないの?」


「気持ち?」


「子供が出来たら直人さんは役目を終えて晴れて恋人の元に行けるわけじゃん。だから子供出来るのが怖いとか?」


ユキの言葉はあえて考えないようにしていた不安を、ものの見事に抉り出す。


「匠、直人さんのこと好きなのは分かってるけどあんまり自分を追い詰めたら壊れちゃうよ」


真面目な顔でそんな事を言うユキを見ながら

俺はぼんやりと綺麗な顔をしてるなーとかまつ毛長いなーなんて余計な事を考えてた。




俺がユキくらい可愛かったら。

優斗より先に直人に会っていれば。

あなたを好きになってしまいましたと正直に伝えられたなら。



何かが変わったのだろうか。







「最初から愛のない契約結婚だったんだ。それなのに直人はすごく優しい。優斗のところに行く時も必ず俺を気にしてくれるし3日以上の外泊はしない。これ以上望んだら贅沢だよ」


ただその気遣いは愛ではない。

広い家で俺が一人では寂しいだろうという優しさだけだ。



「これは言うつもりなかったんだけど」


ユキは一度言葉を切ってからゆっくりと話し出した




「匠は晃の運命の相手だよ」




え?

なに?

俺が晃の運命の相手?



「そうだよ。晃はずっと早くから気付いてた。」


「えっ,俺は全然気づかなかった。匂いも何もしなかったぞ?」


「晃は薬を飲んでるんだよ。間違っても匠を襲ったりしないように。そして匠にヒートが来て気付いてくれるのを待ってた。それなのにヒートが来る前に匠は直人さんと番になっちゃったんだよ」


そうか番が出来たらもう他の人のフェロモンには気付かない。

ましてやずっと薬を飲んでいるなら尚更だ。

俺は無意識に首の噛み傷に触れた。


「急にそんなこと言われてもどうすればいいのか分からないよ」


「別に何もしなくて良い。晃には言うなって言われてたし。でも匠には別の人生もあるってこと伝えておきたかったから」


「別の人生……」


俺はまるで他人事のようにその言葉を繰り返した。





その時、玄関の鍵が開く音がして、直人が帰って来た。


「ただいま。ユキくん来てたのか。夕食はデリバリー頼もうか?」


「直人さんお邪魔してます!いえ、僕もう帰るんでお構いなく。ありがとうございます」


「気にせずゆっくりして行ってくれればいいのに。大歓迎するよ。まだしばらく匠には寂しい思いさせると思うから。」


そう言って優しく微笑む直人。

その言葉を聞きながら、まだこれ以上そんな思いをするのかと暗い気持ちになった。


……せっかく久しぶりに顔が見られたのに。


「やっぱり今日は帰ります。じゃまたね匠」


「うん、ありがとう」


「ユキくん気をつけてね」


「はーい」


ユキを見送り玄関から戻った俺を直人は「ただいま」と言って優しく抱きしめた。

嬉しくて泣きそうになる。


「ごめんな三日も家を空けて」


「大丈夫だよ。1人でのんびりしてたから」


そう強がると直人は笑った。


「今日は匠に伝えなきゃいけないことがあるんだ」


直人はそっと俺をソファに座らせた。

嫌な跳ね方をする心臓を抑え、大人しくそれに従う。


こんな話の切り出し方をされたのは初めだ。

もしかして別れ話?


「なに?怖いなあ」


俺は精一杯の作り笑いを顔に貼り付けた。



「実はね、優斗がオメガに変化したんだ」


「……え?」 


頭を殴られたような衝撃で目の前がぐらりと傾いた。

なに?どういうこと?

優斗がオメガに??


「最初は信じられなくて何回も検査のやり直しを頼んだ。でも結果は同じだった。十万人に一人くらいはあるんだってね。知らなかった」


直人は興奮に頬を染め、嬉しそうに話している。


……直人の言うようにオメガに変化するベータは一定数いる。

理由はホルモンの異常だったり、そもそもオメガだったのに検査時点で数値が低くて誤検査される者だったり。


……それからアルファに恋をして体が変化する極稀な場合も。





「そうなんだ凄いね」


咄嗟に返事はしたものの頭がついていかない。

意味はわかるのに理解ができないのだ。



「恐らくこれからは優斗にもヒートがくると思うんだ。だからその時は少し長く家を空けることになるからその了承を得たくて」


了承?

そんなもの必要ないよ。

俺がダメだなんて言えるわけないんだから。


「もちろんだよ。側にいてあげて」


「ありがとう匠」


俺が直人に求められていた たった一つの事がオメガ性だった。



それすら



それすらも優斗は持っていってしまうのか。









俺の隣で微笑む直人からは、やっぱり違う家の匂いがする。


それがずっと不快だったけど。




むしろ優斗のいるその場所が直人の本当の家なんだと、今更ながらに気付かされた。








その日の夜。


ふと目覚めると隣には直人がいて、ベットサイドの小さな灯りで本を読んでいた。


普段はかけない眼鏡をかけた横顔を、気付かれないように胸に刻み込む。

見慣れた柔らかい表情とは違い、真横に結んだ唇や高い鼻梁、伏し目がちなところもすごく魅力的だ。


改めてこの人が好きなんだと思い知らされると同時に、先ほどの言葉が蘇り涙が溢れる。


優斗がオメガになった。

その事実より


そう話した時の直人の嬉しそうな顔が

忘れられない。



泣き顔を見られないように布団に潜ると直人が布団ごと俺を抱きしめた。


「匠ごめん」


「なにが?」


「びっくりさせたね。匠の気持ちも考えずいきなりあんな話しをして」


俺の気持ち?

俺が直人を好きだと気付かれてるの?

それなら正直にこの思いを伝えてもいいの?


意を決して口を開きかけた俺に、布団ごしに直人が囁く。


「ちゃんと実家の援助も続けるから大丈夫。安心して匠」






……違うよ



違うよ直人!


俺の目からまた涙がぽろぽろと零れた。


それを安堵だと思ったのか、直人が優しく続ける。


「何も変わらない。今まで通りだよ。全てをあげると約束しただろ?」





愛以外とあなたは言った。


今、その愛だけが欲しくておかしくなりそうだ。








大きな身体にしがみつきキスをねだる俺に、触れるだけのキスをくれる直人。


「ヒートじゃないけど抱いて欲しい」


恥ずかしさで真っ赤になりながらそう言って彼を見上げる俺に、直人は驚き言葉を無くした。


「ヒートじゃないのに?」


確認するように俺の言葉を繰り返す。



俺たちの間に恋愛感情はない。

直人はそう思ってる。

だからこそ今まで子作り以外で抱かれたことはなかったのだから。


伝える事で苦しめるなら何も言わない。

言わないまま


このままでどうか直人を感じさせて欲しい。



「今日はどうしたんだ?」


「夫婦なんだからたまにはいいでしょう?またしばらく留守にするみたいだし」



わざと罪悪感を与えるような言い方をして直人のシャツのボタンに指をかける。


俺が本気だと分かったのか直人は戸惑いながらもキスをくれた。


ヒートの時とは違うゆっくりと這う優しい指先

身体中に降らされるキスの雨

心ごと抱かれるような時間に今まで感じたことのない感情がこぼれ出し流れていく。


「どうして泣いてるの。きつい?」


「違うよ。気持ちいいからだよ」


子供の出来ないセックスを

俺がどれだけ憧れ望んでいたか

直人は知らない。


夢は叶った。


ゆっくり揺さぶられながらうわ言のように好きと囁く俺に直人はうんとだけ返事をする。



いいんだ。

これで。


こんな事ねだるのは最初で最後だから許して欲しい。



優斗に返してあげるよ。

だってオメガになったのなら直人の子供を産めるんだから。

……もう俺は必要ない。





……今まで沢山大事にしてくれてありがとう。

人を好きになるのがこんなにつらいって幸せだって初めて知った。


別れてもきっと

直人が人生で一番大事な人だ。








朝目覚めると直人はいなくなっていて、テーブルに小さなメモ書きが残されていた。


「優斗のヒートが始まりそうなので暫く家を空けます。困ったことがあったら大久保に連絡して下さい。」


乱れた走り書き。

優斗から急な連絡が来たんだろう。

メモの下には直人の秘書である大久保さんの連絡先が残されていた。



……落ち込んでいる場合じゃない。

俺は俺の人生を切り拓いていかなきゃいけないんだ。


ベッドから起き上がりシャワーを浴びた。

鏡に映るのは痩せて顔色の悪いオメガ。

そんな貧相な身体を唯一華やかに彩るのは、昨夜直人がくれた情欲の名残だ。

首筋から胸元まで花が咲いたように美しく踊る紅を俺はうっとりと眺めた。






タトゥーのように一生残せるのなら。

思い出だけで生きていけるのに。










「とりあえずこれで全部かな」


多くない自分の荷物をボストンバックに詰める。

元々持ち物は少ないし、直人に貰ったものは全部置いていこうと決めていた。


「短い間だけど楽しかった」


そう呟いてテーブルの上にサインした離婚届を置いた。




これは、直人への気持ちを自覚した時に用意したものだ。

耐えられなくなったら出すつもりだった。


それがたった1年で使う事になるなるなんて……



閉めた鍵をドアポストに滑り落とし、駅に向かう道のりをのんびり歩いていると、心が少し軽くなった気がした。


二人は悪くない。

悪いのは約束を守れず、直人を好きになってしまった俺だ。


それなのに……


帰らない直人を思ってどうしても優斗を憎んでしまう夜があった。

その度に自己嫌悪に陥り寂しさに涙を流し自分が嫌いになる毎日だった。




それももう終わり。


俺は新しい人生を生きるんだ。








いくつか電車を乗り継いで、実家の最寄駅に着いた。

ホームを出てぼんやりと家のある方向を見る。

ここから歩いても十分くらい。

そんな近場でありながら俺の足を重くさせるのは、離婚したと話した時の両親の反応だ。

想像だけで胃が痛くなる。


とにかく直人を悪者にしないように優斗の事は伏せて上手く話さなければ。


他に帰るところもないんだし。



俺はカフェで時間を潰そうと久しぶりの馴染み駅を見渡した。



「匠?何してるんだ?」


「えっ?」


振り向くと、見慣れたイケメンがスーツを着て俺を見ている。

普段なら渡りに船とばかりに助けを求めただろう。

普段なら……。


「晃!奇遇だな!急いでるからまたな!」


俺は回れ右をして足速にその場から去ろうと試みた。

……だが、晃は俺の前に立ちはだかり腕を掴む。


「奇遇も何もここは俺の家の最寄駅だし、ちょうど仕事が終わる時間だ」


そうだった。

いつも思うが俺は考えが足りない。


「その荷物……まさか?」


「まあ、その……色々あって出戻りだ。」


「!」


その時の晃の顔。


嬉しいような心配なような何とも言えない表情が晃らしくて俺は思わず吹き出した。


「今から実家に帰るのか?」


「そのつもりだ」


「少しうちに寄らないか?話したい事がある。」


「……でも」


気まずいが、久しぶりに晃のお母さんにも会いたい。

晃の弟だってすっかり大きくなっただろう。


何より実家に着くのは少しでも遅い方がいい。


「じゃあ少しだけ」


俺がそう答えると晃は嬉しそうに俺から荷物を奪い、さっさと前を歩き出した。






「……あれ?」


しばらく歩いて晃の家に着いた。

だが。


そこは俺の知っている晃の家では無かった。


「お前いつから一人暮らししてんの?しかもこんな実家のそばで」


「就職してすぐかな。帰り遅い日が多いし親にも迷惑かけるから」


そう言って慣れた様子で紅茶を淹れてくれる。

俺が好きな銘柄覚えていてくれたんだ。


「今日はたまたま定時で帰れてラッキーだ。まさか匠に会えるなんて」


そう言って笑う晃。

本当に嬉しそうに。



(匠は晃の運命の相手だよ)




そう言ったユキの言葉が空っぽの体の中に響く。



本当にそうなら


晃は今の俺みたいな気持ちで

ずっとずっと生きてきたんだろうか。


何年も何十年も。

俺にはそんな素振りを一切見せずに。



「匠?」


「!なに?」


「お茶冷めるよ」


「あ、うん!ありがとう」


俺は慌ててティーカップを両手で持ち上げる。


「あ、そうだ!話したい事あるんだろ?なに?」


頭の中からユキの声を消すためにわざと明るい声で話を振った。


「匠」


「な、なに?」


その不審な態度に晃はため息をつく。



「おおかたユキに聞いたんだろ。運命の番の話」


うっ。



「……聞いたけど……本当なのか?俺は全然分からないから……」


「そうだよな」


自嘲気味な笑顔を見せる晃に少し胸が痛んだ。


「直人さんと本当に別れたのか?」


「うん、まあ離婚届置いて出て来ただけだから話し合いとかはしてないけど」


でも直人が離婚を拒否する理由は何もない。成立したも同じだろう。


「すぐじゃなくていい」


「……へ?」


「すぐじゃなくていいから、落ち着いたら俺との未来を考えてくれないか」


突然の、あまりにストレートな言葉に心臓がギュッと痛む。


「いや、まだ別れたばっかりだから先のことは考えられなくて……」


ずるい言い方で逃げを打つ俺を、晃は泣きそうな顔で見つめた。


「分かってる。まだこんな事言うべきじゃ無いって。でも俺は待って待って結局匠を攫われた。もうあんな思いは嫌なんだ。」


ズキリと全身に晃の思いが突き刺さった。


好きなのに

好きな人には大切な人がいる。

そのつらさを誰よりも知ってるから。



結婚式の時、晃は笑って俺に幸せになれと言ってくれた。

どんな思いでその言葉を贈ってくれたのか。


今の俺なら分かる。



寂しさも諦めも悔しさも恋しさも全部分かるんだ。




「急がないから。ただ次に誰かを好きになるなら俺にしてほしい」


間近で見る晃の目は子供のように頼りなく揺れて、俺は分かったと短く返事をするのが精一杯だった。




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