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06 ティハーミとイーアド

 糸のような月がかかった夜空の下を、土方たちを乗せたジープが進んでいく。

『あいつ――、――ちまったんだ』

 運転しているティハーミが何か言ったが、左之助のいびきでよく聞きとれなかった。左之助は後部座席に座って大きないびきをかいて寝ている。潜入任務にこれほどふさわしくない人間もいないだろうと誰もが思ったが、大きな戦力であるかれを外すわけにはいかなかった。


「なんだって? 大きな声で言ってくれ」

 土方が呼ばわった。

 ティハーミは左之助をちらりと見て苦笑しながら、

『あいつは変わっちまったんだ』

「誰のことだ」

『イーアドだよ。昔は、あんなやつじゃなかったんだ』

「昔からの知り合いなのか?」

『そうさ』

 ティハーミは、どこか遠い表情をして言う。

『おれたちが、まだイスラム包括運動という組織にいたころの話だ。おれたちはこの国で、神の教えに従う生きかたを模索していた。皆が助けあって生きるために、孤児院や病院を運営していたんだ』


「孤児院ですか?」

 と、助手席でスナイパーライフルを抱えている沖田が訊いた。カリフ国と孤児院は、まったく相容れないもののように思えた。

『そうだ。神が望んでおられるのは、平和で建設的な社会なんだ』

「カリフ国は、まったく逆のことをしているように思いますが」

『おれもそう思う。しかしイスラム包括運動が国軍に弾圧されて潰滅すると、力で復讐するべきだと考える人間が出てきたんだ。おれたちもその一員だった』

「な、なんで弾圧されたんですか?」

 沖田が心底不思議そうに訊いた。

『政治に介入しようとしたからさ。国軍が動いて、イスラム包括運動の人間は裁判を受けることもなく投獄されて殺された。目障りなイスラム教徒を排除したいと考えている国が、裏から手を引いていた』


「人間のやることは変わらんな」

 と、土方が感慨深げに言った。

 長州勢をはじめとする倒幕思想家たちと、血で血を洗う戦いを繰り広げてきた新選組副長として、なにか思うところがあったらしい。

『イーアドはその頃、妻と子供を爆撃で亡くして、心が死んでしまったようになった』

「ちょっと」

 沖田が口をはさんだ。

『なんだ?』

「前方に……ありゃいったいなんですか」

 スナイパーライフルを構えて、沖田が怪訝な顔をした。

 砂煙のようなものが、うすく月明かりに照らされて、舞っているように見えた。



 月夜の砂漠を、砂煙をたててトラックの車列が移動していた。

 こちらにむかってくる。

 武装しているらしく、荷台には銃座らしき影が見えた。

「戦いますか?」

 沖田が簡潔に訊いた。

『無理だ。おれたちがカリフ国にむかっているのがバレちまう』

 ティハーミは焦ったように早口で言った。

『後ろに隠れろ。おれがごまかしてみせる』


 それを聞くなり、沖田はスナイパーライフルを持ってひらりと後部座席に飛び移った。

「ふぐっ」

 寝ていた左之助が沖田にのしかかられて、うめき声をあげた。

「な、なんだなんだ!?」

「馬鹿野郎、静かにしろ」

 土方が左之助の頭を押さえつける。そのまま転がるように座席の足元に身を伏せた。

「ほいほい。スマホの電源切っとけよ」

 平助がジープに積んでいた背嚢はいのうをどさどさと投げて、三人のすがたを隠していく。最後に自分も折り重なるようにして背嚢のかげに隠れた。じゃき、と銃弾がライフルの薬室に送りこまれる音がひびいた。


 武装したトラックの列が近づいてくる。

 一発の銃声がひびき渡った。

 止まれ、と言っているのだ。

 ティハーミはジープを路肩に寄せた。

 やがて先頭の、ボロボロの日本製トラックがジープの横に止まり、車列が停止した。

 トラックから降りてきた兵士が、小銃に付けられたライトで遠慮なくティハーミの顔を照らした。


『おいおい、まぶしいよ。あんたらどこに行くんだい?』

 先手を打って、ティハーミが愛想よく言った。

 顔に深いシワの刻まれた兵士が怪訝そうに問う。

『お前、カリフ国の兵士か?』

『そうじゃなかったら、しっぽを巻いて逃げてるよ』

『所属と姓名を言え』

『カリフ国ハディナ県第一大隊第三聯隊第五中隊第四小隊ジョヒ分隊所属の、ティハーミ・アブン・ハーフィズ兵卒だ。うまく言えたかな?』

『黙れ』

 兵士はそう言って、トラックから出てきた部下とおぼしき人間にむかって顎をしゃくった。部下がタブレットを操作しはじめる。

 おそらく名簿のようなものを参照しているのだろう。ティハーミは戦闘中に脱走したため、カリフ国では戦死あつかいになっているだろうと推測して本名を名乗っている。


 やがて、部下の差しだすタブレットを見た兵士は不審げに言った。

『お前、戦死してることになっているが』

『なんだって、じゃあここにいる俺は誰なんだ?』

 ティハーミは笑いながら言った。

 兵士は首をひねって、

『報告しておく。それよりどうしてこんな時間に行動している?』

『医薬品の搬送さ。熱で変質する薬品もあるからな』

 ティハーミは、助手席に置いたダミーの背嚢を広げてみせた。中には、錠剤や点滴のパッケージが入っている。


 兵士はようやくライトを消した。言い訳するような口調で言う。

『むかう方角からしてお前は違うと思うが、最近じゃあ脱走する連中があとを立たんからな。気をつけろよ』

『お互いにね』

 兵士たちが戻っていく。トラックの列がうなりをあげてジープの横を通りすぎていく。目の前を過ぎ去っていく荷台の重機関銃は、戦場に慣れたティハーミの目にも禍々《まがまが》しく感じられた。


 しばらくたってから、

「ぷっはぁ!」

 と平助が背嚢を押しのけて顔を出した。

「やるじゃねえかおめえ!」

 嬉しそうに運転席の座席をぐらぐら揺らす。

『わわわ。いや、うまくいって良かったよ』

 土方と沖田も出てきて、

「ふむ。見事な演技だった」

「さすがですねえ」

 と口々に言った。

 最後に、のっそりと左之助が背嚢の山から出てきた。

 目出し帽の頬の部分に、べったりと足跡がついている。

「おめえら! 踏むんじゃねえ!」

 どうやら隠れるときに、いちばん下になったらしい。



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