「浮気だと?」
中隊長と左之助の恋は、思いもよらぬ方向に進んでいたらしい。
『ああ。サノが他の女に手を出しかけて、冷静に怒った中隊長が、ずどんよ』
ウルミスタン義勇軍の歩哨は6時間ごとの交代制である。簡素な日よけの下で、ずっと見張っていなければならないので、比較的退屈な任務だった。
だから寡黙な土方も、つい引きこまれるように話を聞いていた。
「まさか、撃たれたのか?」
『らしいぜ。中隊長愛用のルガーP08で、こめかみをかすめるように撃たれたんだと』
「聞いたことねえ銃だな」
『そりゃあんたらは知らないだろうさ。百年前の拳銃だからな』
それを聞いて土方はぷっと吹きだして、
「骨董品じゃねえか」
『だから、運が悪けりゃ死んでたかもな』
「悪運の強い野郎だ」
ちなみに左之助は昔、もののはずみで切腹しかけたことがある。仲間がかけつけて運良く命はとりとめたが、それからは「おれの腹は刃物の味を知ってるんだぜ」と言って自慢している。その自慢に今度は鉛玉の味が加わったわけである。
そういえば、と土方は思う。
確かに左之助は二、三日前から、頭に鉢金を巻いていた。
寝るときも外さないので理由をたずねると、「常在戦場。いかなるときも戦場と心得よって言うだろ」とうそぶいていたが、なるほど左之助は男女の道という戦場に出ていたらしい。
――もっとも、そのふるまいは誠の道からはだいぶ外れているようだが。
と、土方は苦笑した。
『トシさんはどうなんだ?』
見張りの相方から話題をふられて、土方は軽く流すことにした。
「なにもないさ」
『本当かよ』
「無論だ」
とりつく島もない土方に、相方はあきらめたように、
『まあ、あんたは何があっても言わないからな』
と言った。
土方は、本心では、幕末と呼ばれる時代に残してきたお琴のことが気がかりだろう。
だが言わない。言わないことでこの男は自らを律してきたし、隊士たちの前で弱音を吐くわけにもいかなかった。
ただひとり、歴史好きのミューはお琴のことを知っているはずだったが、彼女も何も言ってこない。土方はそれでいいと思っている。
百五十年もの時が流れた今、彼女にしてやれることなど何もないのだから。
太陽が昇ってきた。起伏に富んだ岩砂漠のむこうには、熱さのあまりかげろうが立っている。ゆらゆらと揺れている。琴の音など絶対に聞こえてこないこの地で、G3ライフルを肩にかけた土方は、真昼の暴君と呼ばれる日光のまぶしさに目をほそめた。
誰かが、いる。
「おい」
土方は、折りたたみ椅子に座ってぼんやりしていた相方に声をかけた。
ベルトに吊した双眼鏡をとって、のぞきこんでピントを調整する。
『なんだありゃあ』
相方も、怪訝そうに言った。
誰かがラクダに乗っている。一直線に近づいてくる。かげろうに揺れる双眼鏡の視界のなかで、ラクダに乗った人間は橙色の服を着ていた。
『異常発生。繰り返す。異常発生』
腰に吊った携帯無線を取りだし、相方が中隊に報告する。
『正体不明の人間ひとりがラクダに乗ってむかってきます。やつは……オレンジの服を着ています』
しばらくの後、携帯無線のスピーカーから下士官の声が聞こえてくる。
『ウルミスタン義勇軍国際免責条項第十一条三項のA該当の攻撃を許可する。近づけるな』
相方は携帯無線を持った手で、はじかれたようにG3ライフルの装填ハンドルを引いた。つづいて土方も同じ動作を行った。
乾いた金属音がひびき、銃弾がライフルの薬室に送りこまれた。
ちかづいてくる。もうすでに肉眼でもはっきりと見える。橙色の服を着た男は、ふらふらと不安定に揺られながらラクダに乗っている。
『止まれ! 止まれ!』
銃を構えた相方がさけんだ。
聞こえていないのか、なにか思惑があるのか、男は止まらない。
「おい」
銃を構えながら土方が訊いた。
「あいつは、捕虜じゃないのか」
橙色の服は、イーアドたちが捕虜に着せていた服と同じように見えた。
『だから危ないんだよ。絶対に近づくなよ』
相方はそう言って、もう一度止まれとさけんだ。
だが止まらない。もう、表情まではっきり見えるくらいに近づいている。日よけの布をかぶった、あごひげの長い男は、ラクダに揺られながらどこか虚ろな表情をしていた。
『……助けてくれ』
口の端に泡をためて、よだれも垂れているように見える。その口から漏れるように助けをもとめる声が聞こえてきた。
「おい、病気か?」
銃口を上にむけて、土方が歩み寄っていった。どう見ても敵ではないように思えたのかもしれない。
『おい、戻れ!』
相方が焦った声でさけぶ。
『クソっ!』
ぱぱぱん、と三連続で銃声がひびいた。相方が空にむけて威嚇射撃を行ったのだ。
驚いたラクダが嘶いて、唾を飛ばしながら首を振った。
乗っていた男がバランスをくずし、前に伏せるように転落した。
地面にたたきつけられた瞬間。
爆発した。
炎が轟音とともに巻きあがり、男のからだが四散した。爆風で、ラクダが驚くほど遠くに飛ばされた。
一瞬の後、細かい血の雨が降り、それを覆うように黒煙がたちこめた。
土方は爆圧でよろめきながらも、一部始終を見た。
『……おい、大丈夫か!?』
相方に肩をつかまれ、土方は「ああ」とうなずいた。
そして理解した。
――新しい時代に来たのだ。