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07 アミル

 太陽の昇りはじめる時刻になると、朗々とした歌うような声が、基地に立てられたスピーカーから聞こえてくる。

 夜明け前の礼拝を告げる声だ。

 直訳すれば、「祈りは眠りに優る。夜明け前の礼拝をしましょう」という意味だ。

 ウルミスタン義勇軍は混成部隊なので、イスラム教徒の兵士だけがこの声に応じて礼拝をする。ほかの兵士は無視して寝ているが、イスラム教徒でもいいかげんなやつは、祈りをさっと済ませて二度寝していたりする。

 だが今日は、土方が見張りの当番であり、歩哨に立たなくてはならない。


 むくりと起きて、支度をする。見回せば、隊士たちはみな寝相悪く熟睡していて、苦しげに寝ている左之助の胸には平助の足が乗っていたりする。

 土方は装備をととのえて、水筒とスマート端末をベルトに吊した。銃の取り扱いに慣れた新選組を戦力とみなした中隊が、一人一人にスマホを支給したのだった。


 G3ライフルを肩にかけ、地平線だけが明るくなりはじめた夜空のもと、砂地をあるいていく。

 歩哨ほしょうは、中隊が保護している一般の集落を十分に見わたせる位置についている。

 日干し煉瓦づくりの家がならぶ村を通ると、両手に二つ、大きなポリタンクを持ったアミルがやってきた。おそらく水汲みの帰りだろう。


「よう。えらいな」

 声をかけてやると、アミルはよたよたやってきて、

『トシ兄ちゃん』

 と懐くように言った。

 ヒジカタ、という名前は、中東と呼ばれる西方の地では発音しにくい音なので、土方はだいたいトシ、とかトシ兄さんとか呼ばれている。

 はい、という感じでアミルは一方のポリタンクを差しだした。

 前歯の欠けた顔で無邪気に笑う。

「しょうがねえな」

 土方は、アミルの家まで水の入ったポリタンクを持って行ってやることにした。


 この集落に来て驚いたのは、住人の誰もが自然に助けあって暮らしていることだった。なにか助けてやっても、当然のことという顔で礼も言わないことさえあるが、言葉がわからなくて困っていると、「どうしたどうした」と集まってきてくれる。

 アフメドが言うには、神は必ず見まもっていてくださり、い行いはすべて神の知るところとなるので、この地域では自然に助け合いの文化が広まっているということだった。

 土方は、ぼちぼちと活動をはじめた住人を見ながら、どうしてこんなに気のいいやつらからカリフ国のような連中が生まれるんだろうと不思議に思っていた。


『こないだ言ってたうちのヤギさ』

 アミルが嬉しそうに言った。

 結局、ポリタンクを両方とも持ってやった土方のまわりをうろちょろしている。

「うん?」

『とうとう無事に赤ちゃんが産まれたんだ』

「そうか、よかったじゃねえか」

『名前はサノにした』

「似合ってらあ」

『健康に育つようにって』

「そりゃあ、大きく育つこと間違いなしだな。頭はどうか知らねえが」

 他愛もないことをしゃべりながら、家まで送ってやった。

 アミルの親に軽く挨拶して、もときた道をあるく。



 新選組は一週間前、隊士一同でアミルの家の夕食に招かれた。ヤギの遊牧中に、カリフ国兵士にさらわれたアミルを助けてくれた礼だということだった。

 カリフ国にさらわれた子どもは、少年兵となってかれらの貴重な戦闘力になるのだと聞いた。

 夕食では、茄子なすをくりぬいて中に米やねぎを詰めた料理や、うり玉葱たまねぎのサラダなどがふるまわれた。やけに平べったいパンに、香辛料と豆をすりつぶしたペーストを乗せて食べると、ちょうどいい辛さが食欲を刺激した。おそらく、肉を食べない隊士たちを気遣ってくれた料理なのだろう。


 ほのかにこうの焚かれた部屋で、隊士たちとアミルの家族は、じゅうたんに座って円になって話をした。アミルの両親は武士について知りたがった。

 ――きみはずかしめらるればしんす、つまり、主君が恥辱を受けるようなことがあれば、武士は命を捨てて主君の恥をそそがなければならない。隊士たちはそういうことを、赤穂あこう浪士を例に出して話したら、意外に共感してくれた。


 そしてお返しとばかりに、アミルの両親はムハンマドという預言者の話をしてくれた。

 ムハンマドはとても公正な人間だったらしく、宣戦布告された国の陣地に攻め入るときも、使者を出して三日の猶予をあたえなければ攻撃しなかったという。

 それを聞いて隊士たちは「武士だ」「武士だ」と感心して言った。「いや侍じゃねえから」と土方が苦笑して言った。

 また、ムハンマドが一番大切な人は誰かと訊かれて「母親だ」とこたえ、じゃあ二番目と三番目は誰かと訊かれたら「それも母親だ」こた答えた、という逸話も話した。ムハンマドという人物はとても女性や子どもを大切にしていたらしく、他国の人間によく批判される「四人まで妻をもてる」という制度も、その昔、戦争で未亡人となった女性や孤児を救済するための制度であったという。

 アミルの父は、現在は二人以上の妻がいるやつなんてほとんどいないと話し、「そんなことしたら嫁に殺されちゃうよ」とおどけてみせた。

 隊士たちはみな、やっぱりどこも同じなんだな、と思った。



『よう、トシさん』

 持ち場につくと、すでにもう一人の見張り番が来ていた。深夜組はもう帰らせたらしい。

「よう」

 土方はそう言って、のぼりはじめた太陽に目を細めた。

 前方には起伏のはげしい岩砂漠が広がっている。後方には中隊基地と集落がよく見える。

 いつもと変わらない、見張りの任務だった。

『知ってるか? サノと中隊長のこと』

 相方が言った。土方は、片頬笑んで首を振る。

 今日はどうやら、退屈しないですみそうだった。



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