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06 恋路

 そして、土方は沖田の咳が悪性のものではないかと疑っている。

 きちんと医者に通うように、昔から近藤勇と一緒になって言いつけてきた。

 ここのウルミスタン義勇軍の中隊には軍医が巡回に来るということを聞きつけ、さっそく沖田を連れていくことにした。


 巡回のテントに入ると、青い目をした西洋の医者が迎えてくれた。

 肺病には蘭医らんいが適していると聞いていた土方は、こいつはいいやと思い、詳しい検査をしてもらうよう頼んだ。


 やがて検査結果が出て、軍医はカルテを見ながらつぶやいた。

『めずらしい』

「めずらしい、とは?」

 土方が食い入るように訊いた。

『結核だよ』

 その言葉を聞いて、土方は目の前が暗くなるような感覚をおぼえた。

「大丈夫ですよ」

 沖田が、死を覚悟したような透き通る声で、

「うすうす、気づいていました」

 土方は沖田の顔を見ていられず、眉根をよせて軍医に訊いた。

「……あとどれくらい、生きられそうですか」


 軍医はただ一言、

『は?』

 と言った。

 さらに軍医が、結核は不治の病ではないことを説明すると、二人はぽかんとした表情で顔を見合わせた。



 時代が変わったのだ、と沖田は言う。

 この時代、結核で死ぬことはほとんどなくなり、きちんと服薬すれば半年で完治すると聞かされ、沖田は取り寄せてもらった薬を毎日服んでいる。

 まだ症状もあまり進んでおらず、排菌もほとんどみられなかったため、隊士たちと一緒に訓練に参加している。しかし寝室だけは別にしたほうがいいと忠告され、中隊長のはからいもあって、新選組隊士の居室となった大きなテントのそばに、民間用の小さなテントが立てられた。


 最初のころは、寂しかろうと思った隊士たちがよく遊びに行ったものだったが、最近はウルミスタン義勇軍の女性兵士が、先を争うように沖田のテントに詰めかけている。彼女たちは沖田のことを「ソーディ」「ソーディ」と親しげに呼び、夜な夜なワインボトルを持ってきてチェスやカードに興じている。酒の飲めないムスリマの女性兵士も端のほうに座って顔を赤らめていたりするから、沖田の人気は相当なものだっただろう。


「まったく、気の休まるひまがありませんよ」

 新選組のテントに逃げこんできた沖田がため息をついた。

 LEDランプの灯った室内では、隊士たちが紙でつくった将棋を指したりしている。新選組時代には賭博とばくは禁じられていたが、全員ウルミスタン義勇軍の兵卒となったため、支給された給料を賭けている隊士もいる。

「うらやましいぞこの野郎ー!」

 左之助が、沖田の頭をつかんでぐらぐらと揺さぶった。


「わわわ」

 沖田はふらつきながら、

「そういう左之さんだって、聞きましたよ」

「なんだよ」

「中隊長とできている、とかいう噂ですよ」

「なっ!」

 左之助の顔が青ざめた。

「……誰から聞きやがった」

「いや、みんな言ってますし」

 いつの時代も、情報が回ってくるのは女性のほうが早い。


 となりで銃の各箇所を清掃してグリスを塗っていた土方は、いい暇つぶしがやってきやがったとばかりに、

「すみに置けねえなあ」

 とからかった。ちなみに刀の手入れも、丁字油でなくグリスを代用している。

 将棋を指していた隊士たちが、「へえ、左之さんが」「やるもんだねえ」「すみに置けないねえ」「よっ、男前!」とはやし立てた。

 もともと、江戸で徴募した隊士が多いので、新選組自体がやや江戸っ子気質なのである。

 そのうえ、ウルミスタン義勇軍とカリフ国の戦闘が小康状態にあるため、訓練がはけた後はこういう噂話が娯楽のひとつなのだった。


 これ以上噂をひろめられてはかなわないと思った左之助は、

「いやいや違げえぞ。おれがあのひとに銃剣術を教わって、かわりに柔術を教えてやってるだけだ」

 と、あわてて否定した。

「あのひと」

 と沖田が繰り返した。

「なかなかみやびやかな言葉ですねえ、トシさん」

「ふむ」

 土方もにやにやしてうなずいた。

 将棋を観戦していた平助もやってきて、

「柔術ってつまりそういうことだろ」

 好色そうな顔で言った。


「平助てめえ表出ろ!」

 恥ずかしさと怒りで顔を紅潮させた左之助が、平助の頭をはたいた。

「痛ってえな! なにすんだ!」

「馬鹿にしやがると許さねえぞ馬鹿野郎!」

 もみあいながら、二人はテントの外へ出ていった。


「そういえば」

 と沖田が思いついたように言う。

「ミューさんは最近、土方さんと仲がいいようですけれど」

 のんきそうで意外に人間観察にすぐれたこの青年は、土方にそういう話を振ってみた。

 隊士たちが、「おれもそれが聞きたい」といった顔で土方を見る。

「ふん」

 ぷいとそっぽをむいて、土方は銃の手入れに戻った。

 ぎゃ~、という声がテントの外から聞こえてくる。おそらく左之助が平助に技をかけているのだろう。



 いや、実際、ミューは土方のすがたを見つけては「激写」と言って写真を撮っている。

 彼女は兵士ではなく、戦場フォトグラファーという職業に就いている。だから現地の村を守っているウルミスタン義勇軍の日常をカメラにおさめるのも仕事のうちなのだが、そういう噂を立てられる程度には、土方の写真を撮っていることが多い。


 今だって、

「激写」

 と言いながら写真を撮り、交代制の見張りに立つ土方のそばにやってきた。

「なんだ」

 首まで垂れた日よけのターバンをかぶった土方が、無愛想に言った。

「いや、絵になるなあって」

「めずらしいものでもねえだろう」

「だって新選組副長、鬼の土方だよ。撮るしかないでしょ」


「ふん」

 土方は目のまえに広がる岩砂漠に視線を戻した。ウルミスタン義勇軍中隊基地の見張り番なのである。さっきから、もうひとりの見張り番が興味深そうにこっちを見ている。

「人の言うことなんていいかげんなもんさ」

「あら。じゃあ婦人ふじんした候事そうろうこと筆紙ひっしくしがたし、っていう手紙も、いいかげん?」

「なっ……」

 文久三年、土方が親類に宛てて書いた手紙のなかの一文を、ミューは引用した。ひらたくいえば女性にモテてモテて困る、といったところだろうか。


「違うぞ。あれは、元気でやっているから心配するなと伝えたくて書いただけだ」

「そう。でもあの文章って、いま有名になっちゃってるよ」

「む。それは、困るな」

 本気で困ってしまったような表情の土方を、ミューはおもしろがって、

「じゃあ日本に帰って撤回しに行く?」

 と訊いた。

「日本か……」

「戦争が終わったら」

 とミューはつけたした。

「……あたしも鹿児島に帰る」

「そうか、肝付」

 土方はいまさら気がついたという風に言った。

 肝付は、鹿児島特有の姓だ。


薩会さっかい同盟どうめい

 とミューは言った。

 文久三年、暴走する長州藩尊攘そんじょう派に危機感を抱いた薩摩藩と会津藩が同盟を結び、ともに戦ったことがある。

 そのことを言っているのだろうが、ミューが何を言いたいのかはわからない。



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