新選組隊士と覆面たちは、やがて石造りの道路にたどりついた。
そして
砂ぼこりの舞う大通りを、馬車のような鉄製の乗りものが走っている。
そのわきには煉瓦づくりの家がぽつぽつとならび、なかには石をくり抜いて造ったとしか思えない建物もあった。
「いやはや……」
隊士のひとりが、感じいったようにため息をついた。
もはやここは――。
「異国か」
土方が冷静に言った。
この日差しに気候、そして背景に流れる文化が日本とはまったくちがう建築物。そして街を行きかうひとびとの服装と顔だちが、ここが異国であることをしめしていた。
さらに、崩壊している建物が多いことも隊士たちを不安にさせた。
そこらじゅうに、集められた瓦礫の山がある。ひとびとは瓦礫を避けながら、とぼとぼと歩いていた。
「山南さんの言ったとおりでしたね」
沖田がそう言うと、山南は険しい顔で、
「ええ」
とだけこたえた。
「どうかしたんですか?」
「沖田君、むこうの御仁をごらんなさい」
山南の視線のさき、道路をはさんでむかい側に、黒い布を頭からすっぽりとかぶった人間があるいている。
「なんですかあれは。どこかお参りにでも行くんでしょうかね」
なにかの行事かもしれないと思った沖田の推測は、神事、という点において当たっていた。
「蘭学の講話できいたことがあります。あれは、遠く西方で信仰されている宗派の、
「へえ。じゃあここは西方の地ですか」
「……おそらく、
「なんだか想像できないくらい遠くだなあ」
かるい口調で沖田が言うと、土方が割って入ってきた。
「ふん。天竺なんぞ清国のクソ坊主が往復していたくらいだ。おれはぜったい京に帰るぜ」
「まあ、みんな心配してるでしょうからねえ」
沖田の言葉に、沈黙が流れた。
たしかにそのとおりである。近藤勇をはじめ、井上源三郎やほかの隊士たち全員が安否を案じていることは想像に難くない。近藤勇は屯所で指揮をとっていて、ほかの隊士は別働隊や非番だった。
さらに土方には、お琴という想い人がいることを沖田は知っている。
「トシさん、ここはがんばって帰らないといけませんね」
言外に匂わせるものを感じたのか、土方はそっぽをむいて、
「しかし辛気くせえ街だな」
あたりを見まわした。実際、建物の数にくらべて行きかう人が異様にすくなく、みな総じてうつむきながらあるいている。どのような力が働いたのか、外壁が崩れて内部が露出している建物も多かった。
「そのこと、私も気になっていました」
山南も同意して、
「ひょっとすると、京都よりご政道が混乱しているのかもしれません」
覆面が指さした先には、三階建ての宿舎のような建物があった。
建物のまわりに、ひときわ大きな鉄馬車が停まっている。
粗末な洋服を着た男たちが入り口で鉄砲をかまえていた。かれらは新選組のすがたを見て敵意をあらわにしたが、覆面が一言話すと急におとなしくなった。
建物のなかも、まるで宿舎のようだった。
割れた窓から部屋のなかが見える。男たちが談笑したり、花札のような遊びをしている。
「おもしろそうなことやってんじゃねえか」
と、昔はばくちの好きだった左之助が、その奇妙な遊びを見て笑みをうかべた。
さらにケガ人が寝かされている部屋を通りすぎ、きちんと窓硝子もあって扉も頑丈そうな一室に通された。
「なんだこれ!」
藤堂平助が、二人がけの椅子に座っておどろいた。
「まるで大名の椅子じゃねえか!」
「静かにしろ」
土方は冷静に室内を観察していた。
やけにふかふかしていそうな椅子が二つ。その奥に机があって書類がちらばっている。
執務室、といった風情だが、気になるのは机のうしろにかかげられた旗である。
――見たこともない旗だ。
黒地の中央に白い丸が描かれていて、丸のなかには異国語の文字。
「やはり気になりますか」
山南も、旗が気になっているようだった。
「お前はあの旗を知ってるか」
「いえ。三百諸侯はもとより、エゲレス、オランダなど日本に来たことのある外国の旗ではありません」
「ふむ」
「トシさん、この椅子すごいですよ」
沖田が、土方の背中に声をかけた。
「総司っ。お前までなにしてやがる」
見れば、沖田と、さらに一人のひょうきんな性格で知られた隊士まで加わって、椅子で遊んでいた。
――お前ら士道不覚悟だ。
土方が苦りきっていると、覆面たちが水と食料を持ってきてくれた。
白い象牙のような湯呑みに、四角い容器から水を注いでくれた。これには隊士一同が、地獄に仏を見るような気持ちで感謝した。
さらにさくりとした食感の焼き菓子までふるまわれ、隊士たちはようやく人心地ついたような表情を浮かべた。
隊士のまえで、覆面たち三人は覆面をぬいだ。
いずれも口ひげのゆたかな男たちだった。
そのなかの、長髪の男が、また印籠を差しだした。
『もうすぐボスが来ます』
ボス、とは上役を指す言葉だろう。
隊士たちは座って待つことになった。
土方はやけに豪華な椅子が気に入らないらしく、隊士に混じってあぐらをかいた。大刀の
交渉役ということで、椅子には新選組幹部の沖田、左之助、平助、山南が座る。斎藤一は背中を壁につけて、油断なく周囲を監視していた。
扉がひらいた。
ボスは、意外に小柄な男だった。ぱりっとした洋服を着て、胸に色とりどりの金属板をくくりつけている。
ぎょろついた目をしばたかせ、隊士たちを
土方をにらみつけた。
「……なんだよ。夷人がそんなにめずらしいってか」
仏頂面で土方が言う。
なるほどたしかに異国の地では土方たちのほうが夷人である。しかし攘夷論がもはや常識のようになっている当節において、自らを夷人と呼んではばからない土方は、二流三流の浪士たちとはどこか違っていた。
ボスは机のうえにあった石版のような板を手にとり、またなにやら操作して土方に見せた。どうやら土方が大将であると一目で見抜いたらしい。
『あなたたちは日本人ですか。正解なら右手をあげてください』
つやつやした石版には、翻訳されたであろう日本語が書かれていた。
ていねいな言葉のわりには、ボスは威嚇するような目つきで見すえてくる。手下の三人も、鉄砲を持ったままだった。
土方はにらみかえしながら、右手をあげた。
『道に迷っていますか』
また右手をあげた。
『キリスト教徒ですか』
「へっ」
土方は皮肉っぽい笑みをうかべた。
「キリシタンじゃねえよ。新選組はな、相手の頬を殴って反対側の頬も殴る治安当局だぜ」
「土方さん、妙なこと知ってますね」
山南が感心した。
この男、教養はある。京都では鬼の土方とおそれられているが、孫子の書物を読むのが好きであるし、ひそかに俳句をつくるのが趣味で豊玉宗匠という俳号までもっている。
その言いかたでなんとなく伝わったのか、ボスとやらも次の文章を打ちこんでいる。
『神の思し召しだから、あなたたちの面倒をみてあげることにしました。今日はここに泊まりなさい。日本にはあとで連絡します』
石版を差しだしたボスは、言いきかせるような口調で、
「インシュアッラー」
と言った。
とんとん、と画面のなかの日本語に訳された一節をたたく。
――神の思し召し。