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第40話☆虹




第40話☆虹




「お兄ちゃん」

「なんだ?由美子」

「今日は夕焼けがとってもきれいよ」

「へえ」

巧はベランダに出て、由美子と並んで暮れてゆく空を眺めていた。一大巨大パノラマだと思った。

「おりねちゃんにも見せてあげたいなぁ」

「きっと喜ぶと思うわ」

由美子が同意した。


翌日。

ざー。

雨が降っていた。

教室の窓から飽きることなく外を眺めている巧。

雲が早い速度で流れてゆく。

「どした?巧」

テツが歩いてきて、空いている誰かの席から椅子を引っ張ってきた。

「もうすぐ、おりねちゃんの誕生日なんだ」

「へえ?」

「プレゼントなににするか考えてたんだ」

「決めたのか?」

「うん」

巧は嬉しそうに笑った。


巧はその日、仮想世界にダイブすると、アルトさんの家に用事がある、といってみんなと別行動した。


「天候制御ですか?できないことはないですけれども、ここでは仮想のものしかできませんから、あんまり意味がないと判断して今まで行ってきませんでした」と職員は言った。

「そうですか。でも、どうしてもやってほしいんです。触れることのできない投影だけでもかまいません。それから、『夜』も導入して欲しいんですが」巧はまっすぐなまなざしで言った。

「現実世界に近づけるんですか?」

「そうです」

「そうですね、できないことではありません」

「では、三日後に試験的にやってもらうことは可能ですか?」

「三日後?」

「おりねちゃんの誕生日なんです」

「ああ。吉川織音さんの」

「20年、彼女は雨に濡れてないし、夜も見ていません」

「そうですね。基本的に常春で晴天、昼間のみの世界ですから」

「それを変えてほしいんです。今のままじゃ、なにか足りない」

「なるほどねぇ」

職員はそれもおもしろそうだ、と思った。

「会議にかけて、AI制御でテストを行うよう話を進めてみます」

「ありがとうございます!」

巧は深々と頭を下げた。


「ねえ、なに?なにかいいことあったの?」

にこにこしている巧に織音が聞いた。

「これからあるんだ。……。でも僕の頭の中、覗いちゃだめだよ?わかった?」

「うん」

織音は素直にうなずいた。以前の筒井先生のこどものことで、懲りたのかもしれない。

「今度はいいことなのね?楽しみにしてるわ」

「うん。おりねちゃん」

巧の極上のスマイル。織音は胸いっぱいになる。

こんなにかっこよかったかしら?そう思って、じっとみつめた。


三日後。

仮想世界に雨が降った。みんな最初はとまどっていたが、雨の中に飛び出して、ずぶぬれになりながら笑いさざめいていた。小動物や植物がきらきらして、嬉しがっているように思えた。

「これが、巧君が言っていた、いいことなのね?」

「これもだけど……」

「まだあるの?」

雨がやみ、雲間から陽が差してきた。今まで濡れていたものがみんなすぐに乾いてしまう。

「わあ、おおきな虹!」

虹のアーチを見て、織音がはしゃいでいた。

「虹って、希望の象徴なんでしょう?」

「そうだよ。僕たちの未来は希望に満ちている」

「素敵」

虹はしばらくの間、りん、と張っていた。

やがて空の色が朱に染まった。

「きれい」織音がうっとりと夕焼け空を見つめていた。

星が輝き始めた。

「夜?!夜が来るの?」

「そうだよ。おりねちゃん、お誕生日おめでとう!このプレゼント、気に入ってくれた?」

「もちろんよ!」

興奮冷めやらず、織音が叫ぶように言った。


「あ……、でも、私、今日で38歳になってしまったわ」

どうしても、巧との差は20年。縮まらない。

「おりねちゃん」

巧は戸惑う織音を抱き寄せて、頬にキスをした。

「おりねちゃんがいくつになっても、僕は、おりねちゃんが、おりねちゃんである限り、大好きだよ」

「巧君……」

「ひゅーひゅー、ご両人、お熱いこって!巧、邪魔して悪いが、そろそろ俺らログアウトの時間だぜ」とテツがにこやかに声をかけた。

巧と織音は恥ずかしそうに離れて、巧がまた近づいて、織音のおでこにキスをした。

「おやすみ、おりねちゃん。良い夢を」

「あり、がと」

織音は心から微笑んだ。


天候制御と夜は他の人々にも好評だったらしく、それからも続けることになったそうだ。



「今の私の気持ちを表現できるものは、なにかない?」

織音は、暗い夜空に星々のまたたきを数えながら、宿屋のベッドで横になり、デバイスに呼びかけた。

「人類の泉、高村光太郎の詩」

「それをお願い」

「人類の泉


 世界がわかわかしい緑になつて

 青い雨がまた降つて来ます

 この雨の音が

 むらがり起る生物のいのちのあらわれとなつて

 いつも私を堪らなく(たまらなく)おびやかすのです

 そして私のいきり立つ魂は

 わたしを乗り超え私を脱れて(のがれて)

 づんづんと私を作つてゆくのです

 いま死んで 今生まれるのです

 二時が三時になり

 青葉のさきから又も若葉の萌え出すやうに

 今日もこの魂の加速度を

 自分ながら胸一ぱいに感じてゐました

 そして極度の静寂をたもつて

 ぢつと坐ってゐました

 自然と涙が流れ

 抱きしめる様にあなたを思ひつめてゐました

 あなたは本当に私の半身です

 あなたが一番たしかに私の信を握り

 あなたこそ私の肉身の痛烈を奥底から分つのです

 私にはあなたがある

 あなたがある

 私はかなり惨酷に人間の孤独を味つて来たのです

 おそろしい自棄(やけ)の境にまで飛び込んだのをあなたは知つて居ます

 私の生(いのち)を根から見てくれるのは

 私を全部に解してくれるのは

 ただあなたです

 私は自分のゆく道の開路者(ピオニエエ)です

 私の正しさは草木の正しさです

 ああ あなたは其(それ)を生きた眼で見てくれるのです

 もとよりあなたはあなたのいのちを持つてゐます

 あなたは海水の流動する力を持つてゐます

 あなたが私にある事は

 微笑が私にある事です

 あなたによつて私の生(いのち)は複雑になり 豊富になります

 そして孤独を知りつつ 孤独を感じないのです

……

?続けますか?」

織音はいつの間にか子守歌代わりにすやすやと眠りに落ちていた。

(注意☆「人類の泉」は、大正2年三月に書かれた詩で、詩集「智恵子抄」に載っています。まだ続きがあるのですが、割愛させてもらいます)





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