第31話☆織音の危機
「巧。現実世界の方の織音が危ない」
いきなり出てきたイーサンが、巧に告げた。
「どういうこと?」
「もしかしたら、生命維持装置を外されるかもしれない」
「なんだって!?」
「現実世界のK岡病院に行ってやってくれ」
巧は大急ぎで宿屋の部屋に戻り、仲間に宛てて「緊急事態。ログアウト。巧」と書き置きを残してベッドに横たわり、ログアウトした。
「K岡病院」
デバイスにそう告げると、経路と交通手段が表示された。
幸い巧の家から遠くない。自転車にまたがり、夜気の中をひた走った。
「面会時間は過ぎてますよ」
「緊急なんです。吉川織音さんの生命維持装置が外されそうで……」
宿直の看護師は、困っていた。
「行かせてあげなさい。君、207号室だ」
「先生?」
「事情に明るいから関係者だろう。本当になにかあってからじゃ遅い」
「ありがとうございますっ」
巧は走って二階にあがった。
ばん。
ドアを開けると、織音の母親が、織音の生命維持装置の電源を切ろうとしているまさにその時だった。
「やめてください!」
「誰?あなた」
「おりねちゃんを殺しちゃだめです!」
巧のすぐ後から医師や看護師が室内になだれこんできた。
「吉川さん、こちらへ」織音の母親はうなだれて別室へ連れて行かれた。
装置は復旧されて、織音のバイタルを見ていた医師が「大丈夫です」と告げた。
「君。話を聞いてもいいかい?」
「はい」
病室を出る前に、巧は青白い顔で横たわっている女性の顔を見た。大人びた顔のたしかに織音だった。
「お母さんは、落ち着かれました」
看護師がそう言って医師と巧を別室に迎え入れた。
「なんで、装置をはずそうとなさったんですか?」
「筒井先生が、奥様が亡くなられて、その四十五日が過ぎたら織音と籍を入れてくださる、って言ってらしたのに、織音に他に男がいるから、それをなかったことにする、っていわれて、それで、どうしたらいいのかわからなくなってしまって」
「他に男?娘さんは仮想世界にいらっしゃるんでしょう?」
「それ、僕です!」
巧は叫んだ。
「僕はおりねちゃんが好きです」
みんな不得要領の面持ちで巧をみた。
「君が?そもそも君、いくつなんだい?織音さんは30代ですよ」
「僕、まだ高校二年生です。でも、仮想世界に毎日入って、おりねちゃんと一緒に行動しています」
「ああ、君が巧くんか」
医師が思い当たったのか、そう言った。
「高校生の子が何ができるんですか!」
織音の母親が激昂して言った。
「僕は、現にこうして、おりねちゃんを守りに来ました」
それには、他の誰もぐうの音も出なかった。
「どうか、諦めてしまわないでください。僕らは確かに何かを成し遂げようとしていて、それがかなったときにきっとおりねちゃんはよくなります」
「そんなの信用できますか!」
織音の母親はヒステリックに叫んだ。
「この二十年、どんな思いで織音の世話をしてきたと思うの?!」
「それは……」
この問題は根が深かった。
「吉川さんも大変だったんだよ」
医師が巧の肩に手を置いて言った。
「男がいるって、二十も年下の年端もいかない男の子で、何を信用すればいいんですか?せめて筒井先生のように責任ある方に娘をもらってもらえたらって、期待していたのに!」
「僕に時間をください!せめて十年。進学して医者になります。おりねちゃんをきっと幸せにします」
「あなた、正気なの?」
「正気です」
はあ、と織音の母親は溜め息をつき、首をふりふり頭を抱えた。
「この先、きっと、後悔するわよ」
「いいえ」
巧は断固として譲らなかった。
「巧君?」
帰宅してからログインすると、織音が顔を覗き込んでいた。
「おりねちゃん。よかった」
「なにが?」
「とにかく、無事だから」
「?」
「よくやった、巧」
「イーサン?」
織音がびっくりしてイーサンを見た。
「なにかあったのね」
察しが良い織音に、巧はじいっとその顔を見つめた。
「巧、大丈夫か?」
と、テツが声をかけた。
「ああ。大丈夫」
「お兄ちゃん、びっくりしたよ」
由美子が言った。
「ダンジョンにもぐってる最中でなくて良かった」
巧はふう、と息をついた。
「イーサン」
「なんだ?巧」
「おりねちゃんを現実世界に帰してやってよ」
「それはできない」
「じゃあ、イーサンの願いを叶えないよ」
「なんだと?」
「せめて生命維持装置なしで生きていられるようにしてくれなくちゃ、お前のためにはなにもしてやらないからな」
「ぐう」
「どうやったら、戻せるんだ?」
「それを知ったら、織音は二度とここへ来ないだろう?」
「そんなことない」
織音が割って入った。
「私、この世界が好きだもの」
「ちょっと考えさせてくれ」
イーサンは巧の剣の青い石の中に引っ込んだ。そう。逃げた。
「この問題はもう少し時間がかかりそうだな」
巧はやれやれと思った。