「うーーーー、いや、嫌なの」
夜中にカーラがうなされていた。
涙が目から漏れてくる。
「くーーーーん」(大丈夫だ)
俺はそう念じて、慌ててカーラの顔の涙を舐めてやった。
カーラはそんな俺をぎゅっと抱きしめてくれた。
「お母様!」
カーラは天国にいる自分の母の夢でも見ているんだろうか?
ここ数日、確実にカーラがうなされることが多くなっていた。
それに比例して宰相達が何か色々きな臭いことを画策している噂も聞こえてきた。
人相の悪い奴らを宰相の館で見たとか、密かに武器を仕入れているとか、王宮に出入りしている商人たちの噂話を聞きももした。
こうしてはいられない。
このままではカーラが大変な目に合うかもしれない。
俺は宰相の悪巧みの情報を仕入れるために館に忍び込むことにしたのだ。
しかし、宰相の館はここから馬車で30分くらいかかるらしい。俺の小さい足ではいくら頑張っても結構な時間がかかる。
それにいざという時は俺の得意な剣が使える人間に戻った方が良いだろう。
そのためにはカーラから離れたほうが良かった。
俺はその夜、カーラの部屋から出ていくことにした。
短い間だったが、カーラには本当に世話になった。
そのカーラに、なんとしても、その恩を返したかった。
俺は俺を抱きしめて幸せそうにしているカーラの寝顔をその脳裏に焼き付けた。
その日は満月でカーラの姿がとてもきれいに見えた。
そして、魔でもさしたのだろう。
俺はそっとカーラの口に口づけしたのだ。
そうしたらカーラはほんのりと笑ってくれたのだ。
俺は点にも昇る気持ちになった。
絶対にカーラは助ける!
俺はそのカーラの笑顔を心に秘め、宰相邸に向かったのだ。
小さい俺は、王宮の城門はなんとか抜け出せたが、それからが大変だった。
子犬の足ではなかなか宰相邸は遠いのだ。
そもそも場所自体が大体しか判らない。ここは獣人王国ではないのだ。宰相邸を探し出すのも大変だった。
俺は懸命に歩いて、宰相邸に向かった。
大きな犬に吠えられたり、カラスに襲われたりしたが、子犬になっても俺は獣人国の皇子だ。
大きな犬には吠え返して撃退し、カラスには子犬パンチで弾き飛ばしていた。
それ以来、動物達は襲ってこなくなったが、宰相の家を探すのは本当に大変だった。
やっと宰相邸を探り当てたのは翌日の昼すぎだった。
でも、そこではたと困ってしまったのだ。
宰相邸はその妻が犬嫌いだからか邸宅は塀に囲まれており、隙間がなかった。
普通は俺を見かけたら可愛がつてくれるのに、その邸宅の門番は即座に
「しっしっ」
と追いやられてしまった。
どうしよう?
と途方に暮れてしまったのだ。
塀は子犬の俺が乗り越えるには高すぎた。
門のほうがまだ乗り越えられそうだったが、足にかかるとっかかりがないのだ。
俺は一番低い裏口の門の前で、その門をどうやって飛び越えようかと思案していた時だ。
「まあ、可愛い」
買い物に出ていたらしい侍女に見つかってしまったのだ。
「おいで」
侍女は俺に手を出した。
カーラ以外に本来は抱かれたくなかったが、背に腹は代えられない。
ここは宰相邸に入るのに、媚を売るところだろう。
俺はトコトコと侍女に近づいたのだ。
侍女は俺を抱き上げて抱きしめてくれた。
「なんて可愛いのかしら」
俺は大人しく女の胸に抱かれていた。
女はカーラに比べて豊満な胸をしていた。
確か、この女はコリーとかいう宰相の娘のアレイダの侍女だった。前も俺のことを物欲しそうに見ていたのだ。
「まあ、本当にもふもふするわ」
コリーは感激していた。
「カーラ様の子犬に似ているけれど、まさかね。
カーラ様がベンヤミン様と結婚されたら子犬ちゃんも連れてきてもらえるかもしれないけれど、あの奥様が犬嫌いでは無理よね」
侍女は少し肩を落としていた。
妻の犬嫌いは徹底しているらしい。
そんな時だ。
「コリー、そんなところで何しているの?」
後ろからなんとアレイダの声がしたのだ。
お忍びで出ていたらしい。
他にも護衛が付いているみたいだ。
「いえ、何でもありません。」
そう言うとコリーは見つかる前に、慌てて俺を持っていた鞄の中に入れてくれたのだ。
「早く、門を開けさせて」
「はい、ただいま」
コリーは裏門を叩いて、門番に鍵を開けさせた。
それを見てアレイダ達は中に入っていった。
それを見送るとコリーはしばしカバンと門を逡巡して見ていたが、
「少しの間だけなら良いわよね」
そう言うと俺をカバンごと屋敷の中に持ち込んでくれたのだ。
俺はこんなに簡単に入れるとは思ってもいなかった。やはり可愛い子犬はこういう時は得だ。
コリーは俺をカバンごと持ち上げて階段を上がって、使用人用の部屋のある3階に上げてくれた。
「ここなら大丈夫だわ」
そう言うとカバンから出してくれた。
そこはベッドが一つとクローゼットがあるシンプルな作りの部屋だった。
そして、俺様を抱きしめると
「いい、絶対に静かにしていないと駄目よ」
そう言い聞かせてくれたのだ。
「わん」
俺は小さく吠えてみた。
「しっ、絶対に鳴き声を出してはダメよ。奥様に見つかったら本当に殺されてしまうから」
俺は仕方がないので頷いてやった。
「本当にお願いね。そうしたらちゃんとご飯を持ってきてあげるから」
なんとコリーはそう言うと部屋の扉を閉めると外に出て行ったのだ。