亨昭は暑いなか、スーツを着て会社から帰ってきた。
家の前に見たことの無い男が一人、立っている。
無視して入ろうとすると、男はニヤリとして、亨昭の耳元に囁いた。
「連絡よこせ」
言って、携帯をポケットの中にするりと入れてくる。
男はそれだけで、通りにでて消えて行った。
背を見送った亨昭は、鍵を取り出してドア前に立ったが、すでに解錠されていた。
彼は息を殺して、中に入り靴を脱がないまま、玄関から廊下に上がった。
そのままリビングに来ると、暗い空間でテーブルの上に生首が一つ置かれているのが、わかった。
傍には、拳銃が一個置かれていた。
革手袋のままリヴォルヴァーを取ってみると、弾丸が一発だけ入っている。
首は先日、公園で見た紅蓮連合の中の一人のものだった。
亨昭は、ポケットから携帯を取り出して、 唯一、連絡先リストに載っている電話番号だけのところに掛けた。
コール音が静かな空間に響き渡る。
『池尋亨昭さんだね?』
突然に、名前を呼ばれる。
『こちら小林興業ってところだ。紅蓮連合がお世話になっているというので、遅まきながら挨拶させて貰った』
「へぇ、そうかい……ところで、この首、邪魔なんだけどな。燃やして良いか?」
『……ウチの若いのだ。丁寧に埋葬してほしいな』
「余裕ぶってんじゃねぇよ。これが、おまえらの判断なんだろう?俺に従うなら、こうなるって。ついでに、俺への警告らしいが、こいつらがどうなろうが屁でもねぇんだよ」
『……なんだと、この野郎!』
「紅蓮連合を殺したければ殺していけよ? なんなら俺がやってやろうか?」
『ふざけてんじゃねぇよ! こっちゃ、紅蓮の連中のケツ持ちなんだよ! 勝手に紅蓮の奴らと話しつけたの、てめぇだろう!? こっちゃ引けって言ってんだよ、わからねぇのか!』
「おぼえねぇなぁ。誰から聞いたんだ?」
『もう良いわ。おまえは、直で俺たちが殺すわ。覚悟しておくんだな』
亨昭は笑った。
「殺れるなら、殺って見ろよ。俺を誰か知らんらしいな、ドール・メーカーだぜ!?」
誇らしげに宣言する。
『知るかよ、ただの意味も無く人を殺す頭のおかしい奴じゃねぇか!』
亨昭は哄笑した。
電話は切れていた。
町をひとっ走りして、侶進はゲート前で止まった。
改造バイクはまずまずの出来だった。
仲間が彼とわかると鉄筋と金網でできたゲートが開く。
掲げられた紅蓮連合の旗と、それとは別の旗がはためく。
中に入ると、そこは元自動車工場だった。
深夜だというのに明かりは、各建物にまちまちだ。
侶進は、レーン工場のわきにバイクを止めてバッグを背にすると、寮に向かった。
そこには、紅蓮連合の一部の者達が待ってていた。
彼等は、紅蓮連合だが、新たに神
一階ホールのテーブルには、乱雑に札束が乗せられて、周りでウォッカやウィスキーをあおっている。
侶進は、バッグから札をさらに追加させてから、自分もスコッチウィスキーをコップに注いだ。
「事実上の支配だ……」
誰かが呂律の回らない口で言った。
「警察も、小林興業もない、俺たちの世界だよ!」
歓声が上がる。
侶進は満足げに、コップを軽く仰いだ。
「なにか、変わったことは?」
彼は皆を見回しながら訊いた。
「多分、伯蛟の連中だろうな。バイクが数台、ここを何回か回って、去って行ったよ」
「そうか」
侶進は、彼等のリーダー格になっていた。
彼についてきた者は、皆若い。
彼等はここを本拠に、実質の久司町を手にするつもりだった。
いや、もう手にしていた。
伯蛟の支配下にあったあらゆる企業からも献金を受け取り、それまでの紅蓮連合への金も受け取り、久司町の会社は彼等に頭が上がらなくなっていた。
侶進はまだ、満足していない。
ここにでかい事務所を建てるのだ。
新たな名前は、「御殿場」にする。
何故か、まだクリオ社の社長を誘拐したまま行方不明になった伯蛟の一部が、再建を要求した、地に深く埋もれた神社の名前だった。
それらしいといえば、それらしいと言える。
上機嫌でウイスキーを飲む彼は、外が騒がしくなっているのに、気づいた。
「どーした?」
彼は窓の外を眺めていたメンバーの背に声を掛ける。
「ゲート前で、何かが燃えてルみたいですよ!」
侶進は立ち上がって、駆けだした。
中庭を過ぎ、ゲートまで来る。
監視員はいなかった。
代わりに、ゲート外で、バイクが一台と、見張りの少年が燃えて動かなくなっていた。
「これは……」
「よう、久しぶりじゃねぇの、侶進」
ビジネススーツを来た若い男が、数人周りに立って、中の髪を後ろになでつけた鋭い眼光の男が、侶進に口だけで笑った。
「
そこにいたのは、小林興業の面々だった。
「へぇ、何かと思えば、秘密基地ごっこかい? こんな廃工場に住んだりして。場所はすぐわかったぜ? 目立つからな」
「それは……砥塚さんがやったんですか?」 今更、侶進は間抜けな事を訊いたと思った。
「へっ。紅蓮連合なんて、掃いて捨てる程いるんだ。一人いなくなったところで、どうにかなる訳でもないだろう?」
前に進み出てきた砥塚の後ろには、六人ほどが控えていた。
多分、全員、腕に覚えがある者たちだと、侶進は思った。
「全員、何か得物を持ってこい!」
後ろに向かって侶進は言った。
小林興業とぶつかるのは覚悟していた。
だが、目の前で仲間が燃やされると、さすがに、意気消沈する者もいる。
四五人が適当な建物に駆けていくのを、多くの一団が見送った。
戦力にならない奴が多すぎる。
侶進は無意識で、顔の脂汗を拭う。
「俺たちは、ここで町を支配するんだ! おまえ達は何をしている!?」
戸惑う一団に怒号に近い大声を掛ける。
それでも彼等は動かない。
侶進は舌打ちした。
砥塚は嘲るように嗤っている。
ゲートを開ける訳にはいかない。
侶進はそう決心した。
「せっかくだけど、帰ってくれませんか? 落とし前は、今燃えてる奴で十分じゃないですか」
砥塚は、ポケットから電子タバコを取り出して、煙を吐いた。
「親父からの命令とあってはね。帰る訳にはいかねぇんだ」
言って背後を振り返り、手を大きくゲートに向かって回す。
巨大なエンジン音が響き、街灯のついいない暗い闇の向こうで、何かが軋んで震えた。
一気に向かってきたのは、十トントラックで、一気にまっすぐゲートにスピードを出して突入した。
ゲートはひしゃげ、トラックが大穴を開けた。
エンジンはそのままに、止まったトラックの脇を進み、砥塚はドライバーに軽く手を上げて労をねぎらった。
呆然としていた神浄鬼の連中はすでに逃げて姿を消し、鉄パイプやバットを持った五人が、立ち塞がっているだけだ。
「はっはー、なんだよ、そんなちゃちな得物で、小林興業に喧嘩売ってるのか?」
砥塚は、腰のベルトに挟んだコルトを抜いた。
「ほら、最初は誰だ? 神浄鬼とか言う奴の、二人目の犠牲者だ。多分、それ以上覚えていないだろうからな」
その時、砥塚の背後で、ドスのきいた問答が起こっていた。
誰かが殴られて、呻く声が聞こえた。
同時にトレーラーの詰んでないトラックに、何か金属的な者が投げぶつけられる。
次の瞬間には、トラックは炎に包まれた。
運転手が慌てて外に飛び出す。
「おいおい……」
砥塚は、廃工場に進むことで、トラックから距離を取った。
別の金属音が聞こえ、悲鳴が上がる。
「ドール・メーカー……!?」
ゲートの高見台に上がっていた侶進は炎の光に浮かび上がるその姿が見えた。
フードを目深に被り、黒いコートを来て、右手は、二枚刃が並んだチェーンソーがついていた。
「ほう……てめぇ、よっぽど死にたいらしいな? 警告はしてあったはずだぞ」
砥塚が、彼に向かって言う。
同時に、その胸を向かって、コルトの引き金を二回絞った。
銃声が夜の空に響き、銃口からわずかな煙が揺れた。
だが、男は衝撃を喰らい、二歩ほど後ずさったが、血も流さず立っている。
「こんなもんか? ん? どうしたよ?」
男は挑発するように、軽く手を広げた。
そして、そのまま砥塚に近づいてくる。
「くそったれが!」
「あー、そうそう、小林興業だけどな、今頃燃えてるぞ? ちょっと確かめてみるのも面白いんじゃ無いのか?」
男は楽しげに言った。
「燃えてるだと!?」
砥塚は信用したわけでは無いが、胸騒ぎがして、左手だけで携帯を操作した。
小林興業の本拠に電話を掛ける。
だが、この通話は使えないと出た。
組長のところは、無反応だった。
適当に事務所に詰めていそうな奴に連絡をつけようとする。
その間、ドール・メーカーの格好をした男は、黙って待っていた。
『砥塚さんですか!? 連絡もらえて良かったです。事務所が誰かに放火されたんですよ! もう煙と炎が酷くて……』
「んなことどうでもいいよ! 親父はどうしたんだよ!?」
『それが、まだ事務所の中らしく……』
砥塚は愕然とした。
小林興業が項も簡単に大打撃を受けるとは、おもってもみなかったのだ。
「早く帰ったらどうだい? 大事な大事な親父殿が焼死しちまうよ?」
男は鼻で嗤っている。
「くそっ! 侶進、話は今度またさせてもらう。命拾いしたな!」
砥塚は駆けだして、動ける者だけを連れ、あとはその場にのこして、離れた場所に止めたプリウスに飛び乗った。
車が行ってしまい、取り残された組員達は、バット等を持ってきた神浄鬼メンバーにボコボコにされて、血まみれの姿で動かなくなった。
「池尋さん、わざわざすんません!」
高見台から降りてきた侶進が、亨昭に頭を下げる。
「何、面白い事を考えたんでなぁ」
「面白い事?」
少年は思わず聞き返していた。
「金、大分貯まっただろう? それの使い道だよ」
亨昭は低く笑って、それ以上のことは言わなかった。
珍しく、砂項は一人で外出していた。
バスに乗って、御殿場図書館まで行く。
停留所からも、巨大な鳥居は見える。
彼は正面から図書館に入っていき、まっすぐ案内の窓口の前にたった。
「あら、砂項。一人なの? 珍しいわね」
凪佐が明るく問いかけてくる。
「たまにはね」
「で、わざわざこんなところまでどうしたの?」
「ちょいと、本殿を見たくてね」
「良いわよ。ついてきなさい」
「いや、一人でも良いんだけど……」
「駄目よ。私が誰が、知ってるでしょ?」
そうなのだ。凪佐は道楽で図書館案内をしているが、館長であり、同時にここの祠の祭主でもある。
結局、凪佐に案内されて、裏庭にある祠から、地下の本殿まで来た。
砂項は、壁の棚に並べられた人形を一つ一つ調べるような目で追っていく。
作った者によって、かたちは違うが、皆同じ見慣れたデザインの者だ。
大体は大人の拳ほどの大きさだが、より小さい物も、何が起こったか、人間大の物もある。当然中身は綿だ。
「んー……以前来たときと、まったく変わらないねぇ。二三個の人形が、増えたぐらいだなぁ」
「それがどうかした?」
「いや、別にどうってことはないんだけどもね」
それだけで、砂項は祠から引き返して、図書館を出た。
家では、詩稀が百ピースのジグソーパズルのピースに接着剤をつけて、土台に貼り付けているところだった。
きちんとはめ込んでいるのでは無い。
合わないピースを強引に隣に張って、三分の一ほど埋めている。
「つまんなーい!」
彼女はピースをリビング中にぶちまけて叫んだ。
「はいはい、悪かったよ」
「アイス食べて良い?」
ジト目で、彼女は砂項に訊いた。
「ああ、別に。おまえの分だろう?」
「それは、食べた」
「あ?」
「イスー、アイスー」
「おまえ、俺のまで……」
「頂きます」
砂項の目の前を通り過ぎて、キッチンに向かう。
諦めた砂項は、箒とちり取りで、部屋のパズルピースをリビングから集め出す。
そうしているウチに頭の中で考え始める。
忘れられた御殿場神社。
その再建を要求する、伯蛟。
唐突に彩葉のもとに現れたドール・メーカー。
繋がりそうだが、異分子が混ざっている気がしなくも無い。
砂項は、パズルの土台の上に、ピースをのせると、ソファに座って、黙考した。
深夜、御殿場図書館は静寂に包まれていた。
道路には、時折行き交う、車のヘッドライトが流れ去って行く。
彼等は、図書館の鳥居の前にある柵を強引に引きちぎる男を照らしていたが、誰一人、気にもとめなかった。
鳥居をくぐり、正面の自動ドアの前に立つ。
唯一明かりがついていたのは、警備員室だった。
年配の警備員と、凪佐がこちらを見ているのがわかる。
凪佐は驚いた顔をしていたが、すぐに表情を引き締めると、自動ドアを開けた。
「……今日は随分と、お客が多い」
苦笑しつつ、ジャケットを脱いだスーツ姿で、ホールにでてくると、ドール・メーカーとおぼしき男は、彼女の面前で止まった。
「驚いたわね。これはどういうこと?」
ドール・メーカーは不気味な笑みを浮かべた。
「俺は自由になったのさ」
「へぇ……」
ロングのタバコに火を点けようと、目を下ろすと、彼が一斗缶の代わりに巨大な紙袋を手にぶら下げているのが見えた。
「それは?」
凪佐は煙を吐いて訊いた。
「それより、神前に行きたいなぁ……」
言われて、凪佐は少し考えた様子だった。
結局、彼女はうなづいた。
裏口から外に出ると、夜風が涼しかった。
ほこらの階段を先導して降りて行く。
ドール・メーカーは黙ったままだ。
「あなた、まだ彩葉を殺してないわね?」
返事が無かったので、凪佐はそのまま階段を下り続ける。
やがて、明かりの灯る空洞が現れた。
壁に掛けられた棚に、いびつな人形が置かれ、
「御殿場様はお怒りよ。ほら、ご神体の鏡まで割れてる」
「……そうか」
「最近、コピー・キャット出てきてるけど、大丈夫なの?」
相手が乗り気じゃないと見ると凪佐は話題を変えた。
「……砂項を殺っていいか?」
「……駄目ね。あいつ、アレで役に立つから」
「…そうか。なら、標的は決まったな」
つぶやいて、ドール・メーカーは身を翻した。
凪佐もついて行く。
階段を二段のぼったところで、ドール・メーカーは一斗缶を突然、空間の中に放り込んだ。
マッチが放り込まれ、新聞紙を丸めた物に火を点け、投げ込む。
足下で鏡や人形達が炎に包まれて、煙が階段に充満する。
凪佐は驚き、急いで階段を駆け上がった。
ドール・メーカーが地上二出てきたとき、凪佐は怒りの表情で彼を睨んでいた。
「どういうこと!? なにしたか自分でわかってるの、あんた!?」
ドール・メーカーはニヤリと笑った。
「俺は自由だ……もうあんたの指図も受けない」
言って、御殿場図書館を跡にした。
凪佐は、悔しげにその背後を見つめているだけだった。
彩葉は凪佐の目を盗んで御殿場図書館に通い、三階の郷土資料館に通い詰めていた。
調べているたのは、御殿場神社とその祭りのことである。
御殿場神社の歴史は、三百年。
埋め立て地にされる前は、きらびやかな海上神殿ということで、賑わったらしい。
そこの頃にあの人形の二の文字もない。
出てくるのは、埋め立てられてからだ。
明治政府が神社を統括すると、御殿場神社の関係者達は、神社の維持を嘆願した。
だが、政府は認めず、廃社の決定をした。
過去、御殿場神社が、口減らしのために、子供達を犠牲にする奇祭があったことが理由だ。
それも、十四から17歳の子供に限っている。
最近の研究では、人身売買の疑いも出てきていた。
彩葉は、驚きながら読み進んでいった。
一説では、久司町が出来て町に移り住んで来た者たちが、その子孫であると。
ドール・メーカーの記録は無かったが、未だに、昭和中期まで人身売買は行われてきたらしい。
人形はその形見として、あの祠に収められていたとこのことだ。
何となく、忌われた歴史を感じたが、彩葉は自分が襲われた理由にまではとどかなかった。
納得出来ずに結論をもって、寮に帰った時、調度、陽香と出会った。
「あららん、彩葉、どこいってたの?」
彼女は制服姿で、調度学校帰りらしかった。
「うん、ちょっと図書館に」
「へぇ。図書館といえば、あの祠、燃えて無くなったらしいね」
彩葉には初耳で、驚いた。
ここ数日通い詰めたが、そういえば祠には少しも興味を抱いていなかった。
それならば、ドール・メーカーはどうなるのだろう。
考え込んだ彩葉に、陽香は笑った。
「何そんなに深刻そうな顔してるの」
バシバシと、背中を叩いてくる。
「……それ、砂項さん知ってるのかな?」
「んー、どうなんだろうね。ずっと家にいる感じのくせに、嫌に情報通だしねぇ」
「ちょっと、行ってくる、あたし」
「あらま。行動が早い」
陽香は笑っって続ける。
「ならお供しますよ」
「うん、一緒にいこ」
二人は道を変えて、歩き出した。