珍しく登校して、休み時間にボーとしていた陽香に連絡がはいっった。
内容は、紅蓮連合を裏切ってた一団がいるというものだった。
陽香は紅蓮連合に知合いがいるというだけで、メンバーでもない。。
気にするようなことではない。たかが紅蓮連合の仲間割れでしかない。
そう思って、残りの授業を寝て過ごす。
学校が終わると、また連絡がきた。
紅蓮連合から割れた十数人が、行方不明になったという。
まさか、消された?
他人事ながら、突然、意味のわからない伊報告を受けて、彼女は軽く混乱した。
だが、そんなこともすぐ忘れ、いつも彩葉と待ち合わせている、駅前のクレープ屋に向かった。
彩葉は浮かない様子で、一人クレープを食べながら奥の席に座っていた。
待たせたかな?
陽香は時計を見る。
学校帰りとしては、普通の時刻だ。
こうして、二人でいるときは、ドール・メーカーの作った死体を見ないで済むんでいた。
しかし、この間の彼の襲撃である。
伊左衛門がいたから良かったが、まさかの展開だった。
陽香は、綾葉のテーブルに座った。
「待たせた?」
「んーん」
言いつつも、クレープは半分になっていた。
「なんかねぇ、砂項さんが用事あるみたいで、会いに来いって」
「電話じゃ無理なのか」
「あー、電話苦手らしいよー」
彩葉は呑気に行って、陽香がクレープを頼むか訊いた。
「いや、砂項さんところ行こうか」
二人はバスに乗りこんだ。
住宅街にある、白い家に着くとインターフォンを押す。
『あ、二人とも! ちょっとまっててねー」 詩稀の声がマイクから放たれたあと、パタパタと玄関まで駆けてくる足音が聞こえた。
ドアが開かれると、ニコニコした明るい表情で、二人を迎えた。
タンクトップにハーフのサルエルパンツ姿だ。
「砂項はリビングにいるから、まっすぐねー」
言いつつ、彼女は先導する。
砂高は、藤の椅子に座って、ぼんやりとリビングを眺めていた。
テーブルには、コーヒーが半分ほど飲まれたままのカップが置かれている。
サマーセーターに、ハーフパンツを履いて、完全にリラックスしている。
「ああ、何してるの? 座ってよ」
振り向いて、ドア口に並んだ三人に、砂項は笑った。
「どうしたんですか?」
まず口を開くのは、陽香だ。
彩葉は元々の引っ込み思案で、未だなかなかに喋られないでいた。
二人は砂項の返事を待ちながら、ソファに腰掛けた。
詩稀はテーブルの端でフローリングの上にそのまま、あぐらをかいた。
「ドール・メーカーのことでね」
多分、というかそれ以外は無かったが、ドール・メーカーの名前を出された時、二人は緊張した。
「陽香さんは、何か最近変わったことはなかったかい?」
砂項は、年下の重大にもさん付けする。
「えっと、得には……」
バスでの襲撃事件の一部始終は、家から電話で伝えてあった。
依頼、数日は目立った変事はおこってはない。
「いや、ドール・メーカーが予想外の行動にでてねぇ……」
「予想外?」
「簡単に言えば、仲間というか、部下というか、そんな者を作った」
「え!? あの殺人鬼じゃなくてですか?」
「うん、それとは別に」
砂項は頭をかいた。
「はっきり言っちゃえば、ドール・メーカーは怪異だ。それが、目的のために手段を変えたり、発明したりするはずはないんだけどさぁ……」
「どんな相手が?」
陽香が聞いた時、詩稀が思い出したように、キッチンから、コークを二人に持ってきた。
礼を言って、クーラーの効いた部屋で、受け取り、テーブルに置く。
彩葉は、そのまま一口飲んで、げっぷを我慢した。
「紅蓮連合の若い奴らだよ」
「ああ……」
調度、陽香に裏切った連中がいると知らされたばかりの話だった。
「何か聞いているのかい?」
「ええ、割れた一団がいるって」
簡潔に答えた。
砂項はうなづいた。
「しかし、参ったな。暴走族を取り込んだんじゃ、出現通路が一気に広まってしまう」
悩ましげに言った砂項に、彩葉が口を開いた。
「あの、思ったんですけど……」
自分から喋り出すのは珍しいので、一同は沈黙して視線を向ける。
「怪異って言ってましたが、あたし、今まで何度もドール・メーカーに会って、滅茶苦茶な死体を見せつけられて……でも、直接に危害を加えてきたのは、あの殺人鬼なんですよ」
一息ついて、彼女は続けた。
「それで、砂項さんが色々やってくれてるのは知ってるんですが、この際、こちらから何かアクションを仕掛けられないかなって思いまして…」
半ばうつむきながらの言葉だったが、聞いていた砂項はニヤリとし、陽香は驚き、詩稀は楽しそうな表情になった。
「こちらからのアクションね。それはいいな。いままで、どう避けるかしか考えてなかったんだから」
砂項はうなづいて、彩葉の提案を歓迎した。
「でも、どうやって?」
「それはこちらで考えて処理しておくよ。今日はありがとう、二人とも」
早々と、陽香と彩葉を帰した砂項は、上機嫌な様子だ。
「どーしたー? 名に一人で嬉しそうな顔してるのー、気持ち悪いよ?」
自分のコーラを飲む前に詩稀がコップで響かせた声を投げかけてくる。
「いやぁ、別に。色々あるんだよ」
「ふーん。でも砂項は、喧嘩沙汰みたいのは嫌いだったよねぇ」
「それのことじゃないな。話が一つ解決したって感じさ。さぁ、詩稀、おれはちょっと昼寝するから、六時頃にでも起こしてよ」
砂項は立ち上がった。
「えー何考えてんのさぁ、暇じゃん!? あたしが暇じゃん!?」
「じゃあ、どうしろっていうのさ」
「遊んで!」
上目遣いで、お願いという感情を溢れるようにして、詩稀は訴えた。
「寝るよ。起こしてね」
脇をすり抜けて、砂項は私室に向かった。。
「え、ちょま!? 鬼! 悪魔!」
砂項は手を振りつつ、姿を消した。
亨昭は作業用のベッドで目が覚めた。
「主任、患者さんがお目覚めです」
看護婦とおぼしき女性が、奥の部屋に声を投げかける。
その部屋は、病院にしては雑然としすぎていた。
医療道具だけでは無く、正体不明の機械や鉄屑などが散乱している。
ベットのシーツもかなり汚れて、衛生という概念などあるのか疑問を持つ前に、無いと断言できる環境だった。
「……まったく無理難題もいい加減にしてほしかったな。まぁ、何とかできたが、調子はどうだ?」
眼鏡を掛け、ボサボサの髪で年配の男は、一応白衣を着ているが、汚れ放題の上に火の点けたタバコを咥えている。
亨昭は、身体からしびれがゆっくり収まってくるなか、自分の右腕をゆっくりともちあげてみた。
肘から少し残った下腕は、二枚のチェーンソーが付けられていた。
左手で付け根のボタンを押すと、獰猛といった勢いで刃が高速回転する。
亨昭は上機嫌になるのを押さえて、壁近くの人体模型に掛けられていたコートを見た。
「あー、そっちは悪くなさそうだな。で、コートだが……」
「はい先生」
視線をうけた看護婦が、状態を起こした亨昭に腕を通してやった。
右袖には、革の手袋をした腕の精巧な複製が縫い付けられていた。
ベットから降りて、その腕をまじまじ眺めた亨昭は、中で腕を動かした。
すると、革手袋をはめた手が炎に包まれた。
燃えるなかで、手は開いたり握ったりの動きを繰り返す。
炎が消えた。
亨昭は満面の笑み、にしては暗い凶悪な表情を浮かべた。
「完璧だ。よくやってくれた」
「……金さえもらえれば、何でもやるよ、ウチは。ああ、壊れたらちゃんとウチにもってくるんだぞ。変なところに持ち込んだって、私のの機械がわかるとは限らない」
医者らしき男が淡々と言うと、亨昭はうなづいた。
深夜、人影の少ない公園で、男と、バイクを傍に置いた少女の姿は目立った。
辺りに大量のバイクのエンジン音が鳴り響びくと、余計な人物は公園から姿を消した。
だが、男はそのまま池の畔に立っていた。 紅蓮連合の一部が公園の中まで乗り込み、男のそばまで来る。
彼等が見たのは、同じメンバーでまだ十四歳の少女が未だわずかな炎の中で肺臓を引き出されて、横たわっている姿だった。
紅蓮連合のメンバーの数人が、凄惨な死体をみて、その場で吐き出した。
「……てめぇ、自分が何してるのか、わかってるのか……!!」
彼等の中から、一人が怒りと恐怖にとりつかれた男が、半ば怒鳴る。
亨昭はフードをかぶったコート姿で、口角をつり上げた。
「……もちろん、わかってるさ。紅蓮連合さん達よ。おれはおまえらに用があったんだ。だから、このガキも、連絡を取るまで殺らなかった」
「うるせぇ、てめぇぶっ殺す!!」
一人がバイクを捨てるようにして、亨昭に走り込みだすと、他の連中も続いた。
亨昭は、振り返って軽く顎をあげ、だらりとした腕のままだった。
「おい、待てよ。俺は話し合いに来たんだぜ?」
言いつつ、一人が突き出したナイフを一歩横に足を出して身体をひねり、よける。
バランスを崩した彼の後頭部に右手を叩き付ける。
まだ仕掛けを動かしてないとはいえ、重量のある衝撃は、相手の意識を一瞬吹き飛ばすに十分だった。
千鳥足ですり抜けて言った刈れば、そのまま歩道に座り込んでしまった。
二人目、三人目が殺到して、亨昭は不気味に嗤った。
「ガキどもが! 話を聞けと言っているだろう?」
だが、彼等は聞く耳を持たない。
向かってくる男の襟首を掴んで強引に引き寄せ、右手で数度顔面を殴る。
彼を放り投げると、次の相手の振り込んできた拳を外側から巻くようにして、避けつつバランスを崩させて、喉元に膝を叩き上げる。
一瞬で三人を歩道に倒し、亨昭は残りのバイクのぞばに残っている男達に向き直る。
「いいかコラ、これから紅蓮連合は、俺の言うことに従って貰う。文句があるなら、幾らでも焼死体にしてやるぞ!」
一人、冷静に見ていたライダーズジャケットの男は、戸惑う周りの仲間のなか、ポケットから携帯を一つ取り出して、亨昭に放り投げた。
空中で受け取ると、男は言った。
彼はバイクにまたがると、真後ろに方向転換して、走り出した。
残りの連中も続いていった。
亨昭は一人、下品な笑みを浮かべた。
会社は、右腕を失った時に辞めていた。
車のローンに、クレジットカードの支払いがだいぶ溜まっていて、金に困っていたのだ。
紅蓮連合からの上がりをいただけるとなれば、そんな小市民な借金など、すぐに帳消しにできるだろう。
それに、彼等は陽香と彩葉の関係者だ。
一石二鳥とは、このことではないか。
事務所に、ふらりと御刳がやってきた。
砂項がリビングに入れると、早速かれは、ビールを要求した。
「まだ昼間だろう」
言っている砂項の目の前のテーブルには、スコッチウィスキーの瓶と、琥珀色の液体が入ったグラスが一個、置かれていた。
「おまえに言われたくないよ」
詩稀が黙ってコーラのボトルとコップを持って、テーブルに着いた。
ソファには御刳だけが座っている。
「あんたまだ、ハブられ捜査なの?」
「そうだよ。とりあえず、この前のバスの鑑識結果がでて、殺人放火の事件の線で追うことになったが、俺のところには、声が掛けられねぇ」
「ドール・メーカーの事件はどんどん増えてるじゃないの」
「それでも、俺は蚊帳の外さ」
「なんでなんだよ。ハブられるのも徹底してるでしょ、それ」
「あー、どうなんだろうな」
御刳は自嘲した。
実際、ドール・メーカーの犯行は久司町でエスカレートしていた。
まるで、今まで彩葉に相手だけして沈黙していたのを、取り戻すかのように。
「どうも何も、紅蓮連合とツルんでるからでしょう? 署にもバレバレでこれからどうするのさ?」
「おや、その情報は砂項さんところにも行っていたか」
驚きもせず、淡々とその真似だけはする。
「ツルん出るわけじゃ無くて、管理・厚生だよ」
「そんなもん、少年課にまかせておけばいいでしょうに」
「人手不足でね」
砂項は、あっそうと、冷たく返事をする。
「そういやな、鑑識結果ででた犯人像の男が、紅蓮連合に接触したそうだ」
「ほう……」
「ドール・メーカーだよ。そう判断する材料が多すぎた」
彼は、陽香と彩葉がバスでドール・メーカーに模した男に襲われたと、連絡は受けていた。
「決定打に、燃え多田とは言え、炭化まで行ってない右腕が残っていた。まぁ炭化してもしらべられるんだけどな」
「調度いいじゃん。犯人に取られるか、あんたが取るか。有利な勝負じゃないか」
「それで、来た」
御刳はビールをあおって、息を吐いた。
「結局、あいつは何なんだ? おまえがご執心なのは雰囲気でわかるが、あいつは怪異じゃないだろう?」
「あんたが、追ってるのは、ちがうよ。ただ、怪異は出た。本当なら誰も気にしないままに過ごす輩だけど、妙に感受性が強い子がいてね。その子が怪異に会ったんだよ」
「で、おまえは呑気に、昼間からスコッチかよ」
砂項は苦笑した。
「なんかさあ、現実のドール・メーカー名乗る男のせいで、多少事態が混乱してるんだよ。
本来は、そんなに騒ぐ程のものじゃないのにね。もしかしたら、怪異のほうが、混乱してるかも知れない」
「ほー。俺は怪異なんて知らんがね」
「せっかく来たんだ。ちょっと手を貸してくれ」
「ああ?」
御刳は、露骨に面倒くさい顔になった。
「そんな顔しないでよ。なに、簡単なことだよ」
「あー、いいけどよ」
御刳は承諾した。
彼等の横では、コーラで酔ったフリをしている詩稀の姿があった。
「詩稀、おまえにもね」
言われた少女は、パッと表情を明るくして、首をカクンカクン言わせながら、うなづいた。
「来たよー!!」
学校の寮だった。
見たところ中学生の少女が夕方、水色の肩だしのブラウスとホットパンツ姿で、ドアの前に立ってインターフォンを鳴らす。
中から出てきたのは、彩葉だった。
黒いノースリーブシャツに、黒いボトムをはいている。
「あれ、詩稀ちゃんじゃない。一人? めずらしいね」
「うん。ちょっと、遊びに来た」
わずかに照れつつ、満面の笑みを彩葉に見せる。
「かんげーかんげー! さぁ、入って」
キッチン別のワンルームに入ると、クーラーが効いていた。
「アイス食べる? ジュース飲む? 両方いっちゃうー?」
先にソファーに座った詩稀に、彩葉はキッチンから声を投げかける。
「両方いっちゃおーかー!」
「オーケー!! その代わり、お腹壊さないでね」
「あ、あたし砂項から鉄の胃袋って言われてるから大丈夫!」
軽く自慢げな様子を見せて、アイスを受け取り、コップがテーブルの上に置かれた。
「遊びに来てくれて、嬉しいよ、詩稀ちゃん」
言われ、詩稀は照れたような笑みを浮かべた。
「彩葉は何してたの?」
年上を呼び捨てにするが、呼ばれた本人は気にしている様子は無い。
「あー、ゴロゴロしてた、かなぁ」
苦笑いしつつ、アイスを囓る。
しばらく、詩稀が砂項の普段の悪口や不満を言って、彩葉を笑わせてせていた。
「そんなこといって、詩稀ちゃん、砂項さんのこと好きなんでしょ?」
「えー、べっつにー」
横を向いて口をとがらせると、彩葉は微笑んだ。
「いいなぁ、詩稀ちゃんにはそういう人がいて……」
「ん? 彩葉にはいないの? お父さんやお母さんは?」
アイスから口を離して、詩稀は訊く。
「んー、あたしはねぇ、この町に逃げて来たから……」
彼女の雰囲気を読んでか読まないでか、詩稀はうんうんとうなづいた。
促されるように、彩葉は続ける。
「実はね、あたしの実家、とても家とか言えるところじゃなかったの。あまりに酷すぎてね」
「ふーん、そんなに酷かったんだ。良かったね、こっちに来れて」
ニッコリとする詩稀が手のひらを差し出してだしてくると、彩葉は音を立てて、手を叩いた。
「いぇーい」
「いぇーい」
ゲラゲラと、詩稀は笑う。
明るい子だなと、彩葉は冷静な部分で思う。
多分、砂項や父親の麻鹿とかいう人のおかげなのだろう。
比べて自分は……。
「夕飯食べていく、詩稀ちゃん」
詩稀は首を振った。
「今日はあたしが食事当番なのよねー」
「へぇ。詩稀ちゃん、料理出来るんだ!?」
「任せて。得意なのは、ぶり大根!」
「おおおお!」
どやと腕を見せる詩稀に、彩葉は小さく拍手する。
「あー楽しかった。またくるね」
詩稀が立ち上がる。
六時半を過ぎたところだった。
「うん。楽しみに待ってるね」
二人は、笑顔で別れた。
詩稀はバスに乗って、寮から自宅の住宅地近くで、降りた。
辺りは静かで、風が生暖かい。
詩稀は、携帯で砂項に帰ると伝えるために、番号を押した。
だが、繋がらない。
この番号は使えないというナレーターの声が流れてくるだけである。
間違えたかと、確認してみたが、確かに砂項の携帯番号だ。
詩稀は、携帯から顔を上げた。
周りの町の様子が、どこか印象か印象と違う。
降りる駅も間違った訳では無い。
この時間帯だというのに、辺りから生活感がまるでないのだ。
詩稀は急に不安になった。
自分の家まで軽く駆けだしたのが、全力疾走になる。
その眼前の街灯が、まるで誘導灯のように彼女の走る先を、二列に瞬き灯って行った。
この道は違う。
詩稀は走る足を緩めて、辺りを見渡した。
いつの間にか違う道に入ったらしい。
無我夢中でいつのまにか、街灯に誘導されたらしい。
詩稀は己の間抜けさを荒れた息の中で吐き出すと、とぼとぼと、正しい道のりまで戻りだした。
頭上から明かりを下ろしてくる街灯は、まるで永遠のように暗い夜道に続いていた。
まさかと思ったが、詩稀は迷ったようだった。
携帯をとり、再び番号を入れるが、通じない。
諦めて、ゆっくりと家への道を探すことにした。
詩稀はほとんど外に出ないために、住宅街から、駅までの道は、四本ぐらいしか知らない。当然、全て繋がっている。
急に冷たい風が彼女に吹き付けた。
その先を見ると、街灯の列の下に一人の人影がゆっくりと、こちらに向かってくるのがわかった。
助かった。道が聞ける。
詩稀は、安堵して早足だった歩を緩めた。
まだ小さかったが、姿を判断出来る距離まで来ると相手が、左手に何か長方形の箱をぶら下げているのがわかった。
直感から確信になるまで一瞬だった。
彩葉や砂項達が言っていた、ドール・メーカーだ。
ただ、辺りに彼が残していくという、焼死体の姿が無かった。
足は勝手に詩稀の意思とは違って、まっすぐに進んで行く。
今すぐにでも脇道に走って曲がりたいのにである。
身体が思うように動かない。
詩稀に恐怖が溢れんばかりに沸いて出てきた。
ドール・メーカーは、ただ死体を見せるだけでは無かったのか?
詩稀と彼は、すぐ、三十メートルほどの距離まで、近づいた。
やっと、詩稀は強制された歩きから、解放された。
だがそれは、この距離ならば、彼は相手を逃がすことは無いという事だろう。
詩稀が聡く相手の行動を読むと、フードの下で、男は口角を引きつり上げる笑みを見せた。
「やあ、お嬢ちゃん。今回はめでたい日でねぇ。一緒に祝ってくれないかな?」
うそ寒い低く湿ったような感触のある不気味な声を発した。
「……いつものケーキはどうしたの? あなたドール・メーカーでそれが職業よね?」
詩稀は勇気を振り絞って、軽口を相手に浴びせる。
「ほう。言うじゃないか。おかげさまで、人形作りは終わりさ。一瞬、身体が自由にならなかっただろう? 私も以前まではそうだったのだよ。だが、見ろ」
ドール・メーカーは両手を広げた。
「動けるんだ。自由にな」
「……意外とよく喋るんだね、あんた」
「ああ、気分が良いからな」
彼は一斗缶を持った手を下ろし、革製の手袋をした手を、改めて握り直した。
詩稀は危険を感じて、一歩後ろに下がった。
ドール・メーカーは一斗缶を路上に置き、詩稀にゆらりと近づいてきた。
軽く持ち上げた両手に、青白い炎が現れた。
その時、詩稀の真横から、白い輝きが瞬いたかと思うと、ドール・メーカーの眼前に着物に陣羽織を羽織った男が立ちはだかった。
「……伊左衛門!! ついてきてくれたのね!?」
ドール・メーカーは回した手で炎の壁を作り、彼の踏み込みを止めていた。
半端な格好になった伊左衛門は、刀を振りかぶったまま、ゆっくりと正眼に戻す。
「やぁれやれ。遅いなーと思ったんだよねー」
背後から呑気だが、懐かしくも胸にしみる声がした。
「砂項!!」
振り向いた詩稀は、満面に喜色を浮かべた。
タンクトップにハーフパンツ、サンダルという姿だったが、詩稀はすぐに飛びついた。
「おおぅ。詩稀、無事だったな。よく耐えた」
「怖かったよー……」
胸の中で、詩稀が泣き出す。
「もう大丈夫だよ」
その頭に手を置いてやりつつ、砂項はドール・メーカーから目を離さなかった。
「……自由に動けるとはいえ、俺だけじゃないということか……」
ドール・メーカーは舌打ちしたらしい。
そして、次の瞬間には姿を消していた。
町の街灯が一斉に灯り、家々に生気が戻る。
「逃げたか……」
砂項は辺りの様子を見て、つぶやいた。