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雨といっっしょに
一希児雄
SF空想科学
2024年09月23日
公開日
6,899文字
完結
東北で喫茶店を営む青年・栗林凜太朗は、梅雨の日に一人の不思議な少女と出会った…。

雨といっっしょに

 私の名前は栗林凜太朗。今年で80歳になります。東北で喫茶店を長年営んでいるごく平凡な人間ですが、今から50年以上前、私はある不思議な少女と出会い、世にも不思議な体験をしました。これから皆さんにその事をお話しようと思います…。


 私の父は戦争で亡くなりました。母と私は父方の祖父母と一緒に東京で暮しておりましたが、大空襲で祖父母も家も失いました。母は爆撃の恐怖から少しでも逃れようと、まだ幼かった私を連れて東北へと疎開しました。そして母は、町から少しばかり離れたところに佇む古びた一軒家を見つけました。緑豊かな自然に囲まれた、とても綺麗な場所です。自然が好きだった母は、戦争の恐怖を少しでも忘れたいと、ここに住む事を決めたのです。

 忌まわしい戦争が終わると、私達は小さな畑を耕し、イモとカボチャを育てて食べたり、物々交換などでどうにか生活を補っていました。ですが、母は昔、父と喫茶店を開く事を夢見ておりました。亡くなった父のために、いつかその夢を叶えたいと、母はいつも考えておりました。そして数年後、日本は戦後の混乱期をようやく脱出し、母は父が密かに遺してくれていた財産を元手に、家の側の空き地に小さな喫茶店を建てる事ができました。地元の人達も物珍しさにやって来て、店の評判も広がり、町からやって来るお客も徐々に増えて行きました。母は私を育てながら一生懸命働きました。けれど、私が18歳の時に急な病で体調を崩し、そのまま帰らぬ人となりました…。

 私は大学進学を諦め、母が残してくれたこの喫茶店を切り盛りする事を決めました。一人で働くのはとても大変ではありましたが、店に来るお客さんは皆気の良い人ばかりで、ちっとも苦に思いませんでした。皆の優しさが私の心の支えとなっていたのです。


 それから5年後の梅雨の時期に、彼女は私の前に現れました…。


 その日は定休日だったので、私は自宅でのんびりと寛いでおりました。春の終わりを告げる雷鳴が轟き、夏が始まろうとする季節の変わり目を感じながら、私は降りしきる雨を眺めておりました。

「…あ、そういえば物置の鍵はちゃんと閉めてあったかな?」最近ここらへんでクマが出没したというニュースを聞いていたので、私は物置小屋が荒らされてはまずいと思い、鍵をチェックするため傘を持って外に出ました。すると、私は何かの気配を感じたのです。気配のした方に目をやると、地面で水たまりか何かが動いているように見えました。

「な、なんだあれは…?」

 正体を確かめようと近づいた私は、信じられない光景を目にしました。水たまりのように見えたそれは、半透明のアメーバ状の物体で、地面のあちこちでうねうねと蠢いていました。どうやらその物体は、雨の雫とともに空から降り落ちて来てるようでした。あちこちに散らばった物体は、一か所へと集まって徐々に大きな塊となり、何かの形になっていくのが分かりました。私は恐ろしくなり、慌てて家の中に戻りました。

 恐る恐る玄関引戸の隙間から外を覗くと、そこには一人の人間らしきものが仰向けで倒れておりました。得体の知れないものなので、私は用心しながらそれにゆっくりと近づき見てみると…それは、人間の女性と同じ姿をしておりました。年齢は16か17歳くらいに見えました。少し青みがかった白い髪のおかっぱで、両耳には緋色の水晶の耳飾り、顔はまるで西洋人形を彷彿とさせるほど、とても可憐な顔立ちでした。けれど人間とは明らかに違う部分も見られました。衣服は身に着けていなかったので全裸なのかと思いきや、それの身体には二つの胸の膨らみは有っても乳房などは無く、プラスチックの人形のように全身の表面がツルツルとしておりました。

 彼女はそのまま眠っていた様子でした。一体何者なのか…天からやって来たという事は、地上に幸運を齎しに来た天使なのか、それとも地球を乗っ取りに来た宇宙人なのか…だがもし侵略者ならば、果たしてこんな美しい容貌をしているのだろうか…彼女を眺めながら私はそんな事を考えました。それはともかく彼女を見ていると、そのまま放っておくのはどうにも気の毒だと感じ、私は一先ず家の中へと彼女を運びました。

 1時間ほど経った頃でしょうか、彼女はようやく目を覚ましました。私は彼女に声をかけてみました。

「あっ!…め、目が覚めたかい?」

 彼女は私の方へと目を向けました。その目は淡く澄んだ緑色の輝きを放ち、まるでエメラルドのような美しさでした。

「君は、誰なんだい?あっ…僕の言葉が分かるかい?」

「…だれ…ことば…わたしは…?」

 彼女はどうやら日本語が喋れるようでした。しかし…。

「君の名前は?どこから来たんだい?」

「…わからない…わたし…わからない…」と、彼女は首を横に振りながら答えました。どうやら何かのショックで記憶を失っているようでした。あまり問いただすのは悪いと思った私は、それ以上は何も聞きませんでした。その時、彼女のお腹からグーと音が鳴るのが聞こえました。

「お腹が空いてるのかい?じゃあ、何か美味しい物を作ってあげよう」と、私は彼女のために料理を作ってあげる事にしました。

 喫茶店で一番人気のオムライスを作り、彼女に振舞いました。

「うちの喫茶店の看板メニューなんだ。さぁ、召し上がれ」

 しかし、彼女はどうやって食べて良いのか分からず戸惑った様子でした。私は食べ方を教えてあげました。私を見ながら、彼女は見様見真似でスプーンを手にし、オムライスを食べました。

「どうだい?美味しいかい?」

 彼女は口いっぱいに頬張りながら頷いてくれました。そして、彼女はオムライスを食べ終えると、満面の笑みを浮かべました。まるで小さな子供のようにです。そんな無邪気な姿を見て私も嬉しくなり、心の中で思いました。彼女は人間ではないが、決して侵略者ではないと…。

「…ねぇ君…君さえ良ければ、記憶が戻るまで、僕と一緒に暮らさないか?」と、私は彼女に聞きました。記憶を無くし、行く当ての無いであろうこの少女を、どうしても放っておく事が出来なくなったのです。彼女も私の気持ちを理解したのか、にこりと笑って頷きました。

「良かった!これからは困った事があればなんでも言っていいからね。ところで…君の事はなんて呼べば良いだろうか…名前が無いと不便だよね…」

 私は、窓の外の雨を見て言いました。

「そうだなぁ…それじゃあ、雨といっしょにやって来たから…『レイン』はどうだろう…」

「…レイン…ふふっ」彼女は嬉しそうに微笑みました。どうやら気に入ってくれたようでした。

 そして、私とレインの生活が始まりました。彼女は私のやる事全てに興味を持ち、色々話しかけてきました。

「これ、なぁに?」

「これは野菜だよ」

「やさい…?」

「そう。これが人参で、これがじゃがいも。これで料理を作るんだよ」

「料理!?料理好き!!わたしも料理したい!!」

 私はレインに料理を教えました。その他にも、野菜の育て方、お茶やコーヒーの淹れ方などを教えました。彼女はとても覚えが早かったですが、オリジナルの料理までも考えて作ってしまった事には、驚きを隠せませんでした。それを見て私は、レインと一緒に働いてみようと考えました。そして案の定、彼女は仕事を難なくこなして、お客さん達ともすぐに打ち解けました。

 お客さん達も、レインを心から受け入れてくれたようなので、とても安心しました。けれど流石に人間でないという事は明かせないので、西ドイツから来た留学生という事で通していました。

「ごっつぉーさん(ごちそうさま)。レインちゃん、へばまんず(じゃあまたね)!」

「おぎに(ありがとう)!まだ来てたんしぇ(また来てください)!」

 レインは方言も完璧に覚えてしまいました。いやはや、彼女の記憶力、適応力には常に驚かされました。しかし後に、レインに隠された本当の力を知る出来事が起こりました。


 レインが私の元へやって来て約一か月半が経ったある日の事です。私は朝早くに起き、店の準備をしようと家の玄関を出ました。すると、店の裏の藪の中で、何か大きな黒い影が動くのが見えたのです。私はそれを見て、背筋が凍りました…。

「ク…クマだ…!」

 それは、体長250㎝ほどもある大きなツキノワグマでした。夏は食べ物が乏しい季節でもあり、草本類や蜂の巣などを求めてクマが出没する事があると言います。おそらく畑の野菜を狙って来たのでしょう。クマは藪の中からゆっくりとその巨体を現し始めました。私との距離は5mほどしかありませんでした。私はクマから目を離さないようにしました。クマは、目を逸らした相手を自分より弱いものだと認識し、襲ってくるのだそうです。それから、クマはラジオの音が苦手だという事を私は聞いていたので、クマから目を逸らさず、ポケットラジオを取り出そうとしながら、ゆっくり玄関の方へと後退りしました…しかし、その時思わずラジオを落としてしまい、慌てて拾おうとしてクマから目を離してしまったのです。クマはそれに気付き、鋭い牙を剝き出し襲い掛かってきました。

《もうダメだ!!》私は死を覚悟しました…が、その時でした。目にも止まらぬ速さで駆けつけたレインが、クマの顔面に強烈な蹴りの一撃を浴びせたのです。クマの巨体は軽々と飛ばされました。クマは、眉間から真っ赤な血を流しながらウオーと一声吠えると、そのままドスンと倒れ込み、絶命しました…。こちらへ振り向いた時の彼女の目…あのエメラルドのように輝いていた緑の目は、獲物をしとめた野獣のように鋭く、真っ赤な光を放っておりました…。

「凜太朗!大丈夫!?」彼女は私を心配して駆け寄ってきました。その時はもういつものレインでした。

「あ…あぁ…ありがとうレイン…」

 私はレインに命を助けられ、とても感謝しました。けれどその反面、『彼女は本当に侵略者ではないのか?』と、今まで彼女に対し思っていた自分の考え方に疑問を抱いてしまいました…。


 それから数日後、レインと別れる日が突然やって来たのです…。


 私とレインはいつものように喫茶店で働いていましたが、その日は雨と風が強く吹き荒れていて、午前中はお客が一人も来ませんでした。あまりに暇だったので、私はポケットラジオでニュースを聞いていました。

「…お客さん、来ないね」レインが寂しそうに言いました。

「この雨じゃしょうがないさ…」

「…お仕事できないね」

「心配ないよ。午後には収まるってニュースで言ってたから」

 しばらくすると、退屈そうにしていたレインのお腹から空腹のサインが出ました。

「…お腹減った」

「はは、そうか。この雨じゃしばらくお客さんも来ないだろうし、今のうちにご飯にしようか。何が食べたい?」

「う~ん…オムライス!!」

「ははは、分かった。作ってあげるよ」

 私はオムライスを作り、彼女と一緒に食べました。ご飯を美味しそうに食べるレインは何度見ても愛らしく、数日前に起こった出来事が嘘のように感じました。そして、降りしきる雨を見ながら、私はレインと出会った時の事を思い出しておりました。

「君と初めて出会った時も、こんな雨の日だったね…」

 その時、ラジオから奇妙なニュース速報が流れました。

『ニュースをお伝えいたします。今朝未明、茨城県のキャンプ場で、男女4人の若者グループが殺害されるという事件が起こりました。グループの一人は、〈水が襲って来た〉という謎の言葉を残し、およそ10分後に亡くなりました…。ここ数日に渡り同様の無差別殺人事件が、日本では北海道、東京、大阪、広島、長崎。海外ではアメリカ、イギリス、ソ連、ドイツ、イタリアで発生している模様です…』

《水が襲って来た?…ま、まさか…!》私はその不可解な証言を聞いて、もしかしたら彼女の同類が殺人を行っているのではないかと思いました。

《もしそうなら彼女も…いや、レインはそんな子じゃない…そんな子じゃ…》

 私はレインの方にそっと目を向けました。すると彼女は、スプーンを持ったまま固まった状態で、ラジオのニュースに聞き入っている様子でした。

「…レイン?どうしたんだい…?」

 レインは黙っていましたが、しばらくすると小声で言いました。

「…わたし…何しにここへ…」

「レイン?」


 ピシャーン!!


 突如、雲を引き裂くような雷が轟きました。爆音のような雷鳴に驚いたレインは、耳を抑えて縮こまりました。

「レイン!大丈夫かい?雷が怖いのかい?」

「…雷…そう…私は確か、雷で…」

「雷?雷がどうしたんだい?何か思い出したのかい!?」

「…凜太朗…わたし…」

 その時でした。突如店のドアを破って、2mほどもある大男が私達の前に現れました。レインと同じく、その大男もプラスチック人形のような身体をしており、真っ赤に目を光らせたその顔は、まるで地獄からやって来た鬼か悪魔のような恐ろしい形相をしていました。大男は目をギラリと光らせ、唸り声を上げながら私に襲い掛かってきました。しかし、レインが私を助けようと大男に体当たりし、そのまま店のドアを破って外に飛び出しました。降りしきる雨の中、レインと大男は鋭い目を赤く光らせ、激しい戦いを繰り広げました。大男はレインに飛びつき押し倒すと、彼女の顔を何度も地面に押し付けましたが、レインは大男の巨体を蹴り飛ばしました。しかし、大男はすかさず起き上がると、レインに凄まじい拳の一撃を浴びせました。レインは藪の中まで飛ばされてしまいました。

「レイン!!」

 レインはどうにか立ち上がり、大男に立ち向かっていこうとしましたが、大男はレインの首を掴み、そのまま持ち上げてしまいました。けれど、レインは苦しみながらも必死で抵抗し、大男の顔面を蹴って怯ませ、危機を脱しました。そして、怯んだ大男を軽々投げ飛ばすと、攻撃が出来ぬよう大きな両腕を捥ぎ取ってしまいました。レインは倒れた大男の上に跨がり、拳を勢いよく顔面目掛けて叩き込みました。大男の頭は破裂した水風船のように飛び散り、身体は泡のように溶けていきました。激しい戦いを終えて、レインはゆっくりと立ち上がりました。

 「レイン!大丈夫かい!?」私はレインは駆け寄りました。赤く光っていたレインの目は、元の緑色の目に戻っていました。

「凜太朗…わたし、思い出したの…」

「思い出した…?記憶が戻ったのかい!?」

「…わたし、行かなきゃ」

「行くって…どこへ!?レイン、君は一体何者なんだ!?」

「聞かないで…あなたを巻き込みたくはない…」

「レイン!」

 レインは私から離れ、振り向きざまに言いました。

「凜太朗…優しくしてくれてありがとう…。地球人には、素敵な人達も沢山いるって事を、わたしに教えてくれた…オムライス、美味しかったよ!」レインはそう言うと、目を蒼く光らせました。すると彼女の身体は宙を浮き、徐々に空高く舞い上がって行きました。そして、「さようなら」と言い残し、何処かへと飛び去って行きました。後に残ったのは、彼女が戦いの際に落とした片方の耳飾りだけでした。私は耳飾りを握り締め、空に向って叫びました。

「レイン!待ってるからね!!君の大好きなオムライスを作って、いつまでも待ってるからね!!」

 こうして、レインは私の元から去って行きました。結局彼女が何者だったのか、はっきりとした事はわかりません。しかし確かな事は、彼女は私達地球人を愛してくれたという事。そして、私もそんな彼女を、愛していたという事です…。


 レインがいなくなって以来、例の無差別殺人事件は起こらなくなりました。それから数十年という長い年月が経ち、私が70代を迎えたある日の事でした。私はテレビを見ていると、アメリカの宇宙船が、無数の謎の金属片が宇宙空間を浮遊しているのを発見したというニュースが目に飛び込んできました。UFOか何かの破片ではないかと騒がれ、一時期話題となりました。しかしそれだけではありませんでした。その金属片と一緒に、欠けた緋色の水晶が発見されたという事でした。私は愕然としました。それは間違いなく、レインが付けていたあの耳飾りでした。

「レイン…そ、そんな…まさか…!!」

 私はそれを見て、深い悲しみを禁じ得ませんでした…。彼女はもう死んでしまったのだろうか…家族だけでなく、最愛の人までも亡くしてしまったのだろうか…そう考えてしまい、溢れ出る涙を抑えきる事が出来ませんでした…。


 それからまた月日が流れました。私は80才を迎えましたが、アルバイトを何人か雇い、今でも元気に喫茶店を経営しています。

 そして、また梅雨の時期がやって来ました。

 閉店時間になり、アルバイトの人達が帰った後も、私は一人店に残りました。降り注ぐ雨の音を聞き、肌身離さず大切にしてきた耳飾りを見ながら、私はレインとの思い出を振り返っておりました…。

「レイン…やはり、君にはもう二度と会えないのだろうか…会いたい…君にもう一度会いたい…」

 その時、雨音と共にドアベルの音が鳴りました。

「…凜太朗」

 それは夢ではありませんでした…。

「…ただいま」

「…おかえり」

 あの時と変わらぬ姿で、彼女は帰ってきました。57年目の梅雨の、雨といっしょに…

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