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孤独病
夏城燎
文芸・その他雑文・エッセイ
2024年09月23日
公開日
2,960文字
完結
僕は、ひとが、嫌いだ。

小説家になろう様にも同様の物を転載しております

孤独病


 印象的な絵画の前に座る彼女をみたとき、僕はにわかに震えてしまった。


 とある美術館の、有名ではない絵画の手前にある白い長椅子に腰を下ろす、どこか清楚で、それでいて、茶髪の長髪の彼女が、煌びやかに見えたきがして、とたんに、その彼女の後姿というものが、何かその印象的な絵画に合致しているような雰囲気を醸し出し始めて、これが一つの絵画なのではないか、もしや彼女はこの美術館の美術品なのではないかと思えるほどに、それは際立ってみえてしまった。


 僕は、ひとが、嫌いだ。なんでも曖昧にしようとして、その曖昧が美徳であると思える人の性格が理解できなかった。恋愛、感動、哀愁、それら概念がまるっきり理解できなくて、幼いころは存分に孤立を味わい、そうして、自分が普通ではないと渋々ながら認めてしまったとき、僕は、何か世界に対して計り知れない絶望を抱いてしまい、その時から、何かに感情を動かされると言う感覚をしばらく忘れていたけども、いま、その感覚が想起され、何かが迸って、あたまにこびりついた。

 それは、衝撃だ。激震だ。彼女を含めた情景が、何かはっきりと、特別なものであると、僕は信じてやまなかった。


 ひとが嫌いであるといったけども、それでも、彼女の後姿は、絵画と溶け合い、そして融和し、調和し、何かこう秩序らしき方程式が垣間見えるきもするけども、それを言語化できる能力を僕は持ち合わせていなかった。だから、とても申し訳ないけども、こんな行き届かない文章でその魅力を語る事を、大いに許してほしいと思う。それで、ひとが嫌いな僕は、彼女の後姿にある曖昧なものに、何かを感じるに至ったのは、何も偶然である。


 たまたまやってきた美術館である。べつに、絵画を楽しみに来たわけではなかったのだけども、暇を持て余し、夏休みというものを無駄にしていた僕にしてみれば、その探検は大いに冒険であって、有意義に違いなかった。でも、何も美術館に期待していると言う訳ではなく、身に宿した孤独を埋めてくれるほどの、強大すぎる回答を求めて足を運んだわけでもなく、ただひたすらに、暇だったから、ここへやってきたのである。


 したら、出会った、奇跡。僕は心が震えるのを直に感じ、涙すら流しそうになりながら、その景色を茫然と眺めてしまう。体の感覚がまるでないような気がして、息をしている自覚がさっぱりありゃしない。瞳を通してみえる絵画と彼女が、ただ写っていて、それに感じる情景に、心臓を突き破る思いの果てしない衝動を抱いた。


 この瞬間のために、僕は生きて来た。そう思えるほどの傑作だった。

 作者は誰だろう。なんて初めて思った。


 期待が初めて芽生えて、世界の色彩が広がって、霧が晴れたような気持ちに思わず叫びかけた。嬉しい気持ちが身を支配して、何もかもがどうでもよくなり、そうして、魅力的に見えて止まらず、そして、僕は、ついに、生という難題についてある種の答えを発見したかのような全能感が身を包んでしまい、ことさらに、右手をぼうっと見つめてしまい。掌にあるシワの数、色、形状が、いつもよりも鮮明に思えて、迸る快感に身震いしそうになった。


 ふいに彼女は動いた。

 振り返って、とても美しいご尊顔を僕に向けたとき、興ざめした。


 自分でも驚いた。興ざめして、全てに、意味を見出せなくなった。

 ひとが嫌いだったのは、まだ完治していなかった。彼女の後姿だけがとても好きだったけど、彼女のひとの部分をみたとき、大きな耳鳴りがして、潮が引くように、耳鳴りが小さくなっていって、気が付くと、世界が薄く味気ないものに回帰していた。とたんに絶望した。僕は、たぶん、この世界で生きていくのには向いていない。ひとというものが、どれだけ醜いのかをしってしまってからは、ひとというものをみて、全てがつまらないものへとなってしまった。あの美しいご尊顔の中には、どれだけ悍ましい魔女が住んでいるのだろう。あの微笑みで一体、どれだけのひとを殺しかけたのだろう。その唇でいったい、誰の命を吸い取ったのだろう。

 そんな思考がぐるぐるとまわって、自分とそのひとが、同じ人間であるということを忘れたかのような妄想に、僕自身も幻滅し、自分に対しての失望がまた重なった。


 ひとが、ひとにみえない。きっとそれは、僕がひとではないからだ。


 ふとそう思えてきて、僕は一人で下手に苦笑した。細い目を作って、口をそのままにして、哀愁漂う演出を何となくしてみた。でも、気持ちは一向に晴れなくて、もどかしさが募っていくのをひしひしと覚えていく。僕は、ひとではない。僕は、ひとにはなれない。僕は、ひとがすきではない。


 僕は、人という字が嫌いであり、

 ひとと読んで他人という読みの方が、幾分か馴染んでいるきがするのだ。


「――――」


 彼女はあの白い長椅子から消えていた。彼女は、僕の眼前に立っていて、そうして、僕をみていた。彼女の表情は、分からない。色素が減り、霧がたちこめ、失望に駆られている僕の眼には、彼女の表情がまったく写らなかった。読み取れない表情が、ただそこにあっただけである。

 彼女は言った。


「なにをしているの」


 僕は黙った。


「あ、そう」


 彼女はつまらなそうにいった。


 魔女だ。思った。魔女だと思った。このひとは美しいのに、その中身は魔女のような醜い性格をしているんだと、勝手に幻滅した。


 すると、その魔女は、次の瞬間、僕に接吻をした。


 途端に、世界が、少しだけよく見えるようになったきがした。

 眼を見開くと、彼女の顔が分かるようになっていた。

 笑っていた。


「なにか、悲しそうな顔をしていたでしょ」

「……どうして?」


 ぽろりと言葉を零すと、彼女は、華のような可憐さから一変し、太陽のような元気いっぱいの笑顔を描いて見せて、すると、その瞬間に、また世界の色彩が少し増えた気がして、


「わからないけども、あなたが、何だかとても哀愁臭くて」

「え?」

「あなたの後ろにある絵画」


 呟くようにいうので、僕は振り返ると、そこには一つの、シンプルで味気ない絵画が壁にかけられていた。そして、もう一度正面をむくと、彼女は僕の眼を追うようにして、言った。


「その絵画に、あなたがとても似合っているきがしたの」

「……」

「だからとたんに、自分のモノにしたくなったの。ごめんね、初めてだったら」


 彼女の言い草にはおちゃめなものが感ぜられた。にわかに信じがたい感覚が、身に宿り、そうして、視界の霧を払しょくする程の海が右から左へと波を連れて、ザバンとあの音が脳内に響いた。青いグラデーションが視界にかかって、太陽の光が心を照らしてくれた。カモメの声がよく聞こえるきがして、次の瞬間、唐突にその幻想から引き戻されたと思いきや、彼女はいった。


「ひとが嫌いって顔してる」

「……」

「じゃあ、世界を好きになればいい。ひとなんて、ただの、動物だもの」


 そう言った彼女が、そう言った途端に、ひとの形をした動物に変貌したかのような感覚がして、にわかにその認識の置き換えに驚愕した。言われただけで出来るとは、思わなかったのだ。すると、彼女の顔が、よく見えてきて。


 僕は、その地獄から、解放されたのだと理解したのだった。


 そうして、彼女はいった。


「あなたを題材に、絵をかいてもいいかしら」


 彼女は手にしていたイーゼルを見せてくれて、僕は、それを、快諾した。


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