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第50話:雷雨

 第10機動部隊の応援もあり、カッツエは殿しんがり軍を編成し終えた


 。合成獣キメラとにらみ合いながらゆっくりとゆっくりと後退していく。その途上でマリー率いる他の第10機動部隊も到着した。


 マリーはひとり、空中に浮いていた。その顔には憂いが色濃くにじんでいた。精霊の力を使い、魔物相手と言えども攻撃のために使う。


 こんな力の使い方が正しいとはとても思えない。しかしそれでもマリーは今はこの力に頼ることを決めた。


(迷ってる時間はあたしには無い!)


 眼下には合成獣キメラを牽制しつつ、後退していく殿しんがり軍の姿が見えた。


「暗き水よ……。あたしに力を貸して! 豪雨となりて、あたしたちの敵を洗い流してほしい!」


 マリーは両手を振り上げる。彼女の頭上高くに薄い雲が集まり始めた。次第にその薄い雲が重なり始める。幾重にも雲が重なり合い、ついには積乱雲となる。


 地上に向かって雷が斜めに落ち始めた。雷は空気を裂き、さらに地面を穿つ。鼓膜が破れそうなほどの大音量が辺り響き渡る。まばゆい閃光が何度も地上に向かって落ちていく。


(暗き水よ……。あたしの言うことを聞いて!)


 最初は小雨であった。ぽつぽつと大粒の雨が地上へと落ちていく。だが、その10数秒後には雨水が束になって、真っ黒な大地を濡らし始めた。


 雨量はどんどんと増えていく。しかも合成獣キメラだけを一方的に狙って、斜めから降り注ぐ。


 合成獣キメラの足元はぬかるみとなる。それによって合成獣キメラの進軍は目に見えて遅くなった。


 マリーは両手を天に向けて上げ続けた。


(ダメ……。飲み込まれないように。相手だけを飲み込むように!)


 マリーの身から立ち上る黒い霧を吸って、積乱雲はその厚みをさらに増していく。雷雨が地上へと斜めに落ちていく。


 最初はぬかるみを作る程度であった、その雨は。だが時間が経つにつれて水嵩が増していく。


 風呂釜をひっくり返したような大雨が地上に川を作り出した。合成獣キメラたちだけを洗い流す川であった。


 ついには合成獣キメラの足全体がすっぽり水中にしずんでしまう。川となった雨によって合成獣キメラは流され始めた。


「がおおおおおおおおおん!」


 合成獣キメラは豪雨に打たれながらも、その巨体を揺らし、泥の中から抜け出そうともがいていたが、ついに水流それ自体に飲まれていった。


「はぁはぁはぁ……。ありがとう、暗き水さん……」


 雨水は濁り切った川となり、西から北へと流れる。その先には大きな水源があった。もともとこの地の近くを流れている河川である。マリーがその地点へと合成獣キメラを洗い流してしまった。


◆ ◆ ◆


「おお。これは神の御業か!」


 カッツエは目の前に広がる光景を高台から見下ろしていた。合流したマリーに「高台へ向かってほしい」と言われていた。


 その地で何が起きるのかとマリーに説明を求めたが、マリーは「時間がないから」とだけ告げて、ひとり、空高く舞い上がってしまった。


 カッツエは迷ったが、ハジュン団長を伝手に、マリーは万を率いる将器を持っていることを事前に知っていた。


 ならば、マリーの指示に従うのが正しいという直感が降りてくる。その直感に従い、殿しんがり軍を高台へと向かわせた。カッツエのこの行動は正しかった。


◆ ◆ ◆


 雨があがるまで1時間近くの時間が過ぎていた。カッツエは殿しんがり軍と共に高台で待機していた。


 もしかしたら合成獣キメラの生き残りがいるかもしれないと。その心配は杞憂と終わる。すっかり水が引いたあとには合成獣キメラは1体もいなかった。


「やりましたな、カッツエ副団長!」


「うむ。マリー殿に感謝せねばならぬなっ!」


 殿しんがり軍は戦いの終わりに安堵の表情を見せ、互いに励まし合いながら笑い合った。


 そこへ向かってマリーがゆっくりと地上へと降りてくる。カッツエは笑顔で彼女を迎える。しかし、マリーの表情は血の気を失い、さらには憂いに満ちていた。


「あたし……。精霊たちにあんまり攻撃的なお願いをしたくない」


 マリーは心の底からそう思った。その思いがそのまま口から出た。強大な力を使ったことで、彼女は深い葛藤を抱えていたことが一目瞭然であった。


 カッツエは笑顔だった自分の顔を無理やりに引き締める。


「うむ。その通りだな」


 彼の口からはいつものカッツエの言葉が出てきた。それによりマリーは憂いを含みながらも苦笑した。カッツエは顔をほころばせながら、マリーに感謝の言葉を送る。


「助かったぞ。マリー殿の心情は察するに余りあるが、それでも救われた」


「こちらこそ救われる思いです。でも出来るなら、あたしはこのような力の使い方をしたく……ない……」


「うむ、その通りだな」


 カッツエの何かあれば「その通りだな」の言葉がツボに入ったのか、マリーは可笑しそうに笑ってしまう。


 自分は気にしすぎているのかもしれないと思う。守らなければならないひとたちを守れたのだ。それだけで十分なはずなのだ。マリーの白くなりすぎた顔に血の気が少しだけ戻る。


 カッツエに慰められたマリーはカッツエに大きくお辞儀をする。


 その後、第10機動部隊の隊員たちと合流する。皆はマリーのおこなった大技を褒めたたえる。


「すげーッス!」


「いやはや、大魔法使いを返上しなあかんわ、こんなん見せつけられたら」


 マリーは照れて、うつむき加減になった。そんなマリーの身体を背中側から支えたのがクロードであった。


 クロードは複雑な表情となっている。なんと言えば正解なのかと悩んでいるかのようであった。


「あー、そのえーっと。大丈夫か?」


 クロードが知恵を絞って出した言葉がそれであった。マリーは「ぷっ」と軽く噴き出してしまう。


 クロードが憮然となっている。マリーは右目から流れ落ちそうになった涙を右手で拭う。


「ごめん。ただ、クロードって、カッツエさんよりも口下手だなって」


「わ、悪かったな」


「ううん。気遣ってくれてありがとね」


「お、おう。ひとりで背負い込もうとするんじゃねえぞ。俺みたいに……な」


 クロードの気遣いに感謝してしまうしかないマリーであった。マリーはうん、うん! と数度、頷く。そして笑顔でクロードに接する。


「クロードも成長したね! ちゃんとあたしとふたりで分かち合おうとしてくれるのが嬉しい」


「お、おう。俺もいつまでもガキをやってちゃいけないってわかってるからな。じゃないと、どっから飛んできたコッシローにどつかれちまう」


 マリーはこれでもかとクロードに笑顔を見せつけられている。そんなクロードがたじたじになっている。


 マリーはクロードが可愛いと思えてしまう。当の本人はマリーの笑顔で心臓の鼓動を早くさせている真っ最中だ。マリーはもっとクロードを困らせてしまいたくなる。


「クロードからがんばったっていうご褒美がほしいなー」


「それは……。うーん。皆の前だけどいいのか?」


「それは……。うん、自分で言って赤面しちゃう。ごめん、ふたりっきりのときに……ね?」


 クロードがマリーのお願いで照れている。マリーは自分でお願いしたくせに照れている。隊員たちはそんな2人を見て、ニヤニヤとしぱなしだった。


「いいなー。俺もこの戦いが終わったら、彼女つくろうかなー」


 隊員のひとりがそう言った。それに続けとばかりに他の隊員も続く。


「俺たちは今回の戦いで十分に頑張った。王都に戻ればモテモテ間違いなしだよな」


「おう、その通りだぜ。彼女のひとりやふたり、すぐに出来るに違いねえ!」


 マリーたちを冷やかそうと盛り上がる隊員たちであった。その弛緩しきっている空気を改めようと、とレオンが口を挟む。


「いいかー、おまえらー、よーく聞けえ。二股する時は刺される覚悟でやりたまえー。じゃないと俺みたいにブスっと刺されるぞ」


 ナンパ師のレオンが言うからこそ、十分に説得力がある言葉だ。


 実際に腹に刃物が刺さった状態で第10機動部隊の詰め所に出勤してきたことがあるレオンだ。治療費を浮かそうとヨンに治療を頼んだからそうなったのだが、隊の皆はドン引きであった。


 締まった空気をさらに締めようと次はヨンが口を開く。


「ええかー、おまえらー、よーく聞けえ。戦争は終わるまで油断しないことや。勝ち戦と浮かれた時が一番、危険なんや」


 それは痛いほど知っている隊員たちだ。訳ありで第10機動部隊に流れ着いた者ばかりだ。


 あの時の油断さえなければ、今、ここにいなかったという者ばかりである。隊員たちは心と身を引き締める。


 毅然とした態度で、マリー隊長の次の言葉を待った。


 マリーは戦場ならではの空気を纏い直す。そして、ごほんとひとつ咳を付く。


「皆、よくがんばってくれました。その甲斐もあって、第3騎士団の多くは戦場から離脱できました。本当にありがとう」


 マリーが深々とお辞儀をしてくる。隊員たちはそこまでしなくてもいいのにとさえ思ってしまう。


 軍旗違反を犯してまでも第3騎士団を守ると言ったマリー隊長に、自分の意思でついてきたのだ。何を水臭いことをと返してしまいたくなる隊員たちであった。


「マリー隊長とどこまでも!」


「クロードばかりがマリー隊長を守るわけじゃありませんからな!」


「そうだ、そうだ! 可愛い隊長をお守りするのをクロードだけに任せるわけにはいかねえよな!」


 これから先、どんなことがあろうとも、マリー隊長と共に苦難を乗り越えようと思った、彼らは。皆の瞳には新たな決意が宿っていた。

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