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第48話:軽業師

 紅に染まった戦場に合成獣キメラの咆哮が響き渡る。


 燃える大地に立つ第3騎士団は、目の前の敵が圧倒的な力を持っていることを痛感した。


 熱風が肌を焼き、酸のような唾液が辺りを腐食させていく。兵士たちは皆、手足が震え、第3騎士団を率いる団長も冷や汗を隠しきれない


「人間50年……、下天のうちをくらぶれば……」


 第3騎士団の団長であるハジュン・ド・レイは目を閉じ、ゆっくりと槍を振る。槍はすでに刃が欠けており、これ以上は戦えぬとあるじに訴えかけていた。


「ゆめまぼろしのーーー、ごとくうううなりーーー」


 ハジュン団長は粘るのはここまでと理解する。熱くなっていた頭を詩を読むことでゆっくりと冷やしていく。ハジュンは騎乗している馬の腹に蹴りを入れ、きびすを返す。


「カッツエ!」


「はっ! ここに!」


 第3騎士団長の補佐官であるカッツエ・マルベールは馬上から降りて、斧槍ハルバートを振るっていた。


 彼の斧槍ハルバート合成獣キメラの吐く熱で歪み始めていた。そんなカッツエに対して、背中を向けたまま、ハジュンは冷酷な命令を下す。


殿しんがりを務めよ!」


 カッツエは、ハジュンの言葉を聞いた瞬間、心臓が冷たく凍りつくのを感じた。


 殿しんがり――それはすなわち、死の宣告に等しい。しかし、彼はそれを顔に出すことなく、力強く斧槍ハルバートを握り直した。


「是非も無し!」


「ただちに、この地で粘る者たちを集め直せ! 自分は先に退く!」


 ハジュンは苦虫を噛み潰したような苦渋の顔に満ちていた。その顔をカッツエに見せずに、すぐさま馬を走らせた。みるみるうちにカッツエから距離が離れていく。


「ハジュン団長、ご無事で!」


 カッツエはハジュンを見送った後、残った兵士たちに号令をかける。


「皆の者! 団長が退く時間を稼ぐぞ!」


 兵士たちは「逝くときは一緒です!」とカッツエにそう答える。カッツエは彼らの忠誠心に涙が出そうであった。


 第3騎士団の団長に「この場に残れ」と言われてしまったのに、それでも気丈に振舞う兵士たち。カッツエはその者たちをひとりでも多く救いたいと思った。


 だが、合成獣キメラたちはカッツエたちを逃すつもりはないとばかりにカッツエたちを包囲してくる。カッツエは斧槍ハルバートを持ち直し、それを剛腕をもってして振り回した。


「まずはひとつ!」


 斧槍ハルバートが目にも見えないスピードで振り下ろされる。


 ニヤニヤと笑みを浮かべた合成獣キメラの頭を両断する。遅れて衝撃波が走る。衝撃波が合成獣キメラの身体を一直線に通り抜ける。


 すると合成獣キメラはたったの1撃で身体ごと両断された。


「続けてふたつ!」


 カッツエは斧槍ハルバートの石突き部分で合成獣キメラの横腹を付く。自分の背中側から襲おうとしてきた合成獣キメラに不意打ちを決める。


「ぶげろああああ!」


 合成獣キメラはふたつの口から盛大に胃液を吐き出す。胃液が地面に触れた途端、腐った硫黄の匂いが辺りに充満する。


 カッツエは異変を感じ、すぐさま蒼いマントを翻して胃液が醸し出す匂いをガードする。


「ぐぬぬぬ。しぶとい!」


 固まってしまったカッツエに対して、別の合成獣キメラが襲い掛かってきた。合成獣キメラが鉄さえも簡単に切り裂いてしまいそうな爪をカッツエに向かって振り下ろす。


「おおおおお!」


 カッツエは目を見開いた。「間に合わぬ!」とそう思ったときであった。


 その合成獣キメラのふたつの顔に計6本の短剣ダガーが突き刺さったのは。


「なぬ!?」


 その短剣ダガーは正確無比に合成獣キメラのふたつの脳みそに突き刺さる。脳に損傷を与えられた合成獣キメラは明後日の方向へと爪を振り下ろした。


 その爪は黒く焦げた地面を掘り返す。さらには前のめりに合成獣キメラが倒れ込む。


「もらったあああ!」


 カッツエはしめたとばかりに斧槍ハルバートを振り上げ、合成獣キメラの首を同時にふたつ叩き落とした。


 カッツエは身体全体で呼吸をした。あと何体倒せば、敵は引いてくれるのだと思ってしまう。そんな息も絶え絶えのカッツエに対して、ヒューーー! と感心の色を示す口笛を吹く優男が音も無く現れた。


「さっすが亀割りカッツエ殿ッス!」


「レオンかっ! 何故ここにおる!」


「いやあ、うちの隊長が撤退命令を『撤退援護』と勘違いしたみたいで……。まあお叱りはあとで受けるッス!」


 レオンがその場で跳躍してみせる。後ろから合成獣キメラが獰猛な爪を振り下ろしてきていた。


 レオンは後ろも見ずにそれを躱してみせる。合成獣キメラはどこに行った? とばかりに頭を左右に振ってみせる。


 しかし、次の瞬間にはその合成獣キメラの頭頂部に短剣ダガーが何本も突き刺さっていた。


「不意打ちとはなかなかに知恵が回るッスね。でも、軽業師の後ろを取れるとは思わないことッス!」


 レオンは上空へと跳躍すると、空中で一回転してみせた。さらには自分の背中側から襲ってきた合成獣キメラの背中に乗ってみせるという離れ業をしてみせた。


 そしてすかさず合成獣キメラの頭頂部に短剣ダガーをこれでもかとぶっ刺した。


「脳みその足りないお前らに刃をごちそうしてやるッス」


 突き刺さっただけの短剣ダガーをを致命の一撃とするために、右足でその短剣ダガーの柄をぐりぐりとねじ回しながら、合成獣キメラの頭奥深くにねじ込んだ。


「ぶげろぉぉぉ……」


合成獣キメラは口から血の泡を吹きだす。


 いくら図体がでかかろうが、脳みそを破壊されれば生物はその動きを止めてしまう。


 しかし、合成獣キメラは双頭の魔物だ。残されたもうひとつの脳みそで自分の背中に乗る男を振り落とそうとする。


「うおっと! 片方の頭をつぶしてもダメっすか!」


 身体をひねり、近くにあった燃え残った木の幹に体当たりをする。


 レオンは体勢を崩す。合成獣キメラの背からあわや飛ばされてしまいそうになるが、獅子の頭のほうのタテガミを両手で掴む。


「よっころせ!」


 さらにはそこを支点として身体を大きく振り回した。合成獣キメラはまたしても男の位置を見失う。見失った次の瞬間には山羊の頭が下からかちあげられた。


「とどめは任せろ!」


 カッツエが合成獣キメラの身体の下へと回り込んでいた。さらに勢いそのままに右足のブーツの底で山羊頭の顎を蹴り抜いたのだ。


「ヒューーー!」


 レオンが勢いを保ったまま両手を離す。大道芸人もほれ込むような空中3回転を決めて着地してみせる。


 レオンのすごいところは空中で回転している最中に短剣ダガーを四方八方へと投げたことだ。短剣ダガーを顔面に刺された合成獣キメラたちはその短剣ダガーを前足で抜こうと暴れ出す。


「ナイス連携ッス。カッツエ殿、まだまだ元気じゃないッスか!」


「抜かせ! 年寄りに楽をさせんかっ!」


 レオンに軽口を叩かれたカッツエが呼吸を整えていた。彼の顔には疲労が色濃く映っている。


 顎にたくわえた自慢の虎髯もところどころ焼け焦げていた。顔が煤で真っ黒になりつつあった。そんなカッツエがレオンにそう返事をしたのも納得出来る。


「んじゃ、この場は俺がなんとかするッス。この借りは酒場で返してもらうとするッス」


 あくまでもレオンは軽口を止めなかった。だがその声は震えていた。いつもの余裕が少し欠け始めていた。レオンの変化にこの戦場の苛烈さを物語っていた。


「うむ。必ずこの死地を生き延びようぞ。貸しっぱなしにするでないぞ!」


 カッツエはこの場はレオンに任せたとばかりに兵士をまとめはじめる。身体に傷を負っていない兵士など、誰一人いない状態であった。


 各々で肩を貸しつつ、カッツエの後に続く兵士たちでった。


「カッツエさんこそ、約束を違えないでくださいよ……」


 カッツエが激を飛ばしながら、兵士たちと共に下がっていく。カッツエを見送りながら、レオンはひとり奮闘していた。


 合成獣キメラが全てを焼き払ってしまいそうなほどの高温の炎を吐けば、その場で跳躍する。跳躍している最中に短剣ダガーを数本、合成獣キメラの顔面へと投げつける。


「喰らいやがれッス!


 レオンが着地しようとしたところを口から生える牙で貫いてやろうと別の合成獣キメラが大きく口を開ける。


 レオンはさらに身を翻して、その牙を両手で掴んでみせる。


「うへぇ、いやな感触っス!」


 ヌルっとした嫌な感触を手で感じ取る。レオンは手をわざとすべらせて、合成獣キメラの横っ面に両膝を叩きこんだ。合成獣キメラは横に倒れていく。


「しっかしすげえ数ッスね……。こりゃさすがに俺っちでも捌ききれないっスわ」


 レオンは右手を懐に入れる。残りの短剣ダガーはあと2本にまで減っていた。


 カッツエとその周りを固める兵士たちを取り囲む合成獣キメラの気をこちらに向けるためとは言え、後先考えずに投げすぎた。


 いつもひょうひょうとしているレオンはさすがに汗が額から流れ出していた。


 嫌でも緊張感で身体が硬くなってきてしまう。


 この残された2本の短剣ダガーだけでどこまで粘れるか? レオンは自分を取り囲もうとしていた合成獣キメラたちを前に、どこまでも冷静に考えつづけた……。

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