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第42話:こびりつく恐怖

 太陽がゆっくりと東の大地から顔をのぞかせていた。朝もやが薄っすらとサイガ村を包み込んでいた。


 レオンは眠い目をこすりながら新しい1日が始まることを告げる太陽の光をその身にたっぷりと浴びた。


「おはようッス、太陽さん」


 太陽の光は熱となり朝もやを消していく。視界がクリアになっていく。レオンはお得意の視力の良さで昨日、戦場となった地を見る。


 朝日に焼かれてブスブスと紫色の煙を立ち昇らせるものがあった。それは魔物たちのむくろである。不浄なるものを焼き払おうとしていたのだ。段々とその姿全てを見せようとしている太陽が。


(この光景を何度、見たことか……)


 太陽の恵みは魔物たちにとっては有害であった。魂がその身から剥がれた魔物のむくろは太陽の光に抗うすべを持たなかった。


 陽が高くなるにつれ、大地に散乱していた魔物たちのむくろが消えていく。その様子を物見やぐらという特待席でニヤニヤとした顔つきで見ているレオンであった。


「太陽の光をたっぷり浴びつつ、魔物が消えていく姿を拝めるのは斥候兵の醍醐味のひとつッスわ」


 太陽の光は醜いものすら白日の下に晒す。ヒト同士の戦いでは太陽の光と言えども、ヒトの亡骸を魔物のように浄化して、この地から消し去ることはできない。


 ヒトはそもそもとして、光の側なのだ。


 剣と剣が交わる戦場において、ヒトの亡骸はそのまま残る。その凄惨な光景を幾度もレオンはその目で見てきた。


(ヒト同士の戦いじゃなかったことだけが唯一の救いッスね……)


 やりきれない怒りがレオンを襲うが、彼個人でどうにか出来ることではない。そういうヒトの醜いものまでも露わにする朝日だ。


 朝の光は美しく、大地を暖かく包み込んでいたが、その下には無数の命が散った場所があった。


 太陽が魔物のむくろを消し去る様子はどこか浄化の儀式のようにも見えた。


(ほんとキレイさっぱり消えていくッス)


 しかしその清らかさは、ヒト同士の戦いで流された血を拭い去ることはできない。


 レオンが想いに馳せる中、魔物のむくろはキレイになくなってしまう。


 ヒト同士の争いが起きた戦場を見るのは好きにはなれないとはっきり言えるレオンである。


 太陽の光が浄化するのは魔物だけ。


 ヒト同士の争いの跡は、光では癒されない。戦場に残る傷は、いつまでも消え去ることはないのだ


(浄化されていく、この光景を世界中のひとに見てもらいたっスわ)


 それもあって魔物によってけがされた戦場がキレイになっていくのを見るのを好きだとレオンは言えた。


「さあてと。どうやら死んだふりをしている魔物はいないみたいッス。隊長たちに報告するッス」


 レオンは斥候の任務を終えた満足感に包まれながら、軽やかに物見やぐらから降りてくる。


 サイガ村の警備に当たっている隊員たちに「もう大丈夫ッス」と言いながら、元は陣幕であった場所へと足取り軽く向かっていく。


 レオンが向かった先にはヨンとクロードがいた。彼らは椅子に座り互いに胸の前で腕を組んでいた。


「どうしたんッスか? 魔物なら全部、太陽がキレイに浄化してくれたッスよ」


「ああ。レオン、お疲れさん。ヨンが変なことを言い出してな?」


「またどうせくだらないことッスよね?」


「ああ、いつものことだ。だけどさ、ほら、ほっとけないっていうかさ」


 クロードは世話焼きッスねと思いながら、椅子をひとつ手に持って、クロードたちの近くに置く。


 そして、その椅子によっこらせと言いながら尻をつける。その途端、ヨンがレオンに泣きついてくる。


「なあ、レオンくん。わい、童貞のまま死にたくないんやっ!」


「朝からする話題じゃないッスね」


「まあヨンらしいっちゃらしいけど」


 レオンは思いっ切り汚いものでも見るような目でヨンを睨みつける。先ほどまでの清々しい気持ちがヨンのこの一言で吹き飛んでいく。


 しかしながら、これは戦場に出る男なら誰しもが持っている感情でもあった。それゆえにクロードも悩んでいたのだろうと推測できた。


「レオンくんの知り合いに貴族の未亡人はおらへんか!?」


「いないッス。俺っちはお堅い貴族を相手するよりも、町娘のほうが好きなんッス」


 レオンはつっけんどんな態度でヨンを突き放す。なんで朝からこんな相談に乗らないといけないのかとさえ思ってしまう。


 ヨンの気持ちはわかる。自分も16歳で初めて戦場に出た時に、死の恐怖を感じ、同じようにこのまま死ねるかと思ったからだ。


(今のヨンさんを見てると、昔の自分を思い出すッス)


 その当時はまだまだ女性と話しをするだけで、照れているのを隠せないシャイボーイであった。


 何度も死地を潜り抜けたことで今のようにどんな時でもひょうひょうとした態度を醸し出せるようになった。それがいきすぎて、第10機動部隊に配属されることになった。


(それにしたって、動揺しすぎっスわ)


 レオンは訝しげにヨンを見る。ヨンは大層、狼狽している。自分と同じように何度も戦場に駆り出されているはずだ。


 そのたびにこのような醜態を晒していたのではなかろうかという疑問が湧いてくる。


「おちつけって。きっと、今にヨンのことが好き好き大好きって言ってくれる貴族の未亡人があわられるって」


 レオンは聞き逃さなかった。「しらんけど」とすごい小さな声でクロードが最後に言ったのを。


 レオンはニヤリと悪い笑みが零れてしまう。クロードがヨンから顔を背けたあと、レオンが彼に変わってヨンの話相手になる。


「ヨンさん、大丈夫ッス! ヨンさんは大魔法使いなんッスよ! 並大抵の魔物がヨンさんをどうにか出来るわけがないッスよ!」


「そ、そうか。わい、まだまだ大丈夫やんか! ははは……。何びびっとったんやろか……」


 ヨンの言いたいことはわかる。ヨンが焦燥してしまったのにはちゃんとした理由がある。


 大魔法使いのヨンがびびった相手とはあの赤いぎらつく目でこちらを見下していたあの蒼き竜だ。


 蒼き竜の姿は、あまりにも巨大で、あまりにも異質だった。


 紅玉ルビーのような目が彼らを見下ろし、ただのそこに在るというだけで圧倒的な力を感じさせた。


 その目に見つめられた瞬間、レオンは全身を凍りつかせたのだ。恐怖は言葉を越え、体を震わせるものであった。


 自分でもあの紅玉ルビーのような赤い不気味な目で見られた時、ちびりかけた。いや、実際には少しお漏らしした。


(なんだか、自分もだんだん……)


 あいつが去った後に現れた氷の巨人フロストジャイアントにも驚かされたが、第10機動部隊で撃退出来た。


 規格外も規格外すぎるあの蒼き竜の存在がヨンをここまで不安がらせたのである。


(恐怖が蘇ってきたッスかも……)


 なるべく蒼き竜に触れないようにしながら、レオンはヨンを元気づけた。ヨンはゆっくりとではあるが落ち着きを取り戻していく。


◆ ◆ ◆


 そんな3人のところへと近づいてくる人物がいた。その人物は寝起きも寝起きといった髪型であった。ぼさぼさの髪をそのままに眠そうな顔をしながら、こちらにおはようの挨拶をしてくる。


「おはよう、まだ眠いよー」


「ははは。昨日は大活躍だったもんな。ほら、髪がぼさぼさだぞ。整えてきな」


「はーい、クロード。おはようのチュウがまだだけど、行ってくるね……」


 クロードは全身から冷や汗がだらだらとあふれ出す。さらにはクロードの横腹にこぶしを何度も叩きつけてくるやつが隣にいた。


 クロードは顔を引きつらせながら、マリーに「またあとでな」と手を軽く振りながら言う。


 そして、マリーの姿がそこから消えるなり、ヨンの頭を右腕全体で包み込む。そして、軽く力を入れて、ヨンを締めあげる。


 ヨンは降参の意思を示すかのように右手でクロードの右腕を叩いてくる。


「殺す気かいな!」


 拘束から解かれたヨンの第一声はこれであった。


「んなわけあるか!」


「いーや! 今のは殺意が込められてた! わい、このこと、マリーちゃんに報告させてもらうわ!」


 先に手を出したのはヨンのはずなのに、すっかり悪者にされてしまったクロードである。クロードは助け船を出してもらおうとレオンのほうへと顔を向ける。


 だがレオンは神妙な顔つきになっていた。


「俺っちも彼女を戦場に連れてこようかな。いや、それだと彼女に危険が及ぶッス……」


「おいおい、レオン。助けてくれよーーー!」


「こっちは真面目に考えてるッス。ちょっと黙っててほしいッス」


 クロードはレオンの様子に異変を感じた。いつもなら自分とヨンの仲裁役を買ってくれるというのに、レオンが思いつめた顔になっている。


 ヨンから始まったこの朝の騒動をクロードは改めて振り返る。


 レオンの笑顔の裏には、あの蒼き竜への恐怖が残っていた。


 それを認めたくないがために、いつものように軽口を叩いたのでろう。だが、心の奥底ではその恐怖がじわじわと広がっていたのかもしれない。


紅玉眼の蒼き竜ルビーアイズ・ブルードラゴン。伝説の四大災厄……)


 ヨンが焦燥し、レオンが思いつめている。それを為した存在。それは昨日、突然現れたあの蒼き竜の存在が恐怖として、こころに焼きついているのだと。


(ヨンとレオンですら不安を消せない。俺は奴に勝てるのか?)


 そうでなければ、このふたりの様子がおかしいことを説明することは出来なかった。改めて、奴は恐ろしい存在なのだとクロードは思わざるをえなかった。

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