焼肉大会は無事に終了し、後片付けも終わる。それぞれが笑みを浮かべながら第10機動部隊の宿舎へと入っていく。クロードはマリーといっしょに彼女の部屋の前まで行く。
「今日は本当に色々あったね! お互い、ちゃんと休もうね」
「ああ。今日は本当に色々あった。マリーには助けられたよ」
「無茶しないでね、クロード。あたし、そんなの嫌だから」
「わかってる」
「本当? 信じてもいい?」
「本当だ。ちゃんとマリーを頼る」
「わかった。じゃあ、おやすみ」
クロードが色々としゃべりたがっていることに、マリーは気づいてくれている様子だった。
だがマリーはそれ以上は言わずにおやすみのキスをクロードの左頬にする。
そうした後、真っ赤になった顔をクロードに見られないようにしながら自室へ飛び込んでいってしまう。
クロードはキスされた部分を左手で触り、その指に軽くキスをする。マリーの残してくれた香りを味わう。
「マリー、おやすみ。良い夢を……」
クロードはマリーの部屋のドアに向かって静かに言う。
(俺、ちゃんと眠れるかな……。できるならマリーともっとしゃべりたかった……)
考えても仕方ないとばかりにクロードはマリーの部屋の前から移動する。
クロードはろうそくの明かりを頼りに自分の部屋へと向かう。マリーには告げなかったが右腕全体がかゆくてしょうがない。
肉をたらふく喰らい、エネルギーの塊を腹の中に詰め込んだ。それが胃で消化されていくにつれて、かゆみがじわじわと右腕を侵食してくる。
クロードはぼりぼりと左手で制服の上から右腕を掻く。掻きすぎて右腕の表面に血が滲み始めてるというのに、クロードはその異変に気付きもしなかった。
クロードは誰ともすれ違わずに自室の前とたどり着く。右手でドアノブを掴む。くるっとそれを回し、自分の部屋に入る。
「なんとも殺風景な部屋だな」
クロードは右手に持つろうそくを少し高い位置に移動させる。ろうそくの火を中心として球状に暗い部屋を照らした。
隊員たちにあてがわれている部屋には基本として、ベッドと本棚、クローゼット。さらに小さい机とそれに付随する椅子がひとつだけある。
あとは自分で買い足してくれという形であった。
「マリーみたいに、ぬいぐるみでも置いたほうがいいかな」
クロードの部屋にあるもので備え付け以外としてある物といえば、彼の背丈ほどある
これほど殺風景な部屋などありはしないだろう。クロードはろうそくの火を頼りに
マリーが彼女の部屋に入る際、その扉の向こう側に見えたベッドの枕元には熊のぬいぐるみが置いてあった。
それを見て、自分もマリーのように何か部屋が華やかになる物を置いたほうがいいのかもしれないと思う。
(これから先、否応無く、災厄王とそれに関わる魔物たちと対決する)
クロードは自問自答した。この部屋のように自分のこころもそうなるかもしれない。
(俺の身体だけじゃない。こころは持つのか?)
マリーを守るために戦って食って寝る。それだけの生活が訪れる可能性が高い。
(やっぱ、何にか買おう。そうだ。ぬいぐるみだけじゃなくて、マリーの好きな本とかもだ)
ろうそくのさびしい明りがクロードのこころに変化をもたらせた。少しでも自分に潤いを与える物を置いておくべきだと、クロードはつい考えてしまう。
「へへ……。俺、かなりナイーブになっちまってるな」
クロードは心細さも手伝ってか、右腕を掻く左手に自然と力が入っていた。皮膚は破れ、そこから血がにじみ出てきていた。
「100人斬った男が、可愛い熊さんのぬいぐるみを枕元に置いたら日にゃ……。死んだ仲間たちがあの世で大笑いするだろうな、なーんてな」
クロードは自嘲気味に笑う。自室の中を進み、立てかけてある
「あぁ? なんだ?」
ヌルっとした感触にクロードは驚きの表情になる。何が付着しているのだろうかと思い、クロードは先ほど机の上に置いたろうそくを手に取ろうとする。
左手でろうそく立てに指をひっかける。だがまたしてもヌルっとした感触に驚かされる。
「おっと、あぶねえ! もう少しでぼや騒ぎになるところだった」
クロードは慌てて右手でろうそくの芯の部分を握る。するとだ。斜めになったろうそくに宿る火がろうそく立ての部分を煌々と照らす。
なんとそこは血に濡れていたのである。クロードは思わず、もう一度、ろうそくを床に落としてしまいそうになる。それを再度、右手で掴む。
「くっそ。俺は夢でもみてるのか?」
そのろうそくで今度は
「っつ。右腕がいてえ……」
その時になってようやくクロードの右腕が痛みのサインを出す。
「クッソ……。この血の正体は俺かよ……。ったく、災厄王のやつめ。とんでもない置き土産をしていきやがった」
ろうそく立てや
「はぁぁぁ。情けねえ……」
クロードは飲み込んだはずの恐怖心を消化しきれていなかったのだ。クロードはろうそくを机の上に置き、その明かりを頼りに制服を脱ぎだす。
そして右腕全体を見るや否や、急に吐き気を催すことになる。クロードは腹の中に収めたエネルギーの塊を吐き出さぬようにと左手で口を押える。
胃液の匂いが鼻を内側から侵食する。クロードはあまりの刺激臭に涙が止まらなくなり、その場でへたり込んでしまう。
クロードは胃からせせりあがってくるものを口の中で無理やりに止める。「ここで吐き出せば、何のために食ったのかわかっているのか!」と自分の心を無理やりに鼓舞する。
左手だけでは足らぬと右手でも口を抑える。そして両膝を床につけたまま、背中を無理やりに反らす。口を天井の方に向けることで、胃から逆流してくるエネルギーの塊を抑え込む。
(俺は絶対に負けねえ……!)
クロードはギュッと目を閉じる。流れ落ちそうになる涙を必死に止める。ゆっくりとではあるが、重力がせせり上がった胃の内包物を胃の中へと戻していく。
(飲み込め! 無理やりにでも……だ!)
詰まっていた喉が空いたことで呼吸が出来るようになる。クロードはようやく口から両手を離し、口を天井に向けたまま、思いっ切り新しい空気を肺に送り込む。
「ははは……。情けねえったらありゃしねえ。マリーには絶対に見せれねえな」
クロードは上半身裸のままでしばらくそのままの体勢を取り続けた。動悸が収まるのをゆっくりと待つ。
呼吸を何度も繰り返す……。
「あーーー。ちくしょうが……」
胃の中がひっくり返ってこないことを実感できるようになったあと、その体勢から横へと転がるように、ベッドへと転がっていく。ベッドのシーツと右腕に作った新しい傷が触れ合う。
「いてえ! だが痛いってことは生きてるって
傍から見ればクロードは狂ってしまったのか? と訝しむであろう。だが、クロードは災厄王を敵に回したというのに生きている。
身体で失われた部分は何一つない。これほど嬉しいことなどありはしない。生きているという喜びを噛みしめただけなのだ。
「ぐあっ! 右腕が熱い!」
突然、右腕に痛みが走る。あまりの痛さにクロードはベッドの上でのたうち回る。痛みを無理やり収めるためにクロードは背中を丸くする。
それだけでは痛みを押さえつけることが出来ず、クロードは身体全体を丸くさせていく。荒い呼吸を繰り返す。失神しそうなほどの痛みをなんとか耐えきろうとする。
「ひとつ……、ふたつ……、みっつ……」
クロードは痛みから意識を逸らすためにゆっくりと数を数え始めた。
◆ ◆ ◆
「170、171、172……。ふぅ……」
ようやく右腕全体に走っていた痛みが治まる。クロードの身体は全身、汗まみれであった。身体を伸ばし、ぐったりとベッドへと体重を預ける。
心臓の鼓動が落ち着きを取り戻していく。ベッドに寝転がったまま、右腕を掲げる。その右腕には赤い葉脈が走っていた。
「げっ。マジかよ……。マリーに何て言えばいいんだよ……」
一部分では無い。右腕全体にだ。どこからともなく笑いが込み上がってくる。乾いた笑いが口から溢れてきてしょうがない。
「五体満足なんて嘘だ。右腕はしっかりやられちまってるじゃねえか……」
クロードは見飽きたとばかりに右腕をベッドの上へと放り投げる。そして左手で目を覆い隠した。その目からは涙が溢れてきてしょうがない。
「いいぜ……。どんだけでも喰らえよ、マスク・ド・タイラー」
クロードは目を左手で抑えるのを止めた。そして、まっすぐに部屋の天井を見る。その天井に誰かがいるとでもいう感じで宣言する。
「俺はマリーを守る。俺の身体が欲しいなら持っていけ」
涙は自然と止まっていた。彼の目には確かな意思が宿っていた。絶対にマリーを守ってみせるという意思だ。
「代わりに俺に力を寄越せ……。マスク・ド・タイラー!」
彼の声は静かな部屋に響き渡り、まるでその言葉が何か大きな力を引き寄せるかのように、部屋の空気が一瞬だけ張り詰めたように感じられた。
だが、すぐに静寂が戻り、クロードは重い瞼を閉じる……。
痛みに耐えた疲労が彼を襲い、いつしか眠りへと引き込んでいった。
眠りの中でも、彼の心は災厄王との対峙やマリーを守るという使命に揺れ続けていたが、同時に、彼の中に芽生えた新たな力が少しずつ形を成し始めているのを感じていた……。