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第35話:出陣

 ハジュン団長から第10機動部隊に正式な辞令が下りる。


 第10機動部隊はマリー隊長の指示の下、第3騎士団が取りこぼした魔物の群れに対処しろという内容であった。


 第1騎士団から第4騎士団までが各々で魔物で構成された軍隊とぶつかり合う戦法が採用された。


 残された第5騎士団が戦況を覆すために各方面にいる騎士団と合流するという手筈であった。


 すでに第2騎士団と第4騎士団は魔軍と戦うために王都より出立している。第1騎士団と第3騎士団は午後から出立となる。


 辞令を受けた第10機動部隊の面々は急いで準備に取り掛かった。


 早めの昼食を各自で終える。いつもの制服の上から防具を身に着けていく。皆の顔に緊張が走っていた。マリーはこの隊の隊長として、彼らひとりひとりに声をかけていく。


「久しぶりに大暴れできるぜ!」


「勢いあまって突出しすぎないようにね?」


 皆、一様に士気が高かった。しかし盛り上がるなか、ひとり震えている者もいた


「マリー隊長、すいません。俺、震えがとまらなくて……」


「大丈夫。精霊の名において、あたしがしっかり見てるわ。いっしょに頑張りましょう」


 がたがたと武者震いが止まらない者には優しい声で語りかける。精霊があなたを導きますと敬虔な修道士のようにその者のこころを慰める。


◆ ◆ ◆


 準備は整った。騎乗したマリー隊長の隣に並ぶのはクロードであった。クロードも騎乗している。


 クロードは100人隊の長をやってきただけはあり、庶民出身でありながらも馬を操ることが出来た。


 クロードは少しだけ馬の歩を進め、マリー隊長と馬のくつわを並べる。彼女が乗る馬には白い大ネズミも乗っていた。


 その大ネズミは興奮しているのかふんすふんすと鼻息を荒くしている。コッシロー・ネヅだ。彼はそんな姿であるため、馬に乗せなければ皆から遅れてしまう。


「よう、コッシロー。マリーのことを頼んだぜ?」


「チュッチュッチュ! 吾輩のちからでマリーちゃんを守るでッチュウ!」


 コッシローは隊長に近寄るものがいたらばっさばっさと全部、斬り殺してやるとでもいわんばかりの気勢を発していた。


「コッシローさん。興奮しすぎて、馬から飛び出さないでね?」


 そんなコッシローの姿にマリーがおかしそうに笑っている。クロードはそんなマリーたちを見ていると、顔がほころんでしまいそうになる。


(コッシローには悪いが、マリーを守るのは俺の役目だ。そして、俺よ、戦場の空気を思い出せ!)


 今から行く場所は戦場だ。自分が緩んでどうするんだとばかりにクロードはほっぺたに両手で喝を入れる。


「クロード。あまり気負いすぎないでね。あたしの精霊使いとしての腕を信じてほしい」


「わかってる。マリーも無茶しすぎるんじゃねえぞ」


 互いにうなずき合う。2人の絆を確かめあうように。マリーはクロードから視線を外す。


 そして、後ろに控える第10機動部隊の面々に向かって号令をかける。それと同時に隊員たちは手に持つ武器を天へと3回、突き立てる。


(マリーは頼もしいな。ドメニク大将軍がおっしゃっていたように、マリーは俺なんかよりもよっぽど隊を率いるのが上手い)


 クロードはつい、昔、自分が率いていた隊のことを思い出す。第10機動部隊のように皆、一様に若かった。そいつらを率いて、戦場を駆けまわった。


 だが、自分が率いた隊の隊員たちは全員、この世にいない。クロードは寂しさが込み上がってくる。


(こんどこそ、俺がなんとかしてみせる)


 クロードは胸にあがってくる寂しさを慰めるように自分の右手を胸に当てる。右手が静かにドクン、ドクンと脈打っている。まるでクロードの寂しさをわかってくれているようでもあった。


 クロードは一度、目を閉じる。昔の仲間を思い出す。しかし、目を開ければ、自分の後ろには新しい仲間がいた。ゆっくりとではあるが寂しさは胸の内側から消えていく。


(俺には新しい仲間がいる)


 ぽっかり空いた胸の穴に新たに入ってきた第10機動部隊の面々だ。たった10人の第10機動部隊であっても、昔の100人の仲間たちに見劣ることなどなかった。


(俺は今度こそ失わない!)


 クロードは前を向く。その目には確かな意思が宿っていた。まっすぐにただまっすぐに自分たちの未来へと視線を向けていた。


「全員前へ! あたしたちは赴任地へと向かいます。予定している時刻にまではそこに到着します!」


 マリーは号令をかける。それと共に馬を前進させる。歩兵が追い付くことが出来る速度で馬を進ませる。


 第10機動部隊の詰め所の前から出発する。すると、待ってましたとばかりに王都内の道に人が溢れかえっていた。


 アドラー国王が言う王国の切り札と言われたローズマリー・オベールの姿をひと目見ようとしてだ。


 マリーはセレモニーの時に着ていたウェディングドレス風儀式服を鎧下の服へと改造し、さらにその上から防具を身に着けていた。


「おお! なんて勇壮な!」


 その様はまさに勝利をもたらす戦乙女ヴァルキリーであった。マリーが馬を進めると、群衆は彼女の邪魔にならないようにと道を開けてくれる。


「ありがとう、皆さん。災厄王を倒してみせます!」


 マリーはそんな彼らに馬上から右手を軽く振り、彼らの期待に応えてみせる。


 カッポカッポと馬が蹄の音を鳴らす。自分たちに声援を送ってくれる群衆の中を進んでいるというのにその蹄の音が妙に生々しくマリーの耳に聞こえてくる。


 本来なら声援に押されてマリーは鼓動が速くなるはずであった。しかし逆にマリーの鼓動は不気味に落ち着いている。熱い汗が首筋を伝う。


 周囲の声援が次第に遠のいていく。ただ、戦場へ向かう馬の蹄の音だけが、はっきりと耳に響いたのだ。


(不思議な感覚……)


 マリーはもしかして、自分は今、ひとりなのではないのか? という不安を抱く。群衆たちがどこか遠い存在のように思えてくる。


(何もかもが遠くなっていく感覚……)


 マリーは気丈に振舞うがそれでも心の内側から寒さが込み上がってくる。


 周囲の群衆の熱が上がっているというのに、マリーは流れる汗に熱を感じるほどに心に寒さを感じた。


(あたしは今、ここにいる?)


 マリーはふと、コッシローの方に視線を落とす。コッシローは王都っ子のように、「てやんでい! まかせんかーい!」と猛っている。


 そんな勇ましいコッシローを見ていても、自分の内側から熱い熱が浮かびあがってこない。


 マリーはどこか空の高い位置からこの光景を見ているような感覚があった。空を舞う鷹のような視点で歓声をあげる群衆だけでなく、ひざ元にいるコッシローも冷静に見ることが出来た。


(あたし、どうしちゃったんだろう……。自分でも不思議なくらいに冷静すぎる)


 マリーの今の状態はいわゆる『ゾーン』と呼ばれるものであった。集中力が高まることで全てを俯瞰して物事を把握できる。


 マリーはこの域に今まで達することが出来なかった。だからこそ、今の自分の心の落ち着きように不安感を抱いた。落ち着きすぎたがゆえに寒さを感じてしまっただけなのだ。



 マリーの耳から群衆の声がどんどん遠くなる。ひざ元でわめいているコッシローの声すらも遠くなっていく。


(あたしはここにいる。しっかりここにいる)


 ただ、自分が乗っている馬の蹄の音が聞こえる。不安感はあるが、気持ち悪さは無い。マリーはこの感覚をじっくりと味わっておこうと気持ちを切り替えた。


 群衆に見守られたまま、マリー率いる第10機動部隊は王都の外に通じる門の前へと到着する。


 王都の門は大きく開かれている。その脇には門兵たちが第10機動部隊に向かって敬礼している。


「マリー殿に栄光あれ!」


 マリーはその門兵たちに目だけで合図する。門兵たちは敬礼を止めると手に持つ槍を左手から右手へと移動させる。


 一種の儀礼だ。マリーたちは王都に住む人たちに見送られながら門をくぐる。


 王都からすぐ外に広がる大地が目に映った。


(くる! あたしのなかに、新しい感覚が!)


 今度こそ、本当にマリーの意識が大空へと舞い上がる。マリーの意識は大空を舞いながら、このハーキマー王国の遥か彼方を見ていた。身体を馬上に預けたままにだ。


(第2・第4騎士団があと数刻もすれば魔軍と衝突する)


 マリーは大空を舞っているというのに高揚感はほとんどなかった。しかし、今のこの状態に不思議さを抱かなかった。


 ただ冷静に天高くからハーキマー王国を見下ろしていた。遠くに見えるのは、地平線の向こうで蠢く黒い影。


(魔物の軍勢。ここからでも見える)


 空は重く曇り、冷たい風が吹きつけてくる。戦場の匂いが、既にマリーの下まで届いていた。


 その魔軍を一掃してやろうと第2騎士団のアリス・アンジェラ団長が激を飛ばしている。


(アリス団長は勇ましいわ。あたしもあんな風にできるのかしら?)


 マリーはアリス団長の勇ましさを見て、マリーは自問自答しながら微笑む。彼女の心には、不安と同時に確かな自信があった。


 自分を信じ、隊を導く覚悟が固まった瞬間だった。


 マリーは次に、自分たちが追従すべき第3騎士団の本隊へと視線を向ける。第10機動部隊とは1キュロミャートルほど距離が離れていた。


(まずは遅れずについていかなければならない)


 第3騎士団に追従する形で、第10機動部隊は任地に向けて力強く進み始めた。これから訪れる戦いは、王国の運命を大きく左右するものとなるだろう。


 マリーとクロード、そして彼らの率いる第10機動部隊が、どのように戦局を切り開いていくのかは、誰にも分からない。


(あたしはクロードと共に茨の道を行く。そう決めたのはあたし自身なの!)


 その決意と覚悟は確かに彼らを導き、魔物の群れとの激突へと向かわせていた。


 彼らと災厄王との戦いは、今まさに始まろうとしていた。

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