王都:カーネリアンで執り行われた熱狂的なセレモニーが終わり、アドラー・ハーキマー国王は城内に戻った。その熱気がまだ残る中で冷静な表情を取り戻していた。
彼をそうさせたのは玉座の間が石造りの壁が冷たく、厳かな静けさを漂わせていたからである。外はまだ熱狂が渦巻いていたが、その熱狂は石造りの壁が無理やりに遮っているかのようであった。
王城の玉座に腰を下ろした国王は、儀式で共に登壇した若い男女、ローズマリー・オベールとマスク・ド・タイラーの化身ことクロードに目を向けた。
城内の厳粛な静けさが、アドラー国王の冷静な表情を際立たせていた。
「ローズマリー、クロード。今日の演技は素晴らしかった。国民は君たちに魅了されていたぞ」
マリーは、未だ高鳴る自分の鼓動に気づき、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「ありがとうございます、陛下。でも、観衆の反応はあたしたちの予想以上でした」
マリーは心の中で未だに収まらない興奮と不安を押さえつけようとした。自然と両手が胸の前に移動し、そこに力が入ってしまう。
(本当にこれでいいのかしら……。あたしたちにこんな大きな役割が果たせるの?)
彼女の胸中ではその疑念が渦巻いていたが、顔には笑顔を浮かべ、続けて言葉を発する。
「でも、正直なところ、あれほどの反応は予想していませんでした。みんながあんなに熱狂するなんて……」
クロードは、汗で濡れた重たい獅子のマスクを外し、汗を手で拭きながらマリーの後に続く。
「陛下の力が大きいです。国民に堂々と信念を示されたからこそ、自分たちの演技も力を持ったとそう思っています」
2人の言葉に国王は頷きながら優しい笑みを浮かべた。
「そうかもしれんが、これからが本番だ」
国王の低い声が玉座の間に響き渡り、まるで空気さえも重くするかのようだった。
「災厄王との戦いは、ただの戦争ではない。我らの未来を賭けた闘争だ。お前たちはその象徴となる。決意が揺らげば、民衆もまた不安に飲み込まれるだろう。自分たちでその選択肢を選んだ。それを信じろ」
クロードは国王の言葉に身を引き締め、背筋を伸ばして誓うように答えた。
「もちろんです。自分はローズマリーと共に幸せになる。それを選んだからこそ、ローズマリーだけでなく、この国と、ここに生きるすべての人々を守るために、全力を尽くします」
クロードは深い決意を込めてアドラー国王に言う。言葉に力が宿ると同時に自然と右手にも力が入る。
右手をギュッと握りしめながら、一瞬、自分の恋人へと視線を向ける。彼の恋人はクロードに頷きをもってして答える。
クロードはマリーと共に国王へと視線をまっすぐに伸ばす。
「俺たちは共に戦います。どんな困難が待っていても、必ず乗り越えます。乗り越えるべき相手が災厄王であったとしてもです」
国王は二人の真剣な眼差しに満足げに目を細めた。
「そうだ、それでいい。だが、今日は少し休むがいい。午後からはお前たちの所属する騎士団長より指令が下される。災厄王との戦いは熾烈を極めるだろう。しかし、お前たちなら必ず勝てると信じている」
「ありがとうございます、陛下」
二人は声を揃えて応じ、深々と頭を下げた。
国王はゆっくりと玉座から立ち上がる。
クロードとマリーはゴクリと固唾を飲んで、国王の一挙一動を見る。しかしながら国王はなかなかにこちらに声をかけてこない。緊張がクロードたちの身体を縛り付ける。
国王は玉座がある広間を後にする直前、振り返って最後の言葉を2人に残した。
「ローズマリー、クロード……。お前たちは決してふたりだけではない。我々は共に未来を切り開く。ゆめゆめ忘れるな」
国王の姿が扉の向こうに消えると、石造りの広間に静寂が訪れる。城の外の喧噪がどこか遠い出来事のように感じてしまう。
◆ ◆ ◆
不思議な感覚に包まれる中、マリーはクロードに小声で問いかけた。
「クロード、これからどうなるのかしら?」
少し心配な顔になっている彼女である。クロードは優しく彼女の肩に手を置いた。
「心配するな、俺たちは共に歩んでいく。どんな運命が待っていようと、二人なら乗り越えられる」
静かだが力強い声で答える。その言葉に安心感と勇気を得たマリーは力強く頷いた。そして、クロードの方へと完全に身体を向ける。
「そうね。私たちは一緒に戦う。絶対に負けないわ」
マリーはクロードの手をとり、それを両手で包み込む。その手は少し震えていた。クロードはマリーの手を包み返し、自分の手も震えていることを暗に伝える。
その途端、どちらもはにかむことになる。それほどまでに国王の威厳と言葉が2人にプレッシャーを与えていたのだ。
「緊張したあ……」
「俺もだ、マリー。いやあさすがは国王様って感じだった」
国王に対して、怖気づくことなく力強く返答していた2人であったが、やはりまだまだ2人は若い。50歳を過ぎて、老練さを増す国王と対等に話すには経験が足りないといったところだ。
そんな2人に接近する人物がいた。これぞ佞臣とでも言いたげに国王の業績を褒めたたえた人物である。
「ローズマリー殿、そしてその
その人物の名はジーネン・ジョウ。この国の大臣のひとりであった。彼は国王のお気に入りとなった2人にお近づきになっておこうという雰囲気を体中から醸し出していた。
「今日のセレモニーでは感心させられたぞ。しかしながら、そなたたちの今の恰好は目立ってしかたがなかろう
ジーネン・ジョウ大臣はそう言うと、2人を城の一室に案内する。
「ささ。ここで着替えるがよい。儀式服は肩が凝ってしょうがないだろう」
マリーたちはジーネン大臣の言葉をありがたく受け取り、
マリーの肌と制服の布地が擦れ合う音をクロードは聞き耳を立ててしまう。
(俺は変態かっ。いかんいかん……)
クロードは頭を振って邪念を振り払う。
◆ ◆ ◆
着替え終わった2人はその部屋から出るとジーネン大臣が待ってましたとばかりに大げさな身振りで、2人の立ち姿を褒める。
「セレモニー用の服も良かったが、制服姿も似合っておる。その制服に見合うだけの勲章が近いうちに授与されることであろう」
ジーネン大臣のその言葉を受けて、さすがに世辞が過ぎると苦笑いしてしまうマリーたちである。だが、ジーネン大臣はその身から出す雰囲気をまったく変えずにマリーたちと談笑する。
更衣室代わりに貸し出された部屋を出た後も、しばらくジーネン大臣はマリーたちと城内を歩く。その姿は自分の名を売り込んでいるようでもあった。
「マリー殿は王宮に出入りしたことはあったかね?」
「いえ。しょせんは10人程度の隊長でしかないので」
「ふむ。セレモニーでの振舞いを見ていた限りでは、もっと多くの兵を率いる素質を持っていると思うぞ?」
「そんな。あたしは今日で16歳になったばかりです」
「わしの目に狂いは無い。そなたはきっと騎士団長クラスまで駆け上ってくれるだろう」
そんなジーネン大臣も城の
するとどこからともなく使用人が現れて、クロードに今日、セレモニーで着ていたマリーの儀式服を桐箱に入れた状態で渡してくる。
さらには別の使用人がマリーに手土産を渡してくるのだ。
マリーたちは「いただいてもよろしいのでしょうか?」とジーネン大臣に問うがジーネン大臣の顔には満面の笑みが咲いていた。
ジーネン・ジョウ大臣の笑顔はどこか冷たい。彼の言葉は礼儀正しいが、その裏には何か計算があることをクロードは感じ取っていた。
彼はその笑顔を崩さず、あたかもすべてを見透かしたような視線で二人を見つめ続けていた。
そんな顔をされては断ることもできない2人である。そして、彼はもう一度、丁寧に一礼してくる。マリーたちを温かに見送ってくれる。
◆ ◆ ◆
マリーとクロードは城から出てから、少し離れた場所まできて、やっと一息つくことが出来た。
「いやあ……。なんというか……。これが王宮政治? ってやつなのか?」
クロードの顔にはまいったといわんばかりの表情が浮かんでいた。それを間近で見ているマリーは苦笑する他なかった。
「あたしたち、災厄王との戦いで功をあげたら、嫌でも出世していくもの。今のうちに唾をつけておこうって算段だと思う」
「俺は出世にそれほど興味無いんだけどなあ。マリーを守れればそれで良いんだけど」
クロードは肩がこったとばかりに首をゴキゴキと鳴らしてみせる。アドラー国王相手とはまた違った緊張感をもたねばならない相手であった、ジーネン大臣は。
マリーは伯爵家の生まれであるゆえにおもねってくる相手とは何度も出会っている。そうだからこそ、クロードと比べればまだ余裕をもっていた彼女だ。
色んな期待の在り方があるんだなということを学ぶことが出来たクロードはまたひとつ成長する。クロードが視線を城へと向けると目の前の王宮の壮大さに再び気圧された。
だが、同時に彼の心は燃えていた。
(ここからが本当の戦いの始まりだ……。俺が相手しなきゃならいなのは災厄王だけじゃない……)
心の中でそう呟きながら、彼はマリーの手を強く握り、2人で揃って第10機動部隊の詰め所へと帰っていく……。