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第26話:助言

 クロードは正拳突きの構えを取り呼吸を整える。ゆっくりと呼吸を繰り返しながら、意識を変わり果てた右手へと集中させる。


 クロードが集中力を高めるほどに、彼の周りにいる3人も緊張感を高めた。


 素手で岩を思いっ切り殴るなど、普通ならただの自傷行為だ。だが、クロードはコッシローの言っていたことを信じた。


 集中力を高めていくことで、コッシローの言っていたことも頭から離れていく。クロードは今、純粋な気持ちになっていた。


 目の前の岩を殴って砕く。ただそれだけがクロードの想いの中にあった。


 気合一閃。クロードが変わり果てた右のこぶしで大岩をぶっ叩く。


 盛大な音が庭だけでなく、外にまで広がる。詰め所の近くを通りかかっていたひとが驚いて、ひっくり返ってしまうほどの音量であった。


「こりゃ見事やで。岩の上半分が粉々になったんやで!」


「すごい、クロード! って、右手、大丈夫!?」


 ヨンとマリーはクロードが為したことに驚く。だが、すぐさま2人ともクロードへと駆け寄る。


 素手で岩を粉砕したのだ。その反発力によって、クロードの右手が骨折していてもなんら不思議はない。


 だが、そんな2人の心配をよそにクロードは軽く右手を振ってみせる。2人はホッと安堵する。


「いやあ……。自分でもびっくりだ。岩の半分、粉々にしたってのにまったく右手が痛くない。いやそれどころかもっと試してみたくなってきた」


 クロードは興奮していた。自分の右手がヒトのそれでないというのに、その心配よりも興奮が勝っているといった感じである。


 マリーとヨンは眉をひそめるが、テンションが高くなってしまっているクロードはそんな彼女たちの表情に気づきもしなかった。


「なあ、他にも壊していい物があったりしないか?」


「クロード、落ち着いて? あなた、興奮しすぎてる」


「せやで。普通なら薄気味悪いと悩むところでっせ」


 いつものクロードなら、なんで俺の身体はこんなことになっているんだと凹むはずである。


 だが、マリーたちの想いとは逆の態度を示すクロードであった。


「いまの俺なら岩くらいなんともねえ!」


「ちょっと、クロード! 自分でおかしいってわかってる?」


「あかん。魔法の杖マジック・ステッキで、頭叩いたほうがよさそうや」


「ちょっと、ヨンさん! んもう! コッシローさん! クロードがおかしいの!」


 これは何かあるに違いないとマリーたちはコッシローの方へと顔を向ける。コッシローはひとりでぶつぶつと何か言っている。このクロードが示した結果と、クロードの今の精神状態がどう繋がっているのかを深く考察していた。


「なるほどでッチュウ。おい、クロード。実験はここで終了でッチュウ。右手をヒトの手に戻せッチュウ」


「ああん? これからじゃないのかよ!」


「いいから黙って、吾輩の言うことを聞くでッチュウ! その鼻っ面に噛みついてやるでッチュウよ!?」


 コッシローに一喝されて、しぶしぶとその言葉に従うクロードであった。変り果てた右手に左手を添える。そして右手に語り掛ける。すると、黒い肌はヒトの肌になる。鋭く尖った爪もいつもの状態になる。


「元に戻したぞ」


 クロードは納得がいかないといった憮然とした態度であった。だが、コッシローはそんなクロードを無視して問診を再開した。


「うむ。で、痛みはあるでッチュウか? 元に戻した瞬間、いきなり痛みが走ったとかは?」


 コッシローは色々とクロードに質問する。しかしながらクロードの様子からは岩を殴ったことによる被害は無いことはすぐ見て取れた。


 コッシローはまたしても思案にふけるモードへと入る。しばらくしてようやく答えをクロードに言う。


「生身でマスク・ド・タイラーの力を使えることは証明できたッチュウ。でも、生身でその力を使うのはリスクを伴うッチュウ」


「そうなのか……」


 クロードは、心の中でざわつく違和感を感じた。なぜ、これほどまでに興奮していたのだろうか。


 普段なら、自分の体に宿る異変に怯えるはずなのに、今はその恐怖がどこか遠い。頭の中にふっと浮かんだのは「これで良いのか?」という疑問だった。


 そんな悩めるクロードを見て、マリーとヨンはホッと胸を撫でおろす。さっきのテンションの高すぎたクロードのほうがよっぽど変だった。


「クロード、さっきのあなた、すごく変だった……。マスク・ド・タイラーに身体を乗っ取られたんじゃないかって」


「すまん。俺もどうかしてたって今更ながらに思えてきた。本当にどうしようもないって時以外に使っちゃダメな力だって、そう思える」


 クロードは右手を見る。事を成し遂げた瞬間は晴れやかな気持ちだった。今は自分の身体の異変に気味の悪さが勝っていた。


 クロードは改めて、自分の身体の中に巣くったマスク・ド・タイラーの力は『呪い』であると認識する。思い詰めるクロードと共に暗い表情となってしまうマリーであった。だが、マリーは頭を強く左右に振る。


(あたしはクロードを支えるって決めたじゃない! あたしまでいっしょに暗くなってどうするのよ!)


 マリーはかわいらしい頬っぺたをパンパンと両手で叩く。その様子を見ていたクロードは驚く。マリーは意を固めて、クロードに優しく抱き着く。


「さっきは変に動揺しすぎてごめんね。1番不安なのはクロードだもん」


「マリー……。ありがとう。マリーの体温が俺を安心させてくれる」


 ひとが不安に陥った時、他人が出来ることと言えば何か? それは優しく抱くことだ。不安を分かち合う。


 そうすることでお互いの気持ちに均衡が取れる。クロードはマリーの優しさに包まれると同時に、マリーを守っていきたいと決意を新たにする。


 気持ちが前向きになると同時にマリーの身体に回している腕に自然と力が入る。まだ少しばかり震えている自分の両腕だったが、そこにもマリーの体温が伝わり、段々と緊張感が取れてくる。


 十分にマリーに心と身体を温めてもらったクロードはマリーから身体を離す。隣同士で立ち、コッシローの次の言葉を待つ。


 コッシローはクロードたちが自分の言葉を受け止める準備が整ったとみる。そして、自分の推測を交えての今後の話をし始める。


◆ ◆ ◆


「なるほどな。あるがままの自分を受け入れろってか」


「抑えつけようとする心が強すぎたがゆえに、さっきみたいなハイテンション状態になったと推測できるでッチュウ」


 コッシローは革袋に入れた水を例えにして、先ほどのクロードのハイテンションな状態を説明してみせる。


 革袋に圧力をかければかけるほど水は勢いよく外へと噴射される。逆に圧力を抜けば抜くほど、水はちょろちょろと勢い無く零れ落ちる。


 その説明を非常に納得したという顔つきのクロードであった。


「ちょっとした右手のいたずらくらい可愛いものだと目をつむっとけッチュウ」


「でもマリー以外の女性の尻を揉みだしたら……と思うとな……」


「1回くらいだったらおおめに見る。がんばっておおめに見る。でも2度目は無いわ」


 マリーがクロードのその行為を想像したのか、怒りが表情にかなり出始めていた。ヨンはマリーを落ち着かせるべく、どうどう……とあやすのであった。


 唇を尖らせていたマリーは両手で表情筋を無理やりに緩ませる。


「こうしましょうや。クロードの右手がマリーちゃん以外に物理的に手を出したら、その都度、一食抜くってのは」


「それはいいかもね! 筋肉ダルマがエネルギー補充できないってなったら、いやがおうにもそんなことしたくなくなるだろうし」


「だとよ。おい、俺の右手。いたずらはほどほどにしておけよ?」


 クロードは自分の顔の高さに持ってきた右手にそう言って見せる。右手はちょっと困ったという感じの所作を取ってみせる。


 そして、グーパーグーパーと閉じて開いてを繰り返し、最後にはうなだれたような所作を取る。その姿を見て、庭に集まる一同が笑い声をあげる。


「ほんと、現金よね。クロードに巣くった呪いって」


 マリーは笑い涙を右手でふき取りながらそう言う。我ながら名案だと思ったが、ここまでクロードの右手が拒否反応を示すとは思わなかった。その所作が可愛らしくて、つい笑顔が零れてしまう。


「……でも、本当に気をつけてね」とマリーは釘を刺した。


 クロードは軽く笑いながら右手を見つめたが、その瞳にはまだ少しの不安が残っていた。彼女もそれに気づいていたが、あえて明るい雰囲気を作り出そうとしたのだ。


 コッシローはゴホンとひとつわざとらしい咳をして、この場の空気を改める。マリーたちは笑い声を沈めて、コッシローの助言を待つ。


「あるがままに呪いを受け入れろッチュウ。それこそが呪いの制御を成功させるのでッチュウ」


「おう。コッシロー先生、ありがとうな、俺はなんとなくだけどこの呪いとの付き合い方がわかったぜ」


「また呪い関係で困ったことがあったら相談に乗るでッチュウ。でも、相談料はしっかりもらうッチュウ。覚悟しとけッチュウ」


 クロードは自分の身に宿った力と、それに付随する呪いとの付き合い方をコッシローのおかげでひとつ理解を深めた。クロードはコッシローからの言葉を何度も心の中で繰り返した。


(あるがままに呪いを受け入れる……)


 自分の力を否定するのではなく、共に歩むこと。今まで考えもしなかったその発想に、彼は少し戸惑いながらも、どこか腑に落ちるものを感じていた。


(俺ひとりじゃ、こんな考えには至らなかった……、マリーさまさまだ……)


 来るべく災厄王との戦いに向けて、懸念することは山ほどとあったが、そのひとつが解消に向かったことはクロードとマリーにとって、大きな一歩となる。

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