第10機動部隊の面々は朝礼が終わった後、いつものようにマリー隊長からの指示を受けて、与えられた任務先へと向かう。
クロードとヨン、さらには新人のコッシローには特別な任務が与えられた。
――マスク・ド・タイラーの呪いの解析。それがコッシローがこの第10機動部隊に配属された大きな理由である。
3人はマリーと共に詰め所のとある一室へと向かう。そこは隊長とその補佐官が書類仕事をするための執務室であった。
マリーはさっそく、クロードの右腕について、コッシローの意見を聞く。
「フム。マスク・ド・タイラーの呪いのことで助言してやってほしいと国王の側近のひとりにそう言われていたっチュウけど、こいつのことだったんッチュウね」
「よろしくお願いします、コッシローさん」
「可愛い女の子の頼みならば、仕方ないでッチュウ。んじゃクロード。右腕を見せろでッチュウ」
クロードは制服の上着を脱ぐ。
「シャツも脱げッチュウ」
「はいはい」
シャツも脱げと言われたので上半身、裸となる。クロードの身体は筋肉で引き締まっていた。
太い腕、厚い胸、がっしりとした肩。割れた腹筋。妙齢の女性がクロードの肉付きを見れば、ひとめで惚れてしまうであろう。そんな筋骨隆々とした身体を皆の前に披露する。
「これは良い肉付きをしているでッチュウ。吾輩の若返りのイメージにこういう肉体をイメージしても良いでッチュウ」
「それはいいから、右腕の方を見てくれないか?」
クロードの筋肉にうっとりした表情をし、さらにべたべたと腹や胸を前足で触ってくる白い大ネズミにツッコミをいれるクロードであった。
(減るもんじゃあるまいし。まあ、呪いで困っていますって感じがありありしてるッチュウね)
コッシローは何か冗談でも言ってやろうかと思ったがそれはやめた。すぐに本来の仕事へと戻る。
「お、おう。すまないでッチュウ。しっかしこれまた見事に呪いに侵食されているでッチュウ。痛みが走るとかは無いでッチュウか?」
クロードが赤い葉脈が走る右腕をコッシローの方へと差し出す。
コッシローは興味深く彼の右腕に前足を置く。軽く叩く。揉む。つねる。赤い葉脈を前足でなぞる。
色々な触り方をして、クロードの反応を確かめる。そのクロードは終始、くすぐったそうな表情であった。
「なるほど、痛みは今のところ無いってところでッチュウか。しかしながら、吾輩の見立てでは、この赤い葉脈は内部にまで達しているはずでッチュウ」
「それは肉や骨ってことか?」
「神経も、もしかしたらかなりやられているかもッチュウ」
コッシローは問診している最中、クロードの右腕が勝手に動き、マリーのお尻を撫でまわしたという話を聞いていた。
ならばこの赤い葉脈は右腕の表面だけでなく、内側の筋肉の奥深くまで達しているだろうと容易に想像できた。
コッシローは一度、前足をクロードの右腕から離す。そしてひとりぶつぶつと言いながら、考えをまとめ始める。
そのコッシローの様子を固唾を飲んで見守るクロード、マリー、ヨンの3人であった。静かにコッシローの次の言葉を待つ。コッシローは考えがまとまったのか、ようやく口を開く。
「今のところ日常生活に支障をきたすほどには呪いは進行していないッチュウ」
コッシローのこの言葉に一同、ホッと安堵した。だが続くコッシローの言葉で3人に一気に緊張が走る。
「今は右手の真の状態をぼくに隠しているでッチュウが、右手のその状態が右腕全体に広がるのは時間の問題でッチュウ」
「わかるのか? 俺が右手の秘密を隠してるのが!?」
クロードが驚きの表情を見せる。「吾輩を舐めるな」と言いたげな視線を送ってくるコッシロー。
その視線を向けられたクロードは右手に語り掛ける。すると彼の右手はヒトのそれとは思えないものにみるみると変わっていく。
右手全体が黒く変色する。その肌はまるで甲殻に覆われたかのように固く見え、爪は鋭く尖っていた。その表面にあの赤い葉脈が走っている。まるで悪魔の手のようにすぐさま変わり果てる。
「吾輩は呪いを専門に魔法の研究をしていたとちゃんと言ったッチュウよね? 吾輩を試そうとするのやめるッチュウ」
「すまない。ヨンがコッシローの腕を信じられないなら、ちょっと試してみたらどうや? と言われてて」
クロードのこの発言を受けて、わざとらしく大きくため息をついてみせるコッシローであった。
(ヨンのやつ、いらない仕事を増やすなッチュウ)
ヨンとコッシローは王宮魔術師会の派閥争いを通じて知見の仲だった。そのヨンが一緒にこの場にいる以上、ヨンがコッシローの腕のすごさを伝えておくべきなのだ。
だが、ヨンはその仕事を放棄し、あろうことかクロードをけしかけてみせる。ヨンがすまんすまんと身振りで伝えてくるが、コッシローとしてはあまり面白くない。
(まあ、ヨンのいたずらはいつものことだったッチュウね)
そう思う一方で初対面のクロードが自分を疑う気持ちもわかる。なんせ、今は白い大ネズミの姿だ。この身体に変わる前の大魔法使いの威厳漂う姿であったならば、こんなテストじみたことはされていなかっただろう。
(恨むべきはヨンのいたずらではない、ネズミの姿のぼく自身でッチュウ)
そう切り替えたコッシローはクロードの変わり果てた右手を問診する。
前足の爪で強めに引っ掻いてみる。硬そうな見た目とは裏腹に意外と弾力がある。爪で容易には傷つけれない固さを感じながらも、それでいて柔軟さも備わっている。コッシローは嫌でも興味が引かれる。興味ついでにいくつかの質問をクロードにしてみせる。
「この右手の状態で何かを殴ったことはあるかって? そういや無いな……」
「なんで試してみないでッチュウか。自分の身体のことでッチュウよ? もっと興味を持つべきッチュウ!」
クロードはコッシローにきつく叱られてしまう。クロードはばつが悪そうな顔になる。「そんなこと言われても」という表情を顔一面に出す。
「おおかた、その右手を少しは見られたものにすることにばかり注力してきたって感じッチュウ。しかし!」
コッシローは発言に重みを増すために、ここで一瞬だが、わざと言葉を止める。そうすることでいやがおうにもクロードに次の言葉を受ける体勢を取らせる。
「呪いはかかったらそれはそれでしょうがない。でも次に考えることは呪いをどう活かすかでッチュウ!」
コッシローは「決まった……」と自分を自分で褒めたい気持ちになる。それを後押しするようにクロードとマリーが感心した表情になりながらパチパチと拍手してくれる。
コッシローは鼻を高くする。気分が良くなったコッシローは続けて言う。
「その変わってしまった状態で何か固い物を殴ってみせろッチュウ。吾輩の見立てだと、岩くらいは簡単に破壊できるッチュウ」
「ほんとうかよ。右手が骨折したりしないか?」
クロードが信じられないという表情になっている。そんな彼を落ち着かせるように自信たっぷりといった声でコッシローは言う。
「安心しろッチュウ。呪いの進行度具合から考えるにマスク・ド・タイラーの遺物を身にまとわなくても、それくらいは出来るようになっているッチュウ」
クロードの様子から見て、半信半疑といったところだ。しかしながらこういうのは実際に試したほうがよっぽど早い。
コッシローは何か破壊しても問題無い物がこの詰め所に無いかとマリーに尋ねる。マリーは数秒ほど考える。
「えーと。先日、災厄王が現れたときにこの詰め所の庭に岩が飛んできて、庭の一角を占拠してて」
「おーういえーす。渡りに舟とはまさにこのことッチュウ。じゃあ、さっそくその岩を破砕しに行くでッチュウ」
コッシローの提案に乗り、マリーを先頭に4人は詰め所の庭へとやってきた。ここは先日、焼肉大会を開いた庭である。
その庭の隅にこの庭の賑わいの一部として置いてあるわけではない不格好な岩があった。その岩の前にクロードを立たせる。
「いや、これ、殴っても大丈夫なのか?」
「男は度胸。女は愛嬌。ヤッテみないとお互いの相性はわからぬという言葉通り、まずはヤッテみせろッチュウ」
「なんか下ネタが混ざっている気がするぞ……。ヨンさんが一緒にいてくれている意味が今更ながらにわかった気がする」
「クロードくん、大丈夫やって! もし怪我とかしたらわいがすぐに治したるさかい!」
「クロード。そのためのあたしとヨンさんだから!」
ヨンは何かあった時用のオブザーバーとして、マリーに選ばれた人物だ。
――ヨンが大魔法使いといわれる由縁。それはいくつもの系統の魔法を使うことが出来ることだ。攻撃魔法だけでなく、防御魔法、さらには回復魔法も使えるのだ。
一人前と呼ばれる魔法使いは一系統を戦場でいかんなく使いこなせれば良い。
マリーがコッシローではなくヨンを大魔法使いだと言った所以はまさにここにあると言えた。