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第23話:食堂

 夕日は王都の城壁の向こう側へと消えようとしていた。それと共に辺りが暗くなっていく。「今日の作業はここまで」と第10機動部隊のマリー隊長が告げる。


 各々が大工道具を片付け、宿舎へと足を進めていく。その道中、クロードはマリーにとあることで相談をする。マリーの表情は曇ってしまうことになる。


「マスク・ド・タイラーの力を制御するのに詳しい人ね……。パパの相談に乗ってくれたひとに聞ければいいんだけど」


 右腕に宿る力が自分の意思に反して勝手に動き、マリーの天使の尻を揉んだ以上、このまま放置できるものではなかった。


 今回は尻だけで済んだかもしれないが、次はマリーのおしとやかな胸を揉むかもしれない。クロードはそんな身勝手に動く右腕に危惧を抱いた。胸の奥に冷たいものが広がるのを抑えきれなかった。


 冗談で済むような行動で収まれば良い。だが、その程度で収まるようにはどうしても思えなかった。


「パパに連絡してみる。そしたらパパから国王様へ連絡してくれるだろうし。第10機動部隊の隊長が王城へ行くよりも早く連絡がつきそう」


「そうか。マリー、頼んだ。それまでは俺が右手を監視しておく」


 クロードは左手で右腕を軽く抑えてみせる。少し心配げな表情となる。それと同時に自然と左手に力が入る。クロードはいかんいかんと思いながら頭を振る。


 クロードがそうしているとマリーが微笑む。それは触ってくれてもいいのにと言わんばかりの微笑みであった。


 マリーの微笑みはいつもどこか挑発的で、10歳も年上のクロードの心を乱す。クロードは少年のように顔を赤らめる。邪念を振り払おうともっと強く頭を振る。そうすることでマリーはもっと笑顔を強める。


「俺をからかって遊ぶなっ」


「やーい、クロードのすけべ!」


 マリーは駆けだしていく。そんな彼女の後ろ姿が可愛らしくて、どうしようもなくなりそうになるクロードであった。


「マリーのお尻や胸を触る時は俺の許しを得てからだ。いいな? 俺の右腕よ」


 クロードが右腕にそう告げる。そうした途端、右腕の筋肉が勝手にピクリと震える。


「うおっい!」


 クロードは驚きの表情となる。右腕を鷲掴みにして右手を自分の目の前に持ってくる。そして、再度、右腕に言葉を投げかける。


「もしかして、俺の声が届いてる? そうなのか?」


 すると、聞こえてますよとばかりに今度は勝手に右手が動き出し、コクコクとうなずいているような動きをするではないか。


「おい、マスク・ド・タイラー! てめえ、俺を困らせるためにやっただろ!」


 クロードは自分の右手にそう怒鳴りつけるや否や、今度は右手が「そうじゃありません」とでも言いたげな動きをする。


 クロードはわなわなと怒りに全身を震わせることになる。そして、右手にお仕置きだとばかりに宿舎の入り口付近の壁にゴツンと右手の甲を強めに当てた。


「いてえええ! 俺、何やってんだ!?」


 クロードがしゃがみ込み、涙目になりながら右手にふうふうと息を吹きかける。少し強すぎたのか、右手の甲に擦り傷が出来て、そこから血が滲み始めた。


 クロードが右手に文句を言い続けていると、後ろから小さな足音が聞こえてきた。


「なにやってるんッスか? 右手に説教し始めたと思ったら、今度はその右手で壁を殴るなんて」


 クロードは声の主の方へと顔だけ振り向く。するとそこには呆れた表情のレオンがいた。そして、レオンの隣には何か意味深に頷くヨンがいた。


 クロードは右手の骨が折れてないかと左手で確認しつつ、その場で立つ。しかしながら、宿舎の入り口で立ち話をしていたら他の隊員たちの迷惑になるであろうという2人の指摘を受ける。クロードたちは宿舎の食堂へと場所を移す。


◆ ◆ ◆


 食堂に入ると、隊員たちの笑い声や食器の触れ合う音が耳に飛び込んできた。料理の香ばしい匂いが食欲をそそり、クロードたちは自然と笑みを浮かべながら食事が提供されるカウンターへ向かった。


 この食堂は第10機動部隊の隊員たちに朝と晩の2回、食事を提供してくれる場だ。食事当番の気の良いおばちゃんがカウンターに料理が盛られた皿をどんどん置いていく。


「あいよ。今日は鮭定食だよ!」


「うわあ、うまそうなんやで!」


「いつもありがとうッス!」


 カウンターから夕食が乗ったお盆を受け取ったレオンたちは3人が座れる席を探す。どうせならマリー隊長も同じ席に誘いたかったが、そのマリー隊長は他の隊員と食事を取っている。


 マリーはマリーを含めて9人しかいない第10機動部隊ではあるが、隊員それぞれの悩みや相談事を聞く役目を背負っている。マリーはその隊員のひとりと真剣に会話しながらも食事を楽しんでいた。


「仕事熱心なことッス。俺っちも、もうちょっと真面目になったほうが良いんッスかね」


「何を言うておるんや。ひとそれぞれに役割っちゅうもんがありまっせ」


 レオンの隣に着席しながらヨンはレオンにそう助言する。レオンは未だにマリー隊長の方へと視線を向けていた。軽く嘆息した後、最後に着席したクロードの方へと視線を向ける。


「まあ俺っちの性分で身の丈に合わないことをするほうがどうかしてるッス」


「そういうこっちゃ。いつでもひょうひょうとしていなはれ。その方が相談する身としても心が軽くなるもんや、そうやろ、クロードくん」


「ああ、そうだな。明確な答えが欲しいってのならマリーやヨンが担当だしな。から元気でもいいからって時はレオンって感じだ」


 クロードがテーブルに備え付けてあるマヨネーズの瓶を手に取りながら、そうレオンに言ってみせる。


(なんか釈然としないっスわ)


 レオンは抗議の色をその顔に浮かべるが、クロードは軽く笑いながらマヨネーズの瓶の蓋を開ける。適量をスプーンですくい、それをサラダにかける。


「いただきます」


 クロードは箸でサラダを口の中へと運び、もしゃもしゃと山羊のように食べる。


 それを合図にレオンとヨンも夕食に箸をつける。今日の夕食の献立は王都近郊を流れる川で採れる鮭を使った鮭定食であった。


◆ ◆ ◆


「んで、さっきはなんで右手でひとり遊びしてたんや?」


 ヨンが焼き鮭の身を箸でキレイにほぐしながらそうクロードに問う。問われた側のクロードはいったん箸を置き、真面目な顔で答える。


「俺の右腕全体がマスク・ド・タイラーの呪いに侵された。そのせいで俺はマリーの尻を揉んでしまった」


 クロードがそう告げた瞬間、ヨンは固まる。焼き鮭の身を箸から落としてしまう。ヨンは顔まで固まってしまったのか、口が動き出すまで少し間が空くことになる。


「段階が一気にすっ飛んでいる気がしますなあ。恋人の尻を揉むのとマスク・ド・タイラーの呪いの関係性が繋がらへんわ」


「す、すまない。俺もしゃべってて何言ってんだ俺って思った」


 クロードはそう言うと制服の上着を脱ぎだす。そしてシャツ一枚となり、今の自分の腕の状態をようやくヨンとレオンに教えることになる。


「うわ、まじかいな……」


 ヨンとレオンは一瞬、表情を固めた。その表情を見たクロードは心に罪悪感が芽生えることになる。マリーが言っていたようにひとりで秘密を抱え込むことがどれほどに周りに迷惑になることを考えもしていなかった。


 だが、クロードの申し訳なさそうな雰囲気が伝わったのか、2人は決して強い口調でクロードを問い詰めることはなかった。


「なんや。はよ言ってくれなはれや、水臭い」


「そうッス、そうッス。たった1年半の付き合いかもしれないけれど、俺たちは一蓮托生なんッスよ」


 2人の言葉には優しさがこもられていた。2人の人情に当てられて、クロードは涙が出そうになる。クロードは軽く右手で目をこすり、もう1度、改めて2人に謝罪した。


「んで。その右腕を抑制する? 服従させる? それとも制御下に置きたいからマリーちゃんに誰かめぼしいひとを紹介してほしいと頼んだわけか」


「ああ。マリーのパパも俺と同じく、マスク・ド・タイラーの呪いで右手を侵されたんだ」


「なーるほどッス。こういう時は郷に入れば郷に従え……だったッスか?」


 レオンがそう言いながら箸の先をヨンの方に向ける。ヨンはマナーがなっとらへんと言いたげに左手を上下に振ってみせる。レオンは恥ずかしげに頬を軽く染める。


「それを言うなら、同じ穴のムジナやな。そして、マリーちゃんの御父上が国王様やその側近たちに相談していたのは正解や」


 ヨンは意味ありげにそう言う。


「詳しく教えてくれ!」


 クロードは身体をヨンの方へと近づけてくる。ヨンは「むさくるしい男が近寄ってくんな」と左手で静止させる。


「宮廷魔術師会は魔法だけ扱っているわけではあらへん」


「というと? 呪いにも詳しいやつがいるってことか」


 前のめりになっているクロードに対して、頷きをもってして返答するヨンだった。しかしながらヨンは歯切れが悪そうに次の言葉をなかなか出さなかった。重い口をようやく開く。


「呪いを専門に魔術研究をしている者たちがおる。でもあいつら、わいと違って陰湿なやつばっかりや」


 ヨンの答えにクロードは一抹の不安を抱く。


――呪い専門の魔法使い。ヨンをもってして陰湿だと言える連中。その者たちが快くクロードを助けてくれるとはとても思えなかった。

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