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第13話:躾

 汗がクロードの額から流れ落ち、呼吸が荒くなっていく。


 彼は冷静を保とうとするが、アリスの動きはますます鋭くなる。


 (一度でもミスをすれば、片腕の1本くらい簡単に斬り落とされる!)


 ツルハシでは彼女の剣に対抗するには限界があると感じた。


(このままじゃ押し切られる……!)


 アリスは馬上から剣を勢いよく振り下ろす。


 それに合わせてクロードは体を捻り、地面に転がり込んでその一撃をかわす。


 彼の背後で地面が裂け、土が舞い上がった。


 (くっそ! このままじゃじり貧だ!)


 クロードは自分が考えていたよりも地面を転がされる。


「逃げるな、クロード! 私を楽しませろ!」


 彼女の声が響く。クロードは歯を食いしばりながら立ち上がり、ツルハシを構え直す。


 だがその瞬間、制服の背中部分が音を立てて裂け、クロードの身体が異様に熱を帯びていくのがわかった。


「もう止めろっ! このままじゃマスク・ド・タイラーを……抑えきれなくなるっ!」


「ふんっ! 脅しのつもりか!? 国王の剣がマスク・ド・タイラー如きに屈するとでも言いたいのかっ!」


 アリスはクロードの静止も聞かずにまたもや馬を走らせる。


 次の1撃でツルハシを切り飛ばし、クロードを屈服させようとした。


 並みの技術力ではツルハシでは無くクロードの両腕を切断してしまうであろう。だがアリスの脳内にははっきりとツルハシだけを切り飛ばすイメージが出来上がっていた。


 そのイメージ通りにアリスは馬を走らせ、自分の身体を動かしてみせる。


 クロードは仰天してしまうしかなかった。


「うっそだろ……。つるはしだけを切断した!?」


 アリスの一撃はそれほどまでに完璧であった。今、手にしているのがツルハシでなくても同じような結果になっていたと思わざるをえないほどのアリスの技の鋭さであった。


 クロードは手に持っていたツルハシを鋭い音とともに半ばで真っ二つに斬り飛ばされる。手から始まった衝撃は全身に響いたが、驚くべきことに、クロード自身に傷は一つもなかった。


「どうだ、クロード?」


 アリスは馬をゆっくりと近づけ、勝ち誇った表情で彼を見下ろす。


 クロードは「くぅ……」と悔しそうな声を喉の奥から漏らす他なかった。


 アリスがゆっくりとクロードへと近づいていく。わざわざ馬の速度を落としてだ。


 クロードはただの短い木の棒と化してしまったツルハシの柄を両手でギュッと握り込む。


「次の一撃で躾は終わりだ……。降参するなら今のうちだぞ?」


 二人の間に漂う緊張感はますます高まる。周囲の作業員たちも息を呑み、まばたきすら忘れて見守っている。


 次の一撃が、決着をつけるかもしれないと皆がわかっていた。


 誰しもがアリスの勝ちであろうと予想していた。この場にいるたったひとりを除いてだ。


 そのひとりがアリスよりも先に動く。


「血迷ったか!」


 クロードは走りだす。ツルハシからただの短い木の棒と化してしまったものを両手で握ったままだ。


 彼は一直線にアリスに向かって跳躍してみせた。短い棒を上段構えにして、その棒をアリスに向かって振り下ろす。


 「とんでもなくバカな奴だ!」


 アリスは驚きの表情を見せた。一瞬、焦りを見せたアリスであったが彼女はクロードがやぶれかぶれの特攻をしてくるのをしっかりと見据えた。剣をどう振れば、クロードの身に浅く剣筋を入れれるかどうか瞬時に計算してみせる。


 アリスが導き出した解はクロードの右腕に装着されている籠手に剣の腹を当てることであった。


 国王からクロードと会うことは許可されていたが、やりすぎるなと厳命されている。


 アリスは国王の剣だ。国王に代わり、この場の裁きを任されている。国王がやりすぎるなと厳命した以上、アリスがそれに従うのは至極まっとうな話である。


 アリスは剣を構え直し、左上から斜め下へと振り下ろす。これで終わりだとアリスは勝ちを確信していた。


「なん……だと!? 空中で加速した!?」


 アリスの目にはクロードが何もない空中で加速したように映った。


 クロードは魔力をほとんど持たないゆえに空中で加速するような真似は出来ないはずであった。アリスが剣を振り終わる前にクロードはアリスの右隣りを通過してしまっていたのだ。


「決闘じゃない、これは躾だって言ってたよな? それなら俺は俺の仲間の助力を得ても問題ないだろ?」


「くっ! 熱が入り過ぎて時間をかけすぎちまったか?」


 クロードとアリスをの戦いの行く末を固唾を飲んで見守る人々の中にひとりの少女がいた。


 その少女は両手を合わせ、祈りのポーズを取っていた。


 少女の目はどこか虚ろげであった。ぶつぶつと小さな声で目に見えない何かと会話していた。


(クロード。無茶しちゃダメ……。風の精霊さん……。お願い)


 その少女はアリスから苦々しい表情で睨みつけられるが少女はアリスとは視線を合わせようとはしなかった。


(クロード。あなたをやらせはしない……。風の精霊さん……。あたしの声を聞いてほしい)


 少女は合わせていた両手を離し、ゆっくりと静かに天に向かって両腕を広げてみせる。それと同時にクロードを中心として風が吹き荒れる。


 その少女の名前はローズマリー・オベール。


 クロードと共に土木作業に従事していた第10機動部隊の隊員がアリスとクロードとの対決が始まったや否や、第10機動部隊のローズマリー隊長を呼びに行ったのである。


 マリーが到着した時にはクロードが手に持っていたツルハシが半ばから切り落とされた時と同じであった。


 マリーは急いで風の精霊と対話を始めた。そして、クロードもまたマリーがこの場に現れたのを目の端で確認済みであった。だからこそ、クロードは無謀な行動をしてみせたのだ。


「風の精霊よ。クロードを助けてあげて。彼の身に自由を与えてほしい」


 マリーは天に向かって両腕を振り上げたまま、風の精霊と対話を続けていた。


 彼女が両腕を振り上げている姿を真似るように地上から天に向かって風が吹き荒れる。


 その風に乗って、クロードが宙を舞う。次にマリーが両腕を振り下ろす。上昇していた風が今度はアリスの方へと斜め上から吹き荒れたのだ。


 その動きと同期して、クロードが矢のように頭から馬上のアリスへと突っ込んでいく。


 アリスは逡巡する。頭から突っ込んでくるクロードに向かって剣を振れば、クロードに深い傷を負わせてしまう。


 それは国王の命に背いてしまうことになる。今、自分が持っている武器が剣では無く鞭であればと思わざるをえないアリスであった。


――猛獣には鞭。それが躾においての最適解であった。


 アリスは剣を振るうことをためらい続け、ついには胸元にクロードの頭突きを喰らってしまうことになる。


「ぐはっ!」


 アリスはクロードの一撃により馬上から無理やり落とされてしまうことになる。


 アリスの運が良かったことは彼女の胸の大きさであったろう。その大きな胸がクロードの頭突きへのクッションとなり、あばらにヒビが入ることを防いでくれた。


 しかしながら落馬した影響で身体のあちこちに痛みが走る。アリスはその痛みによりなかなか立ち上がることが出来ない。


「ほらよ。手を出しな」


 そんな彼女に向かって、右手を差し出す人物がいた。それは今の間際まで躾をおこなっていた相手である。


 その者の制服はところどころが破れ、その隙間から美しい筋肉が露出していた。アリスの頬が先ほどまでとは違う色合いの赤みを帯びる。


 先ほどまでの頬の赤みは性的興奮からであった。夕日に照らされた男からは英雄のような気風を感じた。アリスは成年であるにも関わらず、今は一介の少女のような目でその英雄を見ていた。


 アリスは恐る恐る右手を差し出す。けがれた自分が英雄に手を取ってもらってよいのだろうかと迷ってしまう。


「なに遠慮してんだ」


 クロードはその迷いを払うかのように地に伏しているアリスの右手を力強く握る。そしてアリスに体重が存在しないかのように軽々と立たせてくれる男であった。


「勝負っていっちゃあれだが……。躾はもう十分だろ?」


 夕日を背負ったクロードがそう言ってみせる。アリスは頬を赤く染めたまま、無言でコクコクと素直に首を縦に振って見せる。


 先ほどまでの騎士団長としての威風をまき散らせていたアリスは今はどこにもいなかった。ひとりの初心な少女のようでもあった、今のアリスは。


「アリス団長。俺にまた躾が必要ってときは、俺のマリーが助けにこれないときに仕掛けてください」


 アリスに向かってクロードはポンポンと優しくアリスの頭を軽く撫でてみせる。


 アリスはボンッ! という音が自分の耳に響きそうであった。ドクンドクンという胸の高鳴りがクロードに聞こえてしまうのではないかと思ってしまう。


 アリスは胸の谷間に両手を握り込んだ状態で押し込み、自分の高鳴りすぎている心音がクロードに聞こえないようにした。

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