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第2話:使者

 魔物はクロードの挑発を笑いながら受ける。丸太よりも太い右腕を力強く豪快に振り回しながらクロードへとゆっくり近づいていく。


(そうだ1歩1歩、ゆっくりこっちに近寄ってこい)


 クロードは未だに身体を満足に動かせない状態であった。見え見えの挑発であったが、奴の方から近づいてきてくれるこの状況はクロードにはありがたい。


 右腕につけた籠手のおかげか、右腕だけはなんとか動いてくれる。それを再度、確かめるためにもクロードは右のこぶしを固めてみせる。


 魔物はクロードとの距離を縮める。その場で左腕を大きく振りかぶる。渾身の力を込めて、クロードの顔面目掛けて左のストレートをぶっ放す。


(これで倒せなけれ右のハエ叩きダ!)


 クロードは奴の放つ威圧感だけで失神してしまいそうになる。それでも目を閉じずに自分の顔面に奴の左ストレートが刺さるその直前まで相手を凝視した。


「ヌグゥ……。受け止めたダト? 死に体のくせにいったいどこにそんな力があったのだ?


 魔物は自分の左手に言いようのない不思議な感触を味わった。


 まるで筋肉の塊である鯨の腹を叩いたかのような感触に戸惑いを見せる。


 クロードは自分の額の前で自分の右手を持ってきていた。額の骨と右手を覆う手甲ナックル・カバーで魔物が放った渾身の左ストレートを受けきってみせる。


 しかしながら受けきれなかった分の衝撃波は彼の頭を通り抜け、彼の後ろにある壁を粉砕してみせるのであった。


 身体の支えが無くなったクロードはその場で片膝をつきそうになる。


「俺はまだ……倒れるわけにはいかねえ……」


 クロードの右手は無理やりに彼の身体の支えとなった。クロードは脳震盪を起こしていたため、意識が混濁となっていた。


「マリーを守るためには、ここで倒れるわけにはいかねえ……んだ」


 そんなクロードであったが、彼の右手だけは動く。まるで彼の意思を受け取ったとかのように。彼の右手は魔物に抗った。


「「俺は……マリーを守ってみ……せる」


 崩れ落ちる身体とは真反対に、右手にだけはあらん限りの力が込められていた。


 クロードの頭よりも大きなサイズである魔物の左拳を鷲掴みにしただけでなく、5本の指をメキッという音と共にめり込ませたのだった。


「俺に力をよこせ……」


 魔物は痛みを感じて、思わず左手を引っ込める動作を取る。それでもクロードの右手の指は奴の左のこぶしに食い込んだままだ。


「マスク・ド・タイラー!」


 それによってクロードは身体ごと魔物の方へと引き寄せられる。そして、その引っ張られる力を利用して、何とクロードは魔物の口へとヘッドバッドを決めてみせる。


「グギャアッ!」


 そのヘッドバッドは強力であり、魔物の口から生えていた牙を一本、へし折ってしまった。魔物は痛みのあまりに醜い顔をもっと醜いものへと変えてしまう。


「おまえ、絶対にコロス!」


「ぐおぉぉぉぉ!」


 痛みに歪む醜い顔のまま、クロードを今度こそ葬らんとばかりに空いた右手で喉輪をしかける。 魔物のごつい右手がぐいぐいとクロードの首を締める。


 クロードの首は鍛え上げられた戦士のごつい首であったが、この魔物にとっては赤子の首よりも細く見えてしまう。


 魔物の右手によってクロードは首吊り状態にされる。無意識にバタバタと両足を前後左右へと宙を泳がせる。


「俺は……俺は……」


「くたばりぞこないガッ!」


 勝負はもう決まったも同然であった。だがあのマスク・ド・タイラーならこの状態でも何かしらやってくるはずだという直感めいたものが魔物にはあった。


 それゆえに右手だけでは足らぬとばかりに左手も用いて、クロードの首を締めあげる。


「死ネッ! 死ネッ! くたばりぞこないガッ!」


 ついに魔物の力に屈したのか、クロードは足をばたつかせることはなくなった。かろうじて抵抗を続けていたクロードの右手も今やだらりと床の方を向いている。


「やった、やりまシタ、災厄王サマ!」


 魔物の顔に喜色が走っていく。過去に災厄王サマの身体に傷をつけた男を自分のこの手で屠ることが出来たとそう考えた。


 だが、そう考えた次の瞬間、魔物の顔から血の気が引いていく。


「な、ナニィ!」


 枯れ木のように細いと感じていた眼の前の男の首の太さが増していくのである。自分が両手で掴んでいるそれはドックンドックンと盛大に脈打っていた。


 気味が悪いとはまさにこのことだ。得体の知れぬ力を抑え込もうとばかりに魔物の両手には自然とこれまで以上の力が注ぎ込まれていく。


「まだ死なぬカッ! この死にぞこないガァ!」


 だがクロードの変化はそれだけではなかった。魔物がその膂力をもってして、クロードの服をこの屋敷ごとズタボロにした。


(熱い。身体の奥底から力が溢れてくる)


 クロードの身体を覆う筋肉はそのボロ服が邪魔だとばかりに弾き飛ばした。


(筋肉があふれだしてくる。この筋肉はなん……だ?)


 魔物の目から見て、クロードがあらわにした筋肉はまるで大理石で象られた美しい彫刻のような筋肉であった。


 並大抵のものではその筋肉に傷ひとつつけられない。


 神が現世に現れた時にその霊が身にまとう身体。


 そんなイメージがありありと魔物の脳内を駆け巡る。


 魔物の顔から血の気が引いていく。しかしそれでも魔物はクロードを始末しなくてはいけないと感じた。


「何故、死なナイ!」


 枯れ木のように細くて弱々しく感じていたクロードの首は今や若木のようなみずみずしさを持っていた。


 いくら両手に力を込めようが、その弾力さを強引に潰すことなど出来るはずがなかった。


 さらにクロードは動く。あらん限りの力を込めている魔物の左手の手首にそっと自分の右手を添える。


「な、なにをする気ダ!?」


 魔物はギョッとした顔つきでクロードの右手を見ることになる。


 クロードはただ単純に魔物の左手首を掴み、さらにはスッと軽く下方向へとスライドさせた。その瞬間、魔物は自分の左手の感覚を完全に失ってしまうことになる。


「うグァ!?」


 それもそうだろう。魔物はクロードのシンプルすぎる動きひとつで手首から先を失ってしまったのだから。魔物は左の手首から紫色の血をまき散らす。


 そうでありながらクロードは不思議そうに自分の右手を見ていた。この仕草を見せつけられた魔物は心がねじ曲がりそうになってしまう。


「おまえはぜったいにここで殺す! でなければ災厄王サマの身に危険が及ブ!」


 魔物がクロードの首から右手を離す。クロードは糸が切れた人形のように、力なく床へ倒れ込む。


「マリー……」


 脳裏にはまだマリーの顔が残っている。


 だが、クロードは床につっぷしたあと、指一本すら動かせなかった。先ほどの異様な力を示したものの実は最後のあがきだったとでも言いたげであった……。


 それでも魔物には油断はもう無かった。


「次の1撃で確実にあの世へと送ってヤル!」


 魔物はクロードから4ミャートルほど距離を離し、それを助走距離とする。


 魔物は自分の全体重を右肩に預けた。ショルダータックルをクロードめがけて繰り出す。クロードは床から伏せた状態から立ち上がろうとしている真っ最中であった。


(俺の中に俺の知らない誰かがいる)


 このままいけばクロードは魔物が放つショルダータックルを真正面から喰らうことになる。


(マリー、教えてくれ。今の俺はいつもの俺なのか?)


 またしてもクロードは無意識にに右手を魔物の方へと向ける。魔物の右肩はクロードの右の手のひらに正面からぶち当たる。


 静寂が訪れた……。


 驚くことに男のたったそれだけの所作で魔物の勢いは完全に止められてしまったのだ。


 先ほど繰り出した渾身の左ストレートの時は衝撃波がクロードの後ろへと貫通していった。


 だが、今回のショルダータックルによって起きるはずであった衝撃波は生まれることすらなかったのである。


「ア、アヅイ!」


 ショルダータックルを止められた魔物は男の右手のひと撫でによって、その右肩を骨ごとそぎ落とされてしまう。魔物はこれで左手だけでなく右腕すらも失ってしまう。


 男をかみ砕こうにも口から生えた牙も片方失っている。魔物はもうどうすることも出来なかった。


 そんな哀れな魔物に慈悲を与えるとばかりにクロードは魔物の額に右手を添える。魔物は泣けるものなら泣きたい気分でった。


「や、やめてクレ……」


 魔物は思い返す……。


 災厄王の使者として選ばれた自分は誉れ高い気分であった。


 しかし、いざ、災厄王サマの嫁となる娘の前に行ってみれば、そこには災厄王サマの仇敵であったマスク・ド・タイラーがいた。


 こいつをこの場で仕留めれば、自分は災厄王サマにもっと褒められるはずだと思っていた。


(どこをどうまちがったノダ!)


 だが現実は残酷だ。さすがは災厄王サマの身体に傷をつけた男であるマスク・ド・タイラーだ。


 とんでもない相手だということをいやでも自分の身体で実証させられることになる。


 魔物はクロードに許しを乞う表情となっていた。


 クロードは魔物の気持ちを汲むことなどまったくしなかった。


 獅子のマスクの双眸から黄金こがね色の光を放つ。それと同時に魔物の額に当てていた右手も黄金こがね色に光り出す。


「災厄王サマアアアアアア!」


 その黄金こがね色の光によって醜き魔物の顔は砂の粒のように細かくなっていく。その砂粒は黄金こがね色の波に洗い流されていく……。


◆ ◆ ◆


(俺がやったのか?)


 10数秒ほどの時間が経ち、男の双眸と右手から黄金こがね色の光が消える頃には魔物の頭は存在しなくなっていた。


 魔物は左手、右腕、頭を無くした状態でその巨体を床にこすりつけながら倒れ込む。


(それとも俺の中にいるもうひとりがやったのか?)


 獅子のマスクを被った男は立ち上がり、その物言わぬむくろを数秒ほど見つめる。


「マリー。俺は……」


 男はぼそりと一言二言呟き、その場からゆっくりと去っていく。


 彼が向かう先には自分が守ると誓った女性がいた。


 その者の名はローズマリー・オベール。


 彼女へ勝利の報告を告げんと向かう。


「マリー。俺は……勝った……ぞ」


 獅子のマスクを被った男は数歩前進した後、前のめりに床へと倒れ込んでいく……。

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