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第1話:遺物

――第5帝国歴396年 4月20日 オベール伯爵邸にて――


「おお、似合っとる。まるでマスク・ド・タイラーがこの時代に蘇ったかのようだっ!」


 カルドリア・オベールはマスク・ド・タイラーの遺物を身に着けたクロード・サインを手放しで褒めてみせる。


 カルドリアの誉め言葉を受けても、マスクに隠されているクロードの顔は渋面であった。


 クロードは獅子のマスクを被り、右腕に籠手を装着し、さらにはマントを羽織っていた。


 しかしながらそこからさらにブリーフ・パンツ一丁姿ではただのド変態野郎となってしまうため、服は着させてもらっている。


(褒められても嬉しいって気持ちにまったくならねえ……)


 クロードが今着ている服はマリーが隊長を務める騎士団のとある部署の制服であった。


 軍服に近しいそれであったが、自分のための服をめったに買わないクロードの一張羅と言えば、これになってしまう。


 マリーはさすがに女の子ということもあり、春から初夏に移るこの季節に合わせた私服姿である。


 クロードはマスク・ド・タイラーの遺物を身に着けながら、身体を軽く動かしてみせる。「うーーーん」と唸りつつだ。


「なあ、マリー、俺の格好はおかしくないか?」


「全然! 本物より断然ステキだわ!」


「そ、その言い方は、かの英雄に失礼にあたるからやめてほしい……かな?」


 マリーは花が咲いたような笑顔でクロードをべた褒めしてくる。クロードは少しばかり気にし過ぎたなと思う。


 クロードはマリーに褒められて気恥ずかしくなりながらも、自分の身に起きた軽い異変をカルドリアに報告する。


「ところで、このマスクと籠手を着ける際にチクりと痛みが走ったんですが」


「うっほん! それは呪物と呼ばれるしろものだ。きみに干渉しているのやもしれん。どうだね? 何か感じ取れるのであれば聞かせてほしい」


「えっと……ですね。自分は魔力の才能がからっきしなのでうまく表現できないのですが。鋭い刺激をたびたび受けたんです。でも、その刺激がだんだんなじんできてるような……。すいません、言葉にするのが難しいです」


 クロードは最初は肌に細い針が突き刺す鋭い痛みを受けた。つぎにかゆみがやってきた。


 だがそのかゆみも波が引くように遠のいていくと、今度はフィット感を感じるようになってきていた。


 時間が経過すればするほど、自分は以前からこのマスク・ド・タイラーの遺物を愛用していたかのような錯覚に陥ってくる。


 クロードのようなその身に宿る魔力が乏しい人間だからこそ、そう感じたのかもしれない。


 実際のところ、籠手の内側は呪力で出来た細い糸が何本も伸びており、それがクロードの右腕の皮膚を通り、さらには肉を突き抜け、骨にまで達していた。


 それがクロードがこのマスク・ド・タイラーの遺物との親和性を感じる結果になっていただけである……。


 クロードは知らぬ間にマスク・ド・タイラーの遺物に侵食され始めていた……。


 そんな状況になっていることをまったく自覚していないクロードは「マリーのためなら火の中、水の中、どこでも飛び込んでやる」と威勢のいいことを言ってのけた。


 マリーはそんなクロードに対して、少し陰がある笑顔を向ける。クロードはマリーのその仕草を敏感に感じ取る。


「心配するなって。これを身に着けたのはマリーを幸せにするためだ。そして、俺は死ぬ気はない!」


「本当? いくらあたしのためだからと言って、無茶してほしくないの。あたしはクロードが傷つくくらいなら、国王の指示に従っても良いって思ってるもん」


「マリー? それはどういうことだ?」


 クロードの問いかけにマリーは目を逸らして黙ってしまう。


 その沈黙が永遠に続くかと思ったが、意外なところからその沈黙を破る人物が現れる。


 彼らがいる応接室のドアをノックする人物がいた。カルドリア・オベールは入りたまえと言う。


 屋敷のあるじに促されてこの部屋に入ってきたのは、先ほど、クロードの前にマスク・ド・タイラーの遺物を置いて行った使用人のひとりであった。


(なんだ? さっきとは別人みたいだぞ……?)


 しかしながらその人物の様子が先ほどとは明らかに違っていた。クロードたちは否応なく、身構えることになる。


 その人物はまるで幽鬼のような足取りでクロードたちへ近づいてくる。そして、ぴたっと足を止め、まるで地獄の底から声を出しているような声でクロードたちを詰問し始めたのだ。


「面白イ。災厄王サマの花嫁がどのように育ったか見てこいと言われてやってきたのだが、ここでまさかのマスク・ド・タイラーに会えるとは思わなカッタ」


 その人物の目は空洞であった。だがその空洞からは確かな意思を感じる。あざけりや嘲笑といった類の視線だ。


 そして、クックックと不敵な笑みをこぼすなり、その人物の身体が膨張し始める。クロードは面食らうことになった。


「ここで会ったが数百年振りゾッ! またしても災厄王サマの嫁取りの邪魔をしにきおっタカ!? マスク・ド・タイラー!!」


 そいつは先ほどの人物とは思えないほどの体積となっていた。


 最初は豚ニンゲンオークがヒトの姿に化けたと思われた姿に映った、クロードの目には。


 だが、みるみるうちにやつの腕や足は4倍の太さへと盛り上がっていく。腹のデカさは豚ニンゲンオークのそれを遥かに越えていた。


 豚のような顔はさらに醜悪になる。その顔の大きさも膨れ上がった。4倍に膨らませたその開いた口からは鋭い牙が2本つきだしている。


「ぐふふ! いくゾ!」


 醜い肉の塊のような身体に変わったそいつは力任せにクロードをぶん殴る。


 クロードは腕をクロスに構えたが、そいつのパンチをまともにアームブロックの上から喰らってしまう。


 クロードは吹っ飛ばされる。応接室の壁を突き破り、隣の部屋までだ。


「もろい! もろいぞ、マスク・ド・タイラー!」


 その壊れた壁をさらに壊しながら、凶悪な魔物がクロードをさらに痛めつけんとやってくる。


 クロードは急いで立ち上がろうとする。体中の筋肉がギシギシと痛みのサインを発する。さらには両足がガタガタと震えていた。


(この俺がたった一撃で!?)


 自分の身体が自分の意思を拒むようになるようなダメージをたった1発のパンチで受けたのは生まれてこの方、初めての経験だ。


 普段のクロードは身の丈ほどもある大剣クレイモアを背負い、それを武器にした。


 それで相手の頭をまるでタマゴでも割るかのように簡単に粉砕することが出来るほどの肉体の持ち主であった。


 それゆえに素の身体の強靭さは並みの戦士よりも遥かに凌駕しているという自負を持っていた。


 そんなクロードがネコが顔を撫でるかのようなそぶりの一撃だけで、まともに身体が動けなくなるほどのダメージを受けた。クロードは驚愕の表情となる。


「てめえは……、なにも……のだっ!」


 クロードは身体が動かぬ代わりに、口を動かしてみせた。だが、豚ニンゲンオークを何十倍にも凶悪にしたその魔物はクロードの頭を掴む。


 次の瞬間にはまるで遊び飽きた人形を捨てるが如く、クロードを放り投げる。それによって、クロードは本日2回目となる不本意な壁破りをおこなってしまうことになる。


 クロードは四つん這いになり口からボタボタと血を吐く。内蔵を痛めた証拠でもあった。クロードは口の中に溜まっていた血をベッ! と勢いよく吐き出す。通りがよくなった喉を使い、荒い息をなんとか整えようとした。


「こいつが俺のマリーをさらおうとしてる災厄ってやつか……」


 クロードはそう言うと、未だにがくつく足に右の拳で喝を入れ始める。


「ちっ! 閑職においやられてからここ1年半。すっかり骨抜きにされちまってたな……。久々に100人斬りやってた頃を思い出すとしますかいっ!」


 右腕を包む籠手で足を殴れば殴るほど、感覚が研ぎ澄まされていく。


 まだ戦える。


 クロードはそう思えるようになった。生まれたての小鹿のように足をぶるつかせながら、壁を支えに立ち上がる。


 そして、醜く膨れ上がった魔物に向かって、かかってこいよとばかりに右手で手招きのサインを送る。


 そんなクロードに対して、豚の顔を4倍にでかくした魔物は醜悪な顔をさらに歪ませる。


「今までの2撃で壊してしまったかもしれないと心配したゾ」


 災厄王サマに仇名す者を出来る限り痛めつけなければならない使命に駆られているようにも見えた。


「たった2撃で絶命してもらっては困るンダ。お前をもっと痛めつけてヤル!」


 全身が醜く膨れ上がった魔物は歓喜した、クロードを目の前にして。両腕を振り上げ、災厄王様を称える言葉を発する。


「さあ前夜祭を始めヨウ。災厄王サマが復活される日は近イ。災厄王サマの手を煩わせるわけにはいかヌ。オレサマがマスク・ド・タイラーの首級くびをあげてやるノダ!」


「戯言は良いから早くかかってこいっ!」


歓喜する魔物にクロードが言う。その声には怒気が込められていた。


「さっきとまでは違うってことを見せてやるぜっ!」


クロードは全身に強烈なダメージを受けながらも、威勢よく魔物を挑発する。

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