――第5帝国歴396年 4月20日 オベール伯爵邸にて――
この日、今年で26歳になるクロード・サインは恋人であるローズマリー・オベールに連れられて、王都から離れた領地にある彼女の自宅へと招かれた。
その途上の馬車の中でローズマリーは終始、ご機嫌である。自慢の彼氏を父親に紹介できるとご満悦だ。
一方のクロードは朝から胃が痛くてたまらない。自分の眼の前で愛くるしく笑うローズマリー。クロードは胃のあたりを両手で抑えながら苦笑い。
「そんなに緊張しなくてもいいわよ、クロード」
マリーが金色の髪をふわっと揺らしながら、クロードのほうへと顔を近づけてくる。愛くるしい瞳でクロードの今の緊張を和らげようとしてくれる。
(可愛いなあ……。マリーは、っう!)
愛しのマリーが可愛ければ可愛いほど、逆にクロードに苦痛を与えた。
今から顔見せすることになるマリーの父親のことを思うとクロードの胃がきしむ。さらには彼の顔に鈍い汗を流させる。
「うちのパパって領主様やってる割りには、誰にでもフレンドリーな対応をしてるのよ。だから、娘を奪いにきたクロードにでも、そこまできつく当たることはないと思う」
「そう……だといいなあ……」
クロードは彼女の言葉を聞きながら、心の中で不安が渦巻く。
(本当にそうならいいけど……。マリーのパパが自分のことをどう思っているのか、想像するだけで胃がキリキリする)
クロードはまだ胃のあたりを手で抑えていた。マリーがクロードの手を優しく包み込む。クロードはその温もりに少し安心する。
「大丈夫だって! あたしが場が和むようにクロードの分まで明るくふるまってあげるから!」
クロードはマリーの気遣いに心底、温かみを感じた。すこしばかり胃に走る痛みも緩和されていく。
クロードはマリーのためにも、きちんと彼女のパパに挨拶しようと決意をする。
◆ ◆ ◆
「ただいま、パパ!」
「おう、お帰り、私の愛しいマリー。さあ、立ち話もなんだ」
「うん! 手紙で伝えていたように、こちらがあたしの彼氏のクロード!」
「おうおう。クロードくんか。さあ、中へ入りたまえ」
いざ、マリーのご実家に到着し、通された応接室でクロードは胃に激烈な痛みを感じていた。
マリーが必死にクロードと自分のパパとの会話を弾ませようと努力してくれている。
しかし、そのパパと来たら、マリーのほうには顔を向けているが、自分の方へは顔を向けてこない。
マリーのパパことカルドリア・オベール。彼は応接室にある長方形のテーブルの一角に座っている。
対して、マリーはパパのすぐ斜め横。そして、クロードは何故か2人から2座席分空いた位置に座らされている。
(これ、なんの拷問なんだろうな……)
それもそうだろう。この男は今月の誕生日を迎えて現在26歳。ローズマリーと言えば花も恥じらうと言われる15歳である。
この10歳差のカップルを見せつけられている父親がクロードを自分の座っている位置から物理的に距離を空けているのも納得の処置だ。
「ふむ。クロードくんと言ったかな? うちの可愛い娘に手をつけたというのは……」
「い、いえ! まだ手をつなぐまでしかしていません!」
カルドリア・オベールの厳かな一言で、クロードは座ったままで背筋をピンと張る。胃はギリギリと痛み、全身から鈍い汗が流れてくる。
しかし、それでも今は行儀よく対応するのが正しいと感じるクロード。
「ほんとほんと。クロードって今時の青年にしてはすっごく奥手なのよ。創造主:Y.O.N.N様に誓ってもいいわっ! あたしたちはすごく清らかなお付き合いをしてるのっ!」
ローズマリーは笑顔でそう自分の父親に報告する。努めて場の空気が凍らないようにと尽力してくれている。クロードはマリーの気遣いに感謝する。
それを聞いたローズマリーの父親:カルドリア・オベールはまるで商品を見定めているかのような視線で舐めるようにクロードを見てくる。
クロードは彼女の父親からの視線を受けて、今こそ胃液で胃壁に大穴が空きそうになった。
「まあそんなに緊張するな、クロードくん。別にきみを責めるとかそんなことをしたいわけではない。ただ知りたいのだ。どちらが先に惚れたのかをだ……」
「はい、自分からです!」
そこに関してはクロードがマリーに惚れていたのは間違いない。
クロードはマリーとの馴れ初めをポツリポツリと話す。
終始、マリーの父親からの視線は品定めしてやるという雰囲気の中、それでもクロードは毅然と話した。マリーの父親に誠実さを伝えるためにだ。
◆ ◆ ◆
戦場で100人斬りを達成したと同時に100人の仲間を失った。その責を問われ、クロードは閑職へと追いやられた。
しかしながら、新たに配属された部署の隊長がマリーそのひとであった。
歳の差だけでなく身長差もかなりある2人である。マリー隊長が座った状態から立ち上がり、クロードへとペコリとあいさつをした。
そして、下げた頭を元の位置に戻して、にっこりとクロードに微笑み「あなたが配属されて嬉しい」と言ってくれた。
その一連を間近で見せられただけで、顔からボンッ! と火が噴き出てしまったのだ、クロードは。
◆ ◆ ◆
「ふむ。出会った時点でマリーにぞっこんになったと。そして猛アプローチを開始した?」
「いえ、そこではまだ2人ともどうというわけでは……」
「続きを聞かせたまえ」
「はい! それでは……」
それから紆余曲折あった。時には協力して仕事をこなし、時には互いに反目しあった。いつしか本気で自分はマリーに惚れていることを自覚させられた。
「仕事帰りに見せてくれたマリーの笑顔がまぶしかったんです。俺はその時、マリーを誰にも渡したくないと思いました」
「なるほど……。うちのマリーは可愛いからな」
マリーに付き合ってほしいと告白したのはクロードからだ。マリーはその時も初めて二人が出会った時と変わらぬ笑顔を見せてくれた。
クロードにとって、マリーの笑顔は何ものにも代えられない宝物であった。
「という感じで、自分が先にマリー、いえ、ローズマリーさんに惚れました」
「そうかそうか……。それは良かった……。惚れたほうが負けという言葉通り、きみはうちのマリーのためなら、その命、惜しくはないのだな?」
「は、はい! もちろんです! 我が身命を賭して、ローズマリーさんを幸せにしてみます!」
クロードはなかば定型文となっている宣誓をしてみせる。ローズマリーの父親:カルドリア・オベールの含みを持たせた質問に疑問はあった。
しかし、それに対して深く考えずに早急に答えるべきだと感じたクロードである。
それを受けて、カルドリアは何も言わずに自分が座っている席から一端離れる。クロードが戸惑いを見せる。だが、カルドリアはそんなクロードを見ようともしない。
クロードから見てカルドリアのその背中に何の感情の浮き沈みも見えない。この動きはあらかじめ決められたものだといわん彼の背中だ。
カルドリアはこの応接室の一角にある机と向かう。その机の上に置いてあった呼び鈴を手に取り、チリンチリンと鳴らして見せる。
するとだ。まるで待ってましたとばかりに応接室のドアが開かれた。クロードはそちらのほうへ目を向ける。
使用人たちがこの部屋に入ってくる。クロードの横で止まる。クロードの眼の前にあるテーブルにいくつかの品を置いていく。
そうした後、彼らはこの屋敷の
(俺は何を見せられたんだ? それにこの禍々しい品々……)
クロードはこの一連の流れの答えを持っているはずのカルドリアの方へ顔を向ける。
「えっと……、これは何でしょうか?」
カルドリアはひとつ大きくため息を吐く。それに合わせてクロードはごくりと唾を飲み込む。
「災厄王。
カルドリアの言葉に、クロードは思わず身をすくめた。
「はい。確か400年に一度、この世界に現れて、地上の全ての生き物を殺し尽くさんとする魔物たちの王のことですよね?」
その恐ろしい存在の名を口にするだけで、背筋に寒気が走る。
「そうだ。それがわかっているのならばそれで良い。そして、ここからがここからが肝心の話だ」
カルドリアはここで一度、言葉を切った。先ほどまでの気さくな人物らしさはどこにもなかった。かわりに老王ようなしわがれた声を出す。
「我が娘、ローズマリー・オベールは災厄王の花嫁として選ばれたのだ」
「え……?」
その言葉の衝撃はクロードの身体だけでなくこころまで貫通した。喉が渇く。肺が空気を欲する。何を言葉にしていいのかがわからない。
「それってまさかそんな……」
一度からっぽになったこころに戸惑い、困惑、焦燥が溢れ出す。何かに縋るかのように、彼は隣の愛しい人を見る。
「マリーは普通! ……と言っては色々と語弊を生みますが、自分から見ればただの女の子ですよ!」
「そうだ。きみの言う通り、ちょっとアレだが、見た目はなんら余所の娘さんたちと変わらぬ15歳の女の子だ。しかしだ。マリーは産まれた時から災厄王と結びつきを持っていた。マリー、クロードくんにその
「うん。パパ。クロードにも知ってもらっておかないといけないものね……。恥ずかしいけど、クロード、よく見ててね?」
マリーはそう言うとソファーから立ち上がり、スカートの裾を両手を用いてめくりあげる。
その行為によって、まさに15歳らしいみずみずしい太ももと可愛らしいショーツがクロードの目に焼き付けられることになる。
(ああ……。さわりたい……。いや、いかんいかん!)
クロードが違う意味でどきどきとしてしまう。しかし、マリーが次に取った行動で、心臓が鷲掴みされたかのようにドックン! と身体全体に緊張が走る。
「マリー。そのコードはなん……なんだ。詠唱の文言のようにも見えるけど」
「これがあたしが災厄王と繋がっているって
マリーはほどよい肉付きの太ももを晒す。次に右手で太もものとある部分をサッと払ってみせる。すると小さな赤黒い文字の羅列が浮かびあがったのだ。
クロードの目にその赤黒い文字が呪いのように焼き付く。
クロードの直感が囁く。その文字に何が書かれているかはわからない。だが、可愛いマリーの身体に浮かんではいけないシロモノであることは間違いないと
「マリー。それを消すにはどうすればいいんだ! 俺が出来ることなら何でもしてやるから、教えてくれ!」
クロードはマリーに懇願する。マリーは悲しげな表情だ。マリーが答えるよりも先にカルドリアがクロードに答えを言う。
「災厄王との絆の
クロードはグッと唸るしかなかった。
――災厄王。破壊の権化。生きとし生けるものたち全ての敵。
その災厄王を倒さなければならない。
クロードは胸の鼓動が速くなるのを感じた。
自分は剣の腕前には自信がある。だが、それだけではどうにもならない相手だと、誰でも理解できる。
「いつかマリーが自分の想い人を私の前に連れてきてくれることを信じていた。そして、ついにその日がやってきた」
カルドリアはさきほどまでの老王のような態度から打って変わって、今度は吟遊詩人のように振舞う
「マリーの
カルドリアは仰々しく「きみの眼の前に置いた武具を装着して見せてくれ」と促してくる。
クロードは先ほど、カルドリアがこれは呪物だと言ったことを思い出す。自然とゴクリと喉が鳴る。
獅子を象ったマスク。
獣の手を思わせるような右腕用の籠手。
年代物のマント。
さらにブリーフ型のパンツ。
それぞれからは言いようのないオーラが放たれていた……。
これを装着すれば元の日常に戻ることは出来ないぞと眼の前に並べられた呪物からそう言われてる気がしてならない。
だがそれでもクロードはマリーの笑顔が好きだ。
マリーを悲しませる根源をこの世から排除しなければならない。
例えパンツ一丁に獅子のマスクを被って、マントを翻すようなド変態極まりない姿になろうが、マリーの笑顔を守れるならそれでいいとさえ思えた。
それほどにクロードにとって、マリーは欠かせない大切な人なのだ。
「わかりました。俺が……。俺自身がマスク・ド・タイラーになり、マリーを災厄王の魔の手から救い出します。」
彼は決意を固める一方で、恐怖が心の奥底から湧き上がる。
「マリー、パンツ一丁のマスクマンになる俺の姿をどうか哀れみの目で見ないでほしい……」
その言葉は、彼女の笑顔を守りたいという強い想いから発せられた。