カイリは「見ての通り元気はつらつですよ!」とルナに気遣いに応えて両腕に力こぶを作った。
大して変わらないその細腕を見てルナは微笑む。
「そういやアンタ、武器は持ってないのニャ?」
レモンティーは気付いてしまった。パスカルでは武器を振るう必要がなかったのでよかったものの、ガレノスでのクエストはレインボーフィッシュを自らの手で倒さなければならない。なぜならこのゲームでモンスターがドロップしたアイテムの所有権を持つのは最後に攻撃したプレイヤーだ。パスカルのクエストをクリアして経験値が入ったぶんとギルドの加護のおかげでカイリ1人でもレインボーフィッシュの体力を削り切ることは容易いだろう。お姉様は手助けをなさって、最後の一撃ぶんまで体力ゲージを削ってくれるかもしれない。あと一発殴ればクエストクリアに必要な《レインボーフィッシュのウロコ》をゲットだぜ。なんてお優しいのでしょう!
「武器?」
「ウィザードなら初期装備として《木の杖》を持っているはずニャ」
「え、……持ってませんけど? というか、わたしが戦うんですか? 勇者でもないのに?」
このカイリという子はどうもこのゲームを誤解しているような気がしてしまう。これはMMORPGである。敵を倒して経験値を得て、プレイヤーを成長させ、クエストをクリアするのはRPG要素。ギルドに入ってギルド対抗戦に挑んだり気の合う仲間とパーティーを組んでフィールドボスを倒したりするのがMMO要素。最終的な目標はメインクエストの
最初っから戦うことを躊躇っているようではお話にならない。
パスカルではおかしなことを言っていた。
コケムストリが可哀想、ですって? わけがわからない。
――そう、一般プレイヤーであるレモンティーには理解できないだろう。カイリにとってはクエストで捕まえた“生きていた”コケムストリが調理されて“死んでしまった”ものであっても、現実の世界からTGXにアクセスしているレモンティーにとっては“MPが全回復する”という効果をもたらすただの“鶏の丸焼き”の画像データである。そこに三次元的な奥行きは存在せず、画面越しに匂いが伝わることもなければその味が現実のプレイヤーに届けられることもない。
「装備を《ビキニアーマー》に変えて、これで攻撃してみてちょうだい。運が良ければノーダメージで倒せるわ」
ルナはスマートフォンを取り出すと、カイリに《棍棒》を贈った。この《棍棒》という武器には《昏倒》スキルがついており、耐性のないモンスターを《昏倒》状態にさせることができる。すでに持っている《ビキニアーマー》の《魅了》との相乗効果でレインボーフィッシュからの攻撃を一度も受けずに倒せてしまう。運が良ければ《会心率上昇》が発動して一撃で撃沈させる可能性もある。
「ルナさんまでわたしを戦わせようとするんですね」
カイリもスマートフォンを出して、インベントリに新しく《棍棒》が追加されたのを確認する。ゲームマスターは戦うだなんて言っていない。
カイリは賢者である。
あくまで賢者としてTGXの世界へやってきた。
それなのにこんな目に遭っているのは表向きにはウィザードという扱いになっているせいだろう。クーリングオフってできますか。わたし、騙されていませんか。
賢者って後方支援する感じのじゃないんですか……ゲーム詳しくないからわからないけど、映画で例えるなら監督的なみたいな?
「アンタ、お姉様に何もかもやらせるつもりニャ?」
「わたしはこんなエッチな《ビキニアーマー》が嫌で、マトモな服が欲しくて初心者ミッションをやっています!」
レモンティーはツバを飛ばしながら「お姉様からのプレゼントを嫌がるだなんて!」と噛みついてきた。一般プレイヤーと転生者との認識の差がここでも出てしまっている。レモンティーにはロシアンブルーが白い《ビキニアーマー》を着ているようにしか表示されていなくても、カイリにとっては自分が着てこの世界を歩き回るための服が《ビキニアーマー》なのは嫌なのだ。
「そのマトモな服を手に入れるために、これから色んなモンスターと戦っていかないといけませんのよ。私はモンスターが苦しむ時間が短くなるように、カイリちゃんの装備できる範囲で一番良いアイテムを渡していますわ」
ルナの狂信者であるレモンティーはこのルナの発言を快く思わない。余計にカイリが妬ましくなってしまう。しかしここではグッと堪える。お姉様がどれだけの苦労と時間を費やして《ビキニアーマー》や《棍棒》を手に入れたと思っているのか。
「レベルを上げるにも、私がつきっきりというわけにはいきませんの」
「そんな! 一緒にいましょうよう」
「ジョブチェンジのためと思って、モンスターを倒していきましょう」
ルナはカイリとの会話の中でカイリが“ジョブチェンジ”というワードに目を輝かせていたのを見逃さなかった。ジョブチェンジにはレベル500への到達が必須条件である。ルナとカイリとでパーティーを組んで、パーティーメンバーに分配される経験値を享受しているだけの関係性ではいけない。ギルドマスターであるルナは四六時中付き合っていられるほどに暇ではなく、フィールドボスに張り付いている固定パーティーのメンバーに欠員が出たら埋めに入らなければならない。ギルド対抗戦にも出場する。その間休んでいるのではなく、適正レベルのモンスターの出現するダンジョンでしこたまレベルを上げていかなければレベル500なんて夢のまた夢である。
「できるか不安ですが、やれるだけやってみます」