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第5話 チュートリアルを省かないでほしい

 胸を押し潰されるような感覚に気付いて、カイリは目を覚ます。

 背後から褐色の手で《麻の服》の上から両胸を掴まれていた。


「……え、えっと?」


 状況が目まぐるしく変化しすぎて口からは困惑の言葉が漏れた。目を覚ましたら後ろから抱きしめられた状態でベッドに横たわっていた件。


 ついさっきまでは真っ白い空間の中にいて、ゲームマスターからの「じゃ、あとは頑張ってね」の一言で別空間に吸い込まれて、夜空をフリーフォールしたかと思えば砂漠の中の湖に叩きつけられた。それなのに今はベッドの上。情報量が圧倒的に足りていない。髪や服が一切濡れていないので、ひょっとすると実は落ちた先がベッドの上だったとかそういうことありますか?


「起きたのかしら」


 耳元で囁かれて「ひゃっ!」と身体を震わせる。とりあえず両胸を掴んでいる手を外してから自身の身体を横に転がした。背後にくっついていたのが日焼け肌の美人さんで二度びっくりする。プラチナブロンドのロングヘアーに、突き刺さりそうなインテーク、エメラルドグリーンの瞳から鑑みるに日本人ではなさそう。しかし先ほどの囁きは流暢な日本語だった。


「ここはどこですか……?」

ワタクシのギルドの本拠地ですわ。私はルナと申しますの」


 ルナは寝転がっている状態から正座に座り直して自己紹介をする。これから他のギルドメンバーがログインするまでに「この“レベル1のウィザード”をなぜギルドに入れたのか」という当然降りかかってくるであろう詰問に対するベストアンサーを閃かなければならない。現状としては『リアルでの友達』という設定を押し通す作戦しか思いついていない。転生者であるルナは1年前に死んでいて、一般プレイヤーにはある“現実での生活”なんてものは存在しないのだが、一般プレイヤーにはルナが転生者であるとは知られていない。ゲーム内で知りうる手段がない。公式サイトにも攻略サイトにもネット上のどこにもTGXに転生者がいるとは記載されていないので、たとえ転生者が「自分は転生者である」と暴露しても理解してもらえないだろう。転生者同士でしかその姿を捕捉することはできないのだから。


「わたしは六道海陸、神佑大学附属高校に通うごく普」


 カイリがごく普通の自己紹介をしている途中でルナは「お待ちなさい」と慌ててカイリの口を右手で覆った。オンラインゲーム内で自分の個人情報をべらべらと喋るのは危険この上ない。オンラインゲームだけでなくSNSでも言えることだが、どこで誰が聞いているか見ているかもわからないのだ。用心するに越したことはない。自衛は大事である。


「――今は賢者のカイリなんでした。わたしは死んじゃったらしくて、ゲームマスターって子に選ばれたらしいです」


 カイリは自分の手をグーパーと動かしてみる。自由に動かせる。次に髪の毛を触ってみると、サラサラしているし青色をしていた。白い空間は夢みたいだったけれど、夢ではなかったらしい。前髪はシースルーバンクに整えられている。


「その賢者だとか死んじゃっただとかも私以外には話さないほうが賢明よ」

「えぇ? そうなんですか?」

「私たちはそう、――そうね、選ばれた者なの。他の子たちに知られたら嫉妬されてしまいますでしょう?」

「他にも人がいるんですね? マッスルマルチなんとかって」

「マッシブリィマルチプレイヤーオンラインね。このゲームをオンラインゲームとして普通にログインして遊んでいるプレイヤーのほうが多いわ。もうじきログインしてきますわ」

「へぇ! 挨拶しないとですね!」


 心の中で舌打ちする。カイリが天然なのか、それとも知っていて計算づくでこんな反応をしているのか。ルナには見えてきていないが、正解は“何も知らない”である。カイリには過去にこのようなMMORPGを遊んだ経験がない。それこそβテストから遊び尽くしているルナとはゲームに対する理解度に雲泥の差がある。カイリはカイリでこの時ゲームマスターの「ぼくがここであーだこーだ言うより、やってみたほうがわかるからね」というセリフを思い出していた。このルナって人についていけばいいんですね! わかりました!


「《麻の服》ではあんまりですし、私からアイテムを渡しますわ」


 ルナが右手にスマートフォンを呼び出すと、カイリは「わ! どこから出したんですか!?」と歓喜した。まるでマジックのように何もないところからスマートフォンが現れたのでカイリとしては特におかしな反応をしたとは思っていないのに、ルナは「ゲームマスターから説明されませんでしたの?」と訝しむ。


「スマホはゲームマスターさんから渡されましたけど、こっちに来る前に消えちゃって……」


 手から離れてパッと消えたのだ。カイリが起こったままのことを話すと、ルナは呆れ顔で「手を出して念じれば出てきますわよ」と教えた。言われた通りにカイリは念じてみる。すると、自分の右手にもスマートフォンを出現させることができた。


「わぁ!」


 カイリはスマートフォンをわざと離して消し、もう一度念じてみる。出てきた。たったそれだけのことなのにカイリは「すごいですね! わたしにもできちゃいました!」と満面の笑みで報告する。


「キミ、本当に賢者なの?」


 直接的に「バカなの?」と言うのはさすがに可哀想なので、ルナは言葉をなるべく丁寧にオブラートに包んでから訊ねる。


「え? ゲームマスターさんは賢者しか選ばせてくれませんでしたよ?」

「へ、へぇ……」


 ルナは顔が引き攣ってしまった。カイリはその表情よりもスマートフォンの方が気になっているらしく「ルナさんのジョブは何なんですか?」とインストールされているアプリをタップして開きながら質問する。カイリは†お布団ぽかぽか防衛軍†というギルドに加入していることにここで気がついた。ギルドマスターの名前は“ルナ”とある。


「私は王者ですの」


 左手薬指にウニみたいなトゲトゲの装飾をされた指輪がはめられている。ルナの専用装備であり、これがある限り王者としての固有スキル【統率】を発動できるのだが、カイリはその指輪の場所に意味を見い出して「彼氏いるんですね!」と無邪気に言ってのけた。


「こ、これは! つけたら外せなくなっちゃっただけで! ボクに彼氏なんているわけが!」


 ルナは弁明しながら自身の失言に気がついて自滅し、押し黙る。カイリはカイリで「あー。そういうのってせっけんあればつるっと滑らせて取れるんですけど、この世界にせっけんなさそうですよねー」と気がついていない様子だった。



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