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エピローグ 〜新たな旅立ち

 そして別れの時が訪れる――


「本当にいただいてしまってよろしいのですか?」


 コリンヴェルトの町の玄関口となっている広場で、ヤンからひとつの巾着袋を渡されたララが、驚きと戸惑いの声を上げる。


 巾着袋の中身は、吸血衝動を抑える効果のある青い薬であり、袋の中にはまだその膠嚢カプセルが十粒以上収まっていた。


「たしか、一粒あたり百金でしたわよね? わたくしはこれ以外にもヤン殿から多大な援助を受けておりますのに……」

「私はララ殿に期待して装備と薬も投資させていただいたのです。気にすることなど何もありません」


 遠慮がちにためらうララに、ヤンは小さくかぶりを振る。


「ですが……」

「それに、ララ殿はレン殿とも契約を結んだのです。『吸血者ドラキュリアン』二人分の血、それを賄わなければならないのはララ殿なのですよ」

「ッ!!」


 その言葉にハッと目を剥くララ。


 たしかにその通りだった。


 通常の『聖痕使いスティグマータ』であれば、『吸血者ドラキュリアン』を何人抱えていようとも血の需要と供給のサイクルは成立するのだが、ララの場合は彼女自身が吸血衝動を持っているために、ひとりの『吸血者ドラキュリアン』を養うのも困難な状態なのだ。


 実際、それで過去に暴走を起こしてしまい、ヤンによって救われたのだから。


 自身の吸血衝動は自身で補わなければならない。

 それは、ララが正式な『聖痕使いスティグマータ』となるまでずっと付きまとう使命でもあった。


「そう……ですわね。その通りですわ。これはありがたく頂戴いたしますわ」


 ララは深々と腰を折り、感謝の意を示す。


「それで良いのですよ」


 ヤンは満足げにうなずくと、荷馬車の馬に跨る。


「どちらへ参られるんですの?」

「そうですね。このまま南下してエスペラント王国へ向かおうかと思っております」

「そうですの……。これまで本当にお世話になりましたわ。どうか、お元気で!!」

「ええ。ララ殿たちもお元気で」


 そう言い残し、ヤンは馬を駆る。

 従者たちと隊列を組んだヤン商会は、宣言通り南へと進路を取り、やがてその後ろ姿は見えなくなる。


「……最後まで不思議なお方でしたわね」


 ララがポツリとつぶやく。


「そうですね。商人の中でもかなり異質な存在ですからね、彼は」

「そうだね。でも、最高の飲み仲間だったよ。また、会えるとイイね」

「会えますわよ」


 前を見据え、ララが答える。


「きっとまた、世界のどこかで」

「ああ、そうだね」


 ミレーヌとレンが同調してうなずく。


「それで、ララ様。次はどちらへ参られますか?」

「そうですわね……」


 レンの問いにララはおもむろに空を見上げ、


「王都に……ルテティアにおもむこうかと思います」


 そっと目を伏せ、涼やかな声で言った。


「王都に?」

「ええ。あまり気は進みませんが、国王陛下に一応生存報告くらいはしておかないとなりませんので」


 ララは憂鬱そうな口調でそう言うと、今度は首を垂れてため息をく。


「そっか。ララは国王陛下の姪御なんだもんね」


 ミレーヌの言葉に、ララは力なくうなずく。


「ですが、ララ様は何だか気が乗らないみたいですね?」

「ええ。いろいろと辛いことになりそうなので……」


 そう言って再びため息をくララだったが、すぐにかぶりを振ると、


「行く前からこんな弱気ではいけませんわ!」


 自らを奮い立たせるように言った。


「王都にいけば――国王陛下であればご存知かも知れません。なぜ、戦況を一変させてしまうような強大な力を持った『八紘の宝珠エレメンタリス・ジュエル』を母が持っていたのか。なぜ、母はそれをわたくしに授けたのか。その答えを」


 そしてララは固く握りしめた右手を見つめ、


「『八紘の宝珠エレメンタリス・ジュエル』の由来や伝承を知れば、わたくしが求める乳白色の宝珠の手掛かりも得られるかも知れませんわ。 だから参りましょう!」


 決意を新たにする。


「ああ、行こう!」


 ミレーヌがララの右手を握りしめる。


「喜んでお供いたします」


 レンがララの左手を握りしめる。


 そして三人はコクリと大きくうなずき、コリンヴェルトの町を背に歩き出した。


 季節は寒風吹き荒ぶ冬へと変転を迎えようとしている。

 これからどんなに厳しい寒さに見舞われようとも、身を裂くような風に吹かれようとも、少女はその手の中にある温もりがある限り乗り越えられるはずだ、と信じられるのだった。




 くらい――


 まだ昼間だというのに、その部屋の窓はすべて厚いカーテンに覆われているため、光がまったく届かない暗澹あんたんである。


 ギシィ


 暗闇の中で椅子の軋む音が、渇いた空気の中でやけに大きく響く。


 背もたれと肘掛けのついた、アンティークな椅子。

 それに腰掛けているのは、獣のかおかたどった面で顔を覆い、白い法衣をまとった者。


 その面はたしかに獣と呼べるものであるのだが、獅子のようでもあり、狼のようでもあり、あるいは雄牛のような角もあり、具体的に何の獣なのか判別がつかない。


 ジャリ ジャリ


 獣面の者の手の中で、何かが擦れる音が発せられる。

 まるで何かをこねくり回すような音。


あるじ……」


 ふと、暗闇の中から声が発せられる。

 声高から、どうやら女性のもののようだ。


「『白狐ルナール・ブラン』ですか……?」


 主と呼ばれた獣面の者は、身じろぎひとつせず、中性的な声色で闇に向かって問う。


白狐ルナール・ブラン』――獣面の者からそう呼ばれた女性は、はい、と小さく答え、すぅっ、と音も立てずその姿を現す。


 白い――すべてが白に染まった服をまとい、顔は狐のかおかたどった面に覆われ、頭の先からつま先まですべてが白かった。


「例の娘ですが、コリンヴェルトにて大ブリタニア軍との戦に参加し、その総大将を撃退。その際、再び『聖痕使いスティグマータ』の力を開花させたとのことです」

「ほう……」


 獣面の者の声色にわずかな抑揚が現出する。


「前はエイレンヌ。今度はコリンヴェルトですか……。私の予想を遥かに超えた可能性を示してくれてますね、彼女は」


 実に興味深い、と獣面の者はどこか愉悦を帯びた口調で言う。


「これからいかがなさいますか?」

「そうですね。そろそろ具体的なデータが欲しいところですが……今回はアナタに一任しましょう」

「……かしこまりました、あるじ


観察者オブサルベート』――


 最後に白い影はそう言い残し、再び闇の中へと溶けていった。


「……さて、この先彼女はどのような輝きを見せてくれるのでしょうかね?」


 獣面の者は手の中にあったものを掴み、掲げ上げてひとりごちた。


 暗澹の暗闇の中で、そのコの字型をした乳白色の宝珠がキラリと怪しく煌めき放つのだった。


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